第四十七話 勝負


 今夜の主賓が来た。

 泰然たいぜんとした普段とは打って変わり、焦った様子で現れたのは片桐俊名かたぎりとしな、父さんだ。

 同時にスマホの通知音。スリープを解除すると、通知欄に新着メッセージの表示。赤坂さんだ。彼女からのメッセージには〈今そっちに行ったよ〉と一言。


「もう来てるけど」


 走って来たのか父さんの息は少し上がっていた。思ったよりやって来るのが早いのはそのせいか。存外必死なのはこの人なりに咲季を想っての事だろう。

 なぜ父さんがやって来たのかは単純で、赤坂さんに呼び出してもらったから。

〝片桐秋春が性懲りもなく咲季を外へ連れ出そうとしている。〟という情報を伝えてもらったのだ。今日は日曜日で父さんは休み。すぐに飛んで来るだろうと思っていたけど予想以上だ。

 父さんから見れば悪党が娘を攫っているようなもの。そりゃあ必死にもなるよな。


 咲季が不安そうに俺を見上げる。この場に父さんが来たからにはもう後戻り出来ない。大丈夫だとまた頭を撫でた。

 咲季にはこれから行う事を既に伝えてあるから不安なんだろう。父さんを黙らせるために俺がする……いや、される事について櫻井さんが説明した時、かなり反対したらしいし(と言っても櫻井さんも良い顔はしなかったが)。


「まだ反対なの?」


 咲季からすれば唐突な声かけ。しかしそれが何を指しているのかすぐ気付いたようで眉根を寄せた。


「そりゃそうだよ!お兄ちゃんは自分を大切にしなさすぎなの!」

「ハイゴメンナサイ、まぁ、とにかく、少しの間だけ大人しくしててくれ」

「人が心配してるのに面倒臭そうに目を逸らすなぁっ!」


 予想以上に強く文句が飛んできたので秒で退く。

 ヤケ気味に叫ぶ咲季を棒読みの謝罪で軽くいなしつつ、視線を怒りの形相で近づいてくる父さんへ。

 こっちはもうバリバリの戦闘態勢といった具合だ。いいね、その方がこちらとしてはやりやすい。


「咲季、彼から離れて病室に戻りなさい」


 目の前までやって来て咲季へ手を伸ばすその先に割って入った。


「なんの真似だい?」


 再び向けられた激しい敵意。怯みそうになるのを堪えて一歩前に足を踏み出す。さあ、ここからが勝負だ。

 穏やかだった気持ちから切り替え、気を引き締める。そしてわざと挑発するように鼻で笑った。


「免許取ったんで、咲季と遠出しようと思ったんだよ。悪い?」


 努めて露悪的な態度を取って免許証をひらひらと見せた。

 ちなみに免許を取ったのは本当。あまりよく覚えていないが、死んだようになっていたつい先日までの間に教習所を卒業していて試験にも受かっていたみたいだ。だけどこの隣の軽自動車は俺のでもなんでもなく櫻井さんのもの。

〝咲季に遠出をさせる〟という、咲季を病室で安静にさせたい父さんにとっての禁忌を二度煽るためだけの仕掛けだ。

 案の定、父さんは我慢ならないと感情を爆発させた。


「もう咲季には関わるなと言ったはずだろう!言葉の意味も理解できないのか!?」

「理解は出来ても納得出来ないからここにいるんだろ」

「なにをふざけた事を……、君がやっているのは誘拐と何ら変わらないぞ!」

「家族と出かけるだけで犯罪者扱いかよ」

「君は咲季の家族じゃない!どきなさい!」


 覆い被さるような大きな影が深くなり、父さんの手が肩に掴みかかった。長躯ちょうくに似つかわしい大きな手の握りつぶすような力で俺を横薙ぎに投げ飛ばそうとする。負けじとその腕を強く掴んで抵抗。こんなに荒ぶるとは相当怒ってるな。

 好都合だ。冷静になる前に畳み掛けよう。


「俺が家族じゃないんならあんたも同じだろ」

「何を言っている!馬鹿なのか君は!」


 馬鹿はあんただ。


「仕事ばっかでろくに会いに来ないで何が親だ、家族だ。白々しいんだよ。本当はどうでもいいって思ってるんだろ。いや、もしかしたらうとましいとか考えてんじゃないの?」

「僕が咲季を愛していないとでも言うつもりか!?」

「愛してなんかいないだろ。どの口で言ってんだ」


 愛してはいるんだろう。咲季を縛っているのもこの人なりの愛。仕事を頑張って金を稼いで大金を払い、病気の進行を遅らせる可能性がある治療法を試してもらっているのも愛。それは間違いない。けど今は怒りを煽るために勝手にレッテルを貼ってやる。


