4-14
6月22日(Mon)
空がラベンダー色に染まる。日没を目前にした街で早河仁は女を尾行していた。
尾行対象者は沢井あかり。
依頼人、木村隼人は昨日意識を取り戻した。まだ安静が必要だが、ひとまず回復に向かっているようだ。
隼人のもうひとつの依頼は沢井あかりの現状調査。矢野から情報を得てようやく本人を捜し出せた。
コンビニを出たあかりの後ろを数メートルの間隔を空けて追う。あかりは早河の尾行に気付いているのか何度も道を変え、細い道を何本も抜けた。
目的地があるような足取りとは思えないが、どこかに誘導されている気もする。
ビルが並ぶ一本道に入った。他に通行人はなく、あかりの小柄な背中がラベンダー色の世界に溶けている。
道の先にいた彼女の姿が突然消えた。早河は足早にあかりが消えた地点まで急ぐ。両脇にはこぢんまりとした神社とビジネスホテルがあった。
満車の表示のあるホテル一階の専用駐車場はぽっかりと口を開けている。その空洞に人の気配はない。
彼は視線を神社に向けた。灰色の鳥居には
鳥居を入ってすぐに階段があった。沢井あかりが階段の上部に立ってこちらを見下ろしている。
「鬼ごっこは終わりにしませんか?」
あかりの背後にはもうひとつ赤い鳥居がある。彼女は手すりにもたれて、早河の動きを観察していた。
『やはり気付いていたか』
「あなた、一応は元刑事でしょう? それなのにあんな下手な尾行で気付かない方がおかしいと思います」
『元刑事の下手な尾行を見破るあんたもただ者じゃないと思うけどな』
本当はわざとわかりやすい尾行のやり方をしていた。あかりと話さなければ調査の意味はなく、彼はこの機会を待っていた。
早河は灰色の鳥居を潜り、石段の一段目を踏んだ。あかりはまだ動かない。
「あなたに私の身辺調査を依頼したのは木村先輩ですよね?」
『悪いが依頼人が誰かは言えねぇな。こちらも守秘義務がある。……単刀直入に聞く。沢井さん、君は3年前の間宮誠治の殺害に関わっているのか?』
間もなく日没時刻になり、闇が迫ってきた。階段の上にいるあかりの顔も夕闇の中では表情を読み取るのは難しい。
「間宮先生を殺したのは佐藤瞬よ」
『だが君は間宮が佐藤に殺されることを知っていた』
階段を上りきると左手に拝殿、正面に見える赤い鳥居の側に沢井あかりがいる。社務所は閉まっていて、夜の神社はひっそりとしていた。
「仮に私が間宮先生が殺されることを知っていたとして、それが何か犯罪になるの?」
『君を罪には問えないだろうね。何しろ証拠がない』
「そうね。私は何もしていないもの」
拝殿の方に顔を向けていたあかりが振り返った時、あかりの動きを読んだ早河は体勢を低くして身構えた。早河の頭上をあかりの右脚が通過する。そのまま右手で彼女の攻撃を封じた。
(この動き、空手か?)
赤い鳥居の奥には稲荷神社がある。聖域で拳を合わせる二人はさぞ罰当たりだろう。
石畳と砂利で足場は悪い。あかりの拳を受け止めた拍子に砂利に足をとられた早河の身体は鳥居にぶつかり、肩を打った早河が顔を歪める。
『あんた……やっぱりただ者じゃないな。こんな動き、一般の女はそうそう出来ない』
「あなたも尾行はヘタクソでも格闘の面ではさすが元刑事ね」
あかりは早河に受け止められた拳を引いた。早河もあかりも呼吸は乱れておらず、彼は鳥居に打ち付けた左肩をさすった。
『あんたカオスの人間だろ』
「答える必要ないわ」
『じゃあ、あんたがカオスの人間だと思って聞く。あんた達はどうして今回の件で浅丘美月と木村隼人を助けた?』
「……浅丘美月は特別なのよ」
彼女は落ちてしまったコンビニの袋を拾って中身を確認している。袋の中に割れ物は入ってはなさそうだったが、落とした時に中身が崩れた食べ物でもあったのかもしれない。
『特別?』
「これを答えると私がカオスの人間だと証明するようなものね。ま、いいけど。美月ちゃんはキングのお気に入りなの。だから誰も手出しは許されない」
貴嶋は3年前から浅丘美月に目を付けている。青木渡は知ってか知らずか、貴嶋の逆鱗に触れてしまったのだ。
『貴嶋が浅丘美月に惚れてるって意味か?』
「その解釈は間違いではないでしょうね。キングのお考えは私にはわからないけれど、これだけは言える。キングの最終プランには美月ちゃんの存在がある」
あかりの横顔が暗い影を帯びているのは闇夜のせいか?
『貴嶋は何をしようとしている?』
「それは私の口からは言えない。探偵ならあとは自分で調べてね。……依頼人には私のことどう報告するつもり?」
『あんたはどう報告して欲しい?』
「そうね……どうとでも。あなたの報告を聞いた依頼人が何を思うかは彼の自由だもの」
あかりは早河に背を向けて階段を下った。早河はもう彼女を追わない。
依頼された仕事は終えた。あとは依頼人である木村隼人に報告するだけだ。
沢井あかりはすべてを知っている。間宮殺害のことも、今回の事件も、犯罪組織カオスのことも。それをありのまま隼人に伝えるだけだ。
『やべぇな。これは肩……外れたかも』
力強くぶつけた肩が痛んだ。帰ってから湿布を貼った方がよさそうだ。
『浅丘美月が貴嶋のお気に入り……か』
空に闇が広がる今夜、月はどこにもいなかった。
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