第四十話 本当の理由


 電車に乗って揺られること約30分。陽が傾き始めた17時頃。

 俺はまた灯火市に戻ってきていた。

 俺が住んでた家には行かず、駅から15分ほど歩いた場所にある閑静な住宅街へ。その中に紛れた、二階建ての小さいアパートの一階。その奥に歩を進めた。


『菊池』


 掠れた文字でそう表札に書かれた扉の前へ。中学の時から引っ越してはいないようで安心した。

 周りが一軒家に囲まれていて、地面に雑草が生い茂っている、薄暗い場所。

 そこが菊池の家だった。

 鞄の中に入れた菊池の日記の存在が一層強く感じる。



『上級生にも先生にも物怖じしない鮮烈な姿に勇気を貰いました』


 日記に記された最後の内容は予想だにしないものだった。

 あの時の俺から勇気を貰っていただなんて、そんな事考えもしなかった。

 迷惑ばかりかけてた。優しくも無かった。寂しくてイキっていただけの不良モドキ。そんな奴が人に何かを与えていたなんて誰が思う。


 最後の日記の日付は9月13日。忘れるはずもない、菊池が死んだ日付。


『今日、私は一歩を踏み出そうと思います。

 全部断ち切って、終わらせます』


 日記を見るに、あの日に菊池は何かをしようとしていた。何なのかは分からない。だけどその文章から、自ら死のうなんて意思は無いように感じた。ならば、菊池はなんで死んでしまったのか。

 そして赤坂さんのあの言葉、


『アキ君は悪く無かったの』


 俺が悪く無かった?なら、

 それを知っているのは、赤坂さん以外には、彼女に菊池の日記を渡した菊池の家族しかいないだろう。

 何故赤坂さんが直接言ってくれなかったのか疑問だが、元々そういう思わせぶりな奴だし。

 まあ、もしそこに理由があるとしたら、俺と菊池の家族を引き合せるため……とかな。意図は読めないけど。


 ともかく話を聞かない事には何も始まらない。死にかけていた心が早鐘を打ち、「知りたい」と願っていた。そこに俺が求める何かがある気がしたから。


 緊張で汗ばむ手で、インターホンを鳴らした。


 数秒待つが、誰も出てくる気配は無い。もう一度インターホンを鳴らした。結果は同じ。

 どうしたものかと考え、ふと気づく。スマホを取り出して時刻を見た。

 馬鹿か俺は。まだ17時じゃないか。菊池の両親が働いているなら平日のこの時間に帰っているのは可能性として低いだろう。


「頭回ってないな俺」


 自嘲するように呟いて一旦この場を離れようと……


「うちに何か用っすか」


 踵を返したところで、声がかかった。

 視線を向けると、アパートの入り口に男が立っているのに気づいた。

 俺と同い年か、年齢差があってもプラスマイナス二、三歳くらいの見た目。

 170くらいの身長に、癖っ毛気味の短い髪。そして、全てが敵だと言わんばかりの鋭い目。

 なんとなく誰なのかは察しがついた。

 菊池は以前弟がいると言っていた。中学の時に謝りに行った際は見なかったので完全に初対面だが、ほぼ間違い無いだろう。


「突然すみません、俺、片桐秋春って言います。菊池霞さんの中学時代の、えっと……」


 中学時代の何て言おうかと考えていると、男は警戒心