「仕事が忙しくて会いに来れないってか?だったらいっそ辞めろ。なんのために仕事してんだよ、金だけあったって意味無いだろうが」


 俺の肩を掴む手を力ずくで引き剥がす。

 以前までの俺は父さんに対して大きく反抗はして来なかった。今度こそ見捨てられてしまうかもしれないという恐怖があったから。

 けどそんな事知ったことか。喧嘩別れしたところで、俺達は後でいくらだって話し合う事が出来る。今は咲季が一番大事なんだよ。


「結局あんたは自分が大好きなだけなんだ。〝常に僕が正しい。だから子供は黙って従っていろ〟。そういう自己陶酔にまみれた傲慢が透けて見えるんだよ。下らない」


「な……っ!」


 父さんは怒りと驚きの両方が混じった動揺を露わにした。

 自分が見下みくだしている相手にここまで言われるのはきっと初めての経験だろう。

 なまじ優秀な人だから、褒められるこそすれ、他人からこきおろされるなんて無かったろうから。

 何年も一緒に暮らしていればそれくらい察する事は出来た。だからこれは計算通り。


「世界が自分を中心に回ってるとでも思ってるのかよ、笑える。今時中学生だってもっとマシな妄想するよ」


 父さんが俺に血走った目を向けて近付いてくる。

 俺はまくし立てた。


「本当に咲季の事を思うならこいつの願いを聞いてやるのが家族だろ。咲季が退院したいって言ってるのにそれを無視するのは本当に咲季の事を考えてるって言えるのか?違う……」


 頬に衝撃。

 父さんに殴られたと気付いた時には地面に尻餅をついていた。見上げると息を荒くしてこちらを怨敵が如く睨みつける長躯。

 狙い通りの展開過ぎて笑えてきた。それだけ俺の煽りが上手かったという事か。……素直に喜べない。


「お兄ちゃん!!」


 咲季がしゃがんで悲痛そうに「大丈夫!?」と俺の顔を覗き込む。

 軽く手を振って平気だと返事。

 事前にこうなるって伝えていたとはいえ、納得してなかったらこの反応になるか。


「君みたいな奴が家族を語るなッ!僕達の生活を滅茶苦茶にしたクズが、知ったような面で説教をする気か!」


 興奮しきった怒号。中学の暴力事件のせいで俺達は近所から白い目で見られ、嫌がらせも受けた。その時期は世間の目が他県の洪水被害の話題で持ちきりだったからかテレビで報じられる事は無かったけど、近所の家々にはちゃんと伝わっていて、まさに村八分となったんだ。怒っていないはずが無いが、直接それを父さんからはっきり聞かされるのは初めてだ。今までやんわりと隠していた本音が出てる辺り、怒りも最高潮ってところだろう。


 ――気にするなと自分で思っていても心に来るものがあるな……


 思って立ち上がると同時に咲季も立ち上がり、俺の前に出た。


「咲季?」


 訝しげに父さんが目を眇める。

 咲季は何も言わない。ただ黙って強い歩調で父さんへ近付いて行き、


「ストップストップ」


 俺は咲季が何をしようとしてるのか分かって、振り上げようとしたその腕を掴んで止めた。

 大人しく見てろって言ったんだけど、そう簡単に聞いてはくれないようだ。


「なんでっ!」


 どうして止めるんだと勢い良く振り向く。


「お前が誰かを殴るのなんか見たくない」

「でもっ、こんなの、こんなの酷すぎるよ!」

「平気だから」

「平気なわけないじゃん!私だって平気じゃないもん!こんな酷い事言われて平気なんて嘘だよ!」

「いや、いいんだって。一回落ち着いてくれ」

「落ち着くなんて無理!」


 こいつは父さんと母さんが好きだ。今は俺の事があって怒っているだけなんだから、一時の感情で関係を壊すような行動はしちゃいけない。咲季が元気でいられる内に仲直りが出来る保証なんて無いのだから。

 それにこいつに怒ってもらうような資格は無い。


「どうして咲季は彼を庇うんだ!」


 心底不思議で納得出来ないといった具合で父さん。

 対する咲季も負けじとその威圧に怯まず真っ向から立ち向かう。


「お兄ちゃんが大好きだから、私はお兄ちゃんの味方なの!」

「彼の暴力事件のせいで僕達は周囲から奇異の視線に晒されたんだぞ!そんな人間をどうして好きになれる!!」

「どうしてってそんなムグゥっ!?」


 怒ってくれてありがとう。すごく嬉しいんだが、今はちょっと黙っていて欲しい。

 背後から口を塞いだ俺へ「むー!むー!」と非難がましい視線をぶつけてくる咲季に視線を誘導するために親指で右側――病院側を指した。咲季がそれに気付いてその方向へ顔を向ける。視線の先に居たのは二人の男女。一人は赤坂さん、隣には恰幅の良い五十歳前後の男性。白髪混じりであるが顔がふっくらとしていて皺が目立っていないためか、若々しく映る。

 赤坂さんの知り合いには到底見えない相手がいるからか、咲季は戸惑って固まっていた。しかしすぐにそれが誰なのか、これから何をするのかを思い出したようで、確認するように俺を見上げる。

 そうそう、あまりにも咲季の剣幕が凄いもんだからこの人達が出てくるタイミングを逃してたんだよ。気付いてくれて良かった。

 頭が冷えた――と言っても不貞腐れていたが――咲季の口から手を離すと、異変に気付いた父さんも視線を赤坂さん達へ。


「結愛ちゃんと、青柳さん?」


 その名を呼んだ。

 俺の幼馴染と、灯火病院医院長の名を。

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