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 スーツ姿のビジネスマンが額に浮かぶ汗を拭って忙しなく歩いている。新橋駅前の高架下にいるその男、ファントムは行き交う人々を目で追いながら白色の携帯電話を耳に当てた。


『例の物は新橋駅銀座口のコインロッカーの中に。ロッカーの鍵は汐留口の電話ボックスの電話機の裏に貼り付けてあります』

{ありがとう}

『礼には及びません。あなたは私の大切なクライアントですから。最後まであなたを支援して見守りますよ。……ええ、ではまた。何かあればご連絡を。


 ファントムは薄暗い高架下から日の当たる場所に歩を進める。野暮ったい黒髪に銀縁の眼鏡、手首にはありふれた安物の腕時計。

どこから見ても彼は営業で外回りの最中のビジネスマンに見えるだろう。今日はそういう設定でこの街に来ている。


木葉を隠すなら森の中。目立たないようにするには周囲の背景に溶け込み同化することが得策だ。


 肩幅の広い背中が新橋の人混みに紛れる。新橋駅前のSL広場で彼は立ち止まった。広場にはレンガ造りの花壇の上に黒い車体の機関車が展示されている。

黒いキャップを被り、迷彩柄のシャツを着た男が機関車の前で退屈そうに座っていた。

ファントムはその男の通称を呼ぶ。男はファントムの全身を数秒見つめて苦笑した。


『そんな格好してるとまじに誰かわからなかった。さすが変装の名人、ファントムだな』


男はガムを食べているようで、クチャクチャと汚ならしい咀嚼音がする。湿気のある風に混ざってグレープの匂いがした。


 ファントムは澄ました顔で手に持つ白色の携帯電話を男に差し出した。男は受け取った携帯を肩に下げているショルダーバッグに押し込むと、ガムを咀嚼しながら『まいどありー』と呟いて立ち去った。


 男に渡したあの携帯電話はトバシ品だ。たとえ、クライアントがミスを犯して警察に捕まってもクライアントの証言からファントムの素性がわかることはない。

何故ならば、クライアントでさえファントムの素性を知らないのだ。


 SL広場を出たファントムはオフィスや飲食店で賑わう灰色の雑踏に姿を消した。

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