第四十九話 灰色の世界を吹き飛ばすために


 どういう事だなんて、誰だって察せるだろう。


「私、こう見えて友達が多いんです。女の子も男の子も、先輩も後輩も」


 赤坂さんが一歩、父さんへ近付く。

 一歩、一歩。ゆっくりと、蛇が獲物を追い詰めるように、


「その中に有名な人と知り合いだって女の子がいるんですよ。SNSのインフルエンサーの方。確か〝スタンドボクサー〟さんだったかな」


 父さんが知っているかは分からないが、少しでもSNSを齧っていれば一回は目にする名前だった。相当有名な炎上記事を扱う人物だ。SNSで芸能ゴシップから企業や一般人の迷惑行為、発言を取り上げてたちまち炎上させている。


「えっ、スタンドボクサーってあの?フォロワー百万人超えで人生を指先一つで終わらせられる男で有名なあの?」


 今まで静かにしていた咲季が俺のシャツの袖を引っ張って興奮気味に問いかける。

 そんな異名あんのかそいつ。


「多分な」


 はったりの可能性もあるが、あの人の交友関係の広さ的にあり得ない話でも無いだろう。


 咲季は戦慄わなないていた。父さんがピンときてない顔してるのにお前が一番ビビってどうすんだ。

 ……まあ、これがはったりだろうと父さんにそいつのインフルエンサーとしてのヤバさが伝わらなかろうとあまり関係ない。

 人を殴っている動画とインフルエンサー。この二つの単語が揃った時点で大手企業の副社長である父さんは警戒せざるを得ないのだから。


「この動画を友達に面白おかしく脚色して伝えたら一体どうなるのでしょうね?」


 父さんの至近距離まで近付いた赤坂さんは笑顔でその顔を見つめる。

 逃さないと心に刻みつけるように。

 父さんはそれで悟ったはずだ。自分が一気に窮地に立たされていると。


 くすくすと上品な笑い声でいらっしゃるが、言っている事エグいんだよな。赤坂さんの外面の評判的に脚色して伝えても疑われずに鵜呑みにされるだろう。そうなればある事無い事拡散されて父さんどころかうち自体が崩壊しそうだ。だが父さんが「そんな脅し知るか」と投げやりな選択は取らないと信じてる。


 これが俺が考えた汚い罠。父さんを黙らせるためのダメ押しの一手。父さんのような安定を重んじる人間にはかなりハマる〝弱味をネタに脅す〟という手だ。咲季が辻堂を音声データで脅した事から思い付いた。

 と言っても誰でも安直に思いつく古くから使われてきた手法なんだけど。


 しかしながらその脅迫のネタをこの場で現地調達しなければならないというのが非常に難しかった。

 父さんは普段から俺に対する発言は厳しいものがあったけど、そんな程度じゃインパクトが無くて世間様が叩きやすいネタではない。やはり犯罪に片足突っ込んだようなネタが欲しかった。そうなると暴力行為が一番しっくり来る。

 だからわざと煽って俺を殴ってくるように誘導した。いつも冷静だし、〝野蛮な行為〟が嫌いと言っている人だから怒っても殴らない可能性が高くて賭けだったが。


「というわけで、咲季ちゃんを大人しく退院させてあげてください。あ、退院した後家に閉じ込めるのも無しですよ?咲季ちゃんには伸び伸びとして欲しいです。家族旅行とかいいんじゃないですか?」

