5-10

 雨が降り続いている。この季節は毎日、毎日、飽きもせずによく降るものだ。


 タワーマンション二十三階の玲夏の部屋でなぎさは早河からの連絡を待っていた。今日最後の仕事を終えて玲夏のマンションに帰って来たのが1時間前。


 速水杏里から事の真相を聞き出した早河は黒幕の下に向かった。すべてが終わったら連絡するとのことだったが、まだ彼から連絡はない。

テーブルの上に置かれたなぎさの携帯電話が着信を告げた。着信表示は早河の名前だ。高まる緊張、通話ボタンを押す手も強張っていた。


 早河からの電話を受けて要件を聞き終えた彼女は大きく息を吐いた。同じ部屋にいる玲夏は窓辺に立って雨空を見ている。


「沢木乃愛が逮捕されました。玲夏さんへの嫌がらせも、平井の殺害も認めているようです」

「……そう。乃愛ちゃんが……」


彼女はそれだけしか答えない。今の玲夏が何を考えているのか、なぎさにはわからない。でも乃愛の逮捕にショックを受けていることは間違いない。


 ソファーに腰を降ろした玲夏は紅茶のカップに手を伸ばす。ぬるくなった紅茶を一口飲んだ彼女は視線を上げた。


「なぎさちゃん。ありがとうね。神戸ロケの時はあなたがいてくれて心強かった」

「私は何も……。潜入調査が無事にできたのは矢野さんのおかげです。結局、私は何のお役にも立てませんでした」

「そんなことないよ。沙織がいない間も付き人の仕事をこなしてくれたし、あなたの働きが仁の推理の手助けになったのよ。なぎさちゃんは自分が思うよりもずっと、人の役に立ってる」


気落ちしているのは明らかに玲夏の方だ。けれど彼女はこの状況を受け止めて前を向き、なぎさを気遣っている。


(私が玲夏さんを気遣わないといけないのに……玲夏さんには敵わないなぁ)


もしも早河と玲夏が復縁してしまえば、自分の入り込む隙はない。玲夏はとても、素敵な人だから。


「なぎさちゃんは仁のことが好きなんでしょう?」

「えっ……」

「なんとなくね、そうなのかなぁって。違う?」


 隠していても見えてしまうもの。それは恋心。どんなに上手く隠した気になっていても心は正直だ。


玲夏に早河への気持ちが知られていたことが恥ずかしくなってなぎさは顔を伏せた。


「……はい」

「やっぱりそっか。……うん、これで安心かな」

「安心?」

「仁の側に、仁のことを想ってくれる人がいて安心ってこと。アイツがひとりにならずに済むから」


 玲夏の意味深な言葉の意味をなぎさは考える。ひとりにならずに済むとはどういう意味?


「仁のご両親が亡くなった経緯は知ってるんだよね?」

「少しですけど……ご両親の二人とも、前のカオスのキングだった辰巳に殺されたって……」

「私も詳しいことは2年前に、上野さんから聞かされたんだけどね。仁のご両親の死にそこまでの因縁があったなんて知らなかったから驚いたわよ。でもね、なぎさちゃんのお兄さんが亡くなった時にわかったの。仁は自分のせいで誰かが傷付くのを極端に嫌ってる。お母さんが自分を庇って亡くなったのは仁が小さな頃のはずなのに、もしかしたら無意識の自己防衛なのかな。アイツは大事な人に危険が及ぶ前にわざと自分から遠ざけてひとりになろうとするの」


玲夏の言葉の意味が理解できた。早河はわざと人を避けて孤独になろうとしていると感じる時がある。


「仁は愛することも愛されることも怖がってる。誰かを愛して、もしもその人を失ってしまったら……そう考えるとじゃあ愛さない方が傷付かない、それが仁の心の防御なの。私はアイツの防御を壊せなかった。でもなぎさちゃんなら、仁の防御を解ける気がする」

「私が?」

「仁はあなたのこと、かなり大切に思ってるみたいだからね」


 その一言の威力は凄まじかった。紅茶を飲んでいたなぎさはせて、何度も咳き込んだ。玲夏が笑ってなぎさにティッシュを渡す。


「大丈夫?」

「すいません……。いきなりびっくりすることを言われて……」

「仁に大切にされてることがそんなに意外?」


なぎさはティッシュで口元を拭い、頬に触れた。顔が熱くなっているのは噎せたからだけではない。


「はい。嬉しいような信じられないような……」

「素直ねぇ。アイツがなぎさちゃんを大切に想ってることは信じていいのよ。私はもう仁とのことは終わりにしたの。今日、仁に振られたんだ」

「振られたって……ええっ?」

「お前とはやり直せないってハッキリ言われたわ。女優を振るとはいい根性してるよね。あのバカ男、後悔しても知らないよってね」


 あっけらかんと語る玲夏と唖然とするなぎさ。優しく微笑む玲夏は今まで見たどんな“本庄玲夏”よりも美しく、慈愛に満ちていた。


「だから安心して仁の側にいてあげて。でも仁は自分のことには鈍い男だから振り向かせるのは大変かも」

「……頑張ります」


 二人の女は笑い合った。

 雨はまだ止まない。でも必ず止むこともわかっている。いつか訪れる晴れの日まで泣いているより、笑って過ごそう。

大切な人と、一緒に。

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