第四十四話 お姉ちゃん感激しちゃった
落ち着ける場所で話がしたい。
俺の要望に頷いた赤坂さんが提案したのが彼女の家だった。
赤坂さんは大学から一人暮らしを始めたそうなのだが、部屋を借りたのは大学付近ではなく、地元の灯火市内のマンションなのだそう。
理由を聞いたら「霞ちゃんとアキ君にすぐに会えるから」らしい。だったらわざわざ一人暮らしをせず実家でもいいんじゃないかと思ったが、両親とは離れたかったみたいだ。
そこの事情は何となく察している。
とはいえ、赤坂さんの家なんて心霊スポット並みに入るのもためらってしまうような場所だが、今は何も感じなかった。最近の赤坂さんはもう俺に嫌がらせをする気が無いようだから。
ねっとりとした気色の悪い雰囲気が薄い。今までより断然話しやすかった。
まあ、これから話し合う事はこの人と協力する話だからその方が良いんだけど、少し調子が狂う。
「こうやって一緒に歩くのも久し振りね」
「あー、まあ、うん」
右隣を歩く赤坂さんのどうでもいい話を聞き流しながら周りの景色を眺める。
普段は歩かない道。俺の家(今は違うけど)がある側とは駅を挟んで反対側で、繁華街で賑わっている方。開けた場所は少なく、ホテルや住宅、福祉施設や公民館など建物が多い印象。
そんな賑わった道から逸れて少し歩いたところで大きな道路――国道へ。赤坂さんはそこを道なりに進んでいき、「もうすぐ着くから」と俺に微笑んだ。道路沿いに住宅街が見えるからそのどれかなのだろう。
「このまま私の家に行くだなんて、なんだかお家デートする恋人みたいじゃない?」
「ミスコン一位様は冗談もお上手で」
歩きながら特に意味の無さそうなからかいに適当に返す。
「ミスコンは関係ないでしょう?」
「そうですね。でも今みたいな冗談は他の男子に言ってあげた方が喜ぶと思いますよ」
「……そんな態度だと手伝ってあげないんだから」
拗ねたような言い方。
一々癪に触る芝居だ。
赤坂さんの言う〝手伝い〟という単語はいつもなら不吉な予感というか、彼女の嫌がらせの隠語かと身構えてしまうところだが、今回は本当に俺が赤坂さんへ頼んだ事を指している。
端的に言うなら、父さんと母さんを打倒するための手伝いだ。
打倒と言っても不良の喧嘩みたいに殴り合いをするわけじゃない、咲季の退院を認めさせるという意味合い。それに付随して、中学生の頃の俺への誤解を解き、咲季の傍に居る事を認めさせる。
この三つの達成のために俺は赤坂さんに協力を仰いだ。そして詳しい話をしようと今赤坂さんの家に向かっているという流れ。
赤坂さんに協力を仰いだ理由はいくつかあるが、大きい点としては二つ。
一つは単純に中学生の時に俺が起こした騒動の当事者であるから。もう一つは父さんと母さんからかなりの信頼を得ているためだ。
信憑性を問われる時にこの人の一声があるだけで随分違うだろうという点を買った。いけ好かないし今までの事で色々文句も言いたいが、ある程度は我慢しよう。もうなり振り構わない。
ただ、ダメ元で頼んで何故かOKされたという状態だから下手に暴言を吐き過ぎていじけられても困る。
「あんたが咲季を焚き付けて母さん達にぶつけてここまで家庭環境をややこしくしたんだぞ。手伝って当然だむしろ手伝え」
まあ、頭では分かってても口をついて出てしまうんだが。
「全部が全部私のせいってわけじゃないと思うのだけれど」
そんなの分かってる。いつかはこうなってた。だから乗り越えなければいけないんだ。例えあんたみたいな奴に頼ってでも、必ず過去を清算する。
「ふふ、冗談。相変わらずアキ君は真面目で可愛い」
俺を横目にくすくすと笑う赤坂さんを睨んだ。
やっぱこの人ムカつくわ。
# #
国道から少し逸れた道に入ってすぐの住宅街の中に赤坂さんの住んでる家はあった。四階建ての煉瓦のような色合いをした見た目新しいマンション。