「どうして君まで彼の味方を……!」

「私は誰の味方でもありません。だからあなたの味方でも無いんです」


 二人目の裏切り者。

 さっきまで父さんへくみして俺を貶めていた人物だったはずなのに、赤坂さんは父さんへ脅迫をしている。

 驚天動地。父さんにとって全く理解出来ない状況だろう。答えを求めるように俺を睨んでくるが、俺だって分からない。赤坂さんが何を思って俺へ協力するのか不明瞭だ。


 ただ、赤坂さんにとって俺は以前まで復讐の対象で、今はそれが解消されているらしいという憶測からある程度察しはつくが。


「まあ、そんな事はどうでもいいんです。咲季ちゃんを自由にしてあげるって約束してくれれば、それで」

「そんなことっ……!」

「そんなこと?」


 赤坂さんが父さんのシャツの襟を強引に掴んで顔を寄せる。

 感情を覗かせない仮面の笑みが父さんを捕らえた。

 一歩後退ったのは無理もない。赤坂さんに間近で見つめられると本能的な恐怖が襲う。


「分かりませんか?これはお願いじゃなく、命令なんですよ」

「っ」

「黙って従ってくださいね?」


 意図して出しているのか。笑顔のはずなのに、じっと見られるとその見開いた目から覗く得体の知れない何かを感じてしまい、心を乱されるのだ。


 敵に回した時点で負け。赤坂結愛はそういう女だ。場の空気や流れを掌握する事にかなり長けている。


 父さんがついに反論の言葉さえ失うと、赤坂さんは満足したように手を離して青柳医院長の隣へ戻り、


「では、後はご家族の皆さんで良く話し合ってください」


 そうあっさりと言って最初よりずっと小さくなったように感じる青柳医院長を連行するみたいに連れて病院へと去っていった。去り際に俺へ向けられたウインクは無視。


 父さんは手を握りしめ、やがて力を解いた。

 諦めたのだろう。力強く睨みつけていた目を伏せ、深く息を吐く。

 よろけて後ろへゆっくりと退がり、車を背にして崩れ落ちるように地面へ座った。



「なんで、どうしてなんだ、どうしてこうなる?」



 誰に問いかけるでもない呟きは夜闇に消え入るようだ。

 気の毒に思えるほどに意気消沈としている。この短時間で二人の人間から裏切られたのだから当たり前の反応か。通常であれば跪いていたのは俺なんだろうけど、今回は協力者があまりに強過ぎた。

 改めて感じるが、本気になれば人一人の人生叩き潰せるんじゃないかと思うほどの化物っぷりだなあの女。実際軽くひねるみたいな調子で父さんを黙らせてしまったし。


 隣を見ると咲季は父さんを見つめていた。

 少しは喜んでいるかと思ったけど、どうにも神妙な顔をしている。

 ――と。力無く座り込んだ父さんへ咲季がゆっくりと近付いた。


「お父さんが全然何も見えてないからだよ」


 何を言っているのか分からない。

 ただ咲季を見上げるばかりの父さんからはそれだけ伝わってきた。


 咲季はしゃがんで父さんと目を合わせる。


「お父さんとお母さんは、ずっと動けないでいるよね。見てる所はずっと過去後ろばっかり。だから見えないし気付けないんだよ」

「なんの話だい?」


 抽象的な物言い。

 父さんの反応は相変わらず鈍い。

 けれど咲季は続けた。


「分からないならいい。けど、けどね」


 深く息を吸って、


「決めつけないで、お兄ちゃんをもっと見てよ。良いところも駄目なところも、全部ひっくるめてお兄ちゃんなんだから」

「彼を見る?恥知らずの野蛮な人間だよ。それ以外のなんだと言うんだ」


 嘲笑うように父さん。


「お兄ちゃんは、私のために体を張ってくれる優しいお兄ちゃんだよ」

「彼は一人の女の子を自殺まで追い込んだんだぞ」


 それを聞いた瞬間、咲季は明らかに怒気を孕ませて手を上げようとしたが、鎮めるようにして膝の上に置き、手を握りしめる。


「ほらね」


 そして、力無く笑った。


 それを見た瞬間、俺が感じたのは既視感。


「そんなことするわけ無いって、見てれば分かるのに」


 重なったのは昔の自分。

 中学生のあの時、俺は周りの大人へ必死に訴えた。けどそれはことごとく一蹴された。

 世界から否定されたような気がした。


 深い絶望の果てに生まれたのは、諦念。


 咲季は今そんな表情かおをしている。


 それは駄目だと心が叫んだ。



「俺はっ、そんなことしない!」



 気づくと、声を上げていた。

 あの時の乾いた感情。咲季を包み込もうとしている灰色の世界を吹き飛ばすために。


「確かに俺はあの時荒れてた。どうしようもないやつだった。でも、菊池に出会って、菊池は俺を真っ直ぐに見てくれて、嬉しかったんだ!」


 父さんがこちらを見る。


「菊池のおかげで少しだけ世界が明るくなった気がした!あいつが、俺を救ってくれるかもって、そう思ってたんだ!あいつの存在は今でも俺の中に残ってる!だから、そんなやつを悪意で追い詰めるなんて事、絶対にしない!」


 父さんは唖然としている。

 それもそうか。父さんに対してここまで感情をぶつけるのは初めてだから。


 萎縮して、避けて、諦めて、何も言えなかった。


「中学の時は、どうせ皆信じてくれないって、噂に否定をしなくなって、誤解を解こうなんて諦めてたけど、これが本当なんだ」

「何を今更」

「今だからだよ。俺が前に進めなきゃ咲季が泣くんだ!苦しんで、怒って……、そんなのもう見たくないからっ……」


 息が切れ、乾いた喉が痛み、嘔吐えずく。

 自分が何を言いたいのか曖昧になってくる。

 ただただ心の内に溜まったものを吐き出すようにみっともなく叫んでいた。


 けど、これで良い。

 根拠は無いが不思議とそう思えた。



「………………君は、なぜ咲季にこだわるんだい?」



 ……と。

 俺の無茶苦茶な叫びに返す言葉があった。


 それがあまりにも意外で、数瞬、無言で父さんを見つめてしまう。

 視線がこんなにも合っているのは初めてだ。

 父さんの言葉からは軽蔑や敵意は感じられなかった。ただ純粋な疑問を投げかけたという雰囲気。


 だから俺も素直に答える。


「笑って欲しいだろ。家族なんだから」


 答えに返す言葉は無かった。

 だけどいつもみたいに、考える余地もないと一蹴されているような気はしない。俯いて地面を見ている父さんは俺の言葉を反芻しているような、そんな気配がした。





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