中に入るとすぐに銀色のオートロック式のドアに出迎えられる。その壁ににある薄い溝に赤坂さんが慣れた手つきでカードを差し込むとドアが開いた。かなりしっかりした防犯システムのマンションだ。
そのままエレベーターで三階へと上がり、306号室の部屋へ。ここもカードを差し込んでドアのロックを開けた。
開けた瞬間、赤坂さんと同じアロマっぽい香りが鼻孔を通っていった。
飾り気のない玄関と少し狭い廊下を抜け、奥の扉へ通される。
が、その光景に固まってしまった。
部屋の中には何も無かった。
いや、正確にはあるのだが、あまりに入居する前のままのような片付き過ぎた部屋だったのだ。元々取り付けてあるであろうキッチンを除けば置いてあるのは冷蔵庫と天井に取り付けられたエアコンのみ。
近くに植えられた大きな木が見えるバルコニーの方が景色が良い分まだ目立つレベルだった。
予想外過ぎて面食らう。まだ汚部屋だった方がリアクションも取りやすかったと思う。何だこの異様な空間は。薄寒さすら感じた。
「ここ、普段使ってないの?」
思わず訊く。
「ええ。玄関のすぐ右の部屋をいつも使ってるから」
「へぇ……」
「使って無いけれど、掃除はちゃんとしてるわよ?」
「そういう話じゃない」
ミニマリスト……って事なんだろうか。それでも人が住んでりゃどの部屋にも多少は物を置いたりするもんだと思うんだが。
やはりこの人はどこかおかしい。
「あ、そっか」
すると赤坂さんが思い出したように手を叩いて玄関の隣にある部屋へ。
すぐに何かを抱えて帰ってくる。
「机が無かったね。ふふ、お客さん呼ぶのなんて初めてだから気が付かなかった」
折りたたみ式の机だった。
いや、だからそういう事じゃないって。天然か?この何も無い空間を異様に思う精神を育め。
突っ込みたい部分は多々あったが、一々言ってもムカつく返しをされて腹が立ちそうだったので飲み込み、フローリングの床に腰を下ろす。
そうだ、今日は
折りたたみの机を組み立てて部屋の中心に置いた赤坂さんは冷蔵庫から紅茶の入ったピッチャーを取り出してガラスのコップに注ぎ、俺の前に持ってきて、
「それで、考えは変わらないの?」
どうぞと渡されたそれを一口飲んだ。
菊池の墓の前で話したあの日に、俺がどうしたいかは伝えてある。その確認だろう。迷わず頷いた。
「父さんを説得して咲季の退院をもぎとって、ついでに俺の過去の誤解も解いて咲季の側にいるのに文句を言わせないようにする」
「高い目標ね」
「無理だと思ってるだろ」
「ええ。アキ君だけなら」
にこやかに即答し、思わせぶりな言葉を吐く。
「あんなに聞き分けの無い人間を相手にしてまだなんとかしようって考えられるの、アキ君くらいよ?」
「……事実だけど、よくも
「嫌いだもの、おじさんとおばさん。私の親と仲が良いだけあって似てる」
嫌いとまで言いやがった。
この人はこの人で家族に問題があるから、俺達家族の問題に対しても思う所があるんだろうけど。もしかしたらそういう要因があって協力してくれる気になったのかもしれないな。
「それにしても、狙いは
意外そうに言ってから両手で自分の分のガラスコップを口に運ぶ赤坂さん。
「今の母さんは理屈を言ったって通じない。聞こうともしない。話し合いにまで発展しない状態なんだ。だったら会話はしてくれる父さんの方がまだ可能性がある」
母さんの件は身をもって体験済みだ。
赤坂さんは頬に上品に手を当てて「うーん」と小首を傾げた。
「でも、おじさんだってアキ君の言う事聞いてくれるなんて思えないなぁ。悪者の戯言だって切って捨てそう」
それは確実だろう。
つまりはどっちもどっち。
「それでも家のパワーバランスで言うと一番上は父さんなんだ。父さんの決定なら母さんも黙らせる事ができる。だからこっちに賭ける」
それに、
「今回は汚い罠を使う予定だからな。それで強気に出れなくすればまともに話し合いになるかもしれない」
「汚い罠?アキ君が?」
目を瞬いて分かりやすく驚く赤坂さん。
どうにも、保母さんが園児に「まあ凄い!」とか言ってあやしている風にしか見えなくて癪に障る。
実際「あらあら」とか言ってわざとらしく驚いてるし。
「馬鹿にしてます?」
「いつの間にか成長しててお姉ちゃん感激しちゃった」
「馬鹿にしてんだろ」
「アキ君は愚直なのがチャームポイントでしょう?」
「誰が愚直だぶっ飛ばすぞ。……けどまぁ、騙し討ちとか汚いのが得意なのが協力者にいるし、チームバランスとしては丁度いいだろ」
「誰の事?」
「洗面台に行ったら会える」
赤坂さんは数秒ぽかんとした。
視線を斜め上に上げた後「あ」とこちらへ視線を戻し、
「もしかして私?」
自分を指差した。
他に誰がいるってんだ。俺が「そーだよ」と投げやりにそっぽを向いたら何がおかしいのか、赤坂さんはくすくすと口に手を当てて上品に笑った。
……割と長く。
「………………」
「ふふっ、ふふふふ……ごめんね、ちょっと自分でもびっくりするくらいぽかーんとしちゃって……、ふふふふふ」
「相変わらずどこがツボかわっかんねーな」
中学生の時以前に赤坂さんと過ごした日々を思い出した。彼女と普通に話して普通に遊んでいた頃。
最近こんな風に警戒を解いて喋った事が無かったから忘れていた。元来独特な感性を持ってるんだよなこの人。だから多分本当に笑ってるんだろう。
久々にこういう姿を見たけど、悪くない。普段の貼り付けたような笑みよりは千倍マシだ。
まあこんなどうでもいい話は置いておいて、
「とにかく汚い手を使う。けどそれだけだと父さんを説得出来る可能性が生まれるだけで父さんを完全に黙らせれないと思うんだよな、それにあの人は〝世間的に正しい〟と考えてる事以外にはすげー反発心があるし。後で手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない」
「ふーん?」
じゃあどうするの?と言いたげな視線に俺は降参だと手をひらひら振る。
「だから〝咲季の退院は正当なんだ、正義なんだ!〟って父さんを正論で叩いて黙らせつつ汚い方法で脅して、咲季を退院させるって選択肢しか選べないようにしてやるのがベストなんだけど……、その正論パンチの部分が全然思い付かなくて」
なんせ生命の関わる話だ。人によって意見は様々。
僅かな可能性も無い延命治療を本人の意志を抑えつけてまでやらせるのも家族の愛情だと言われれば他人は頷くしかない。
殺人=悪。といったような正解が無い。だからこそこの論点で戦えば平行線となる。
「それなら私、思ってる事が、」
赤坂さんが何か言いかけた時、ピロリロン!と定食屋の入店音みたいな爆音が突然鳴り響いた。
何だ何だと周囲を見渡したが、音源を辿るとどうやらこれはマンションのエントランスから来客があった時に鳴る音らしい。部屋の入り口近くに取り付けられた画面付きのインターホンがエントランスの景色とそこにいる誰かを映し出していた。
赤坂さんが「お客さん?」と首を傾げて立ち上がり、インターホンの前へ。そのボタンを押すと、
『すみません。わたくし灯火病院の櫻井という者ですが、赤坂結愛さんにお話があって伺いました』
聞き慣れた声が聞こえた。
「櫻井さん?」
何でこんな所に。思わず立ち上がって赤坂さんの後ろから画面を覗いた。
画面に映っていたのは間違いなく櫻井さんだった。赤坂さんに目配せされる。
「…………私の思ってる事、もしかするとこの人なら解説してくれるかも」
「……は?」
「おじさんの攻略、もしかしたらすんなり出来ちゃうかもしれないって事よ」
目を点にする俺へ、赤坂さんはにこりと口に弧を描いた。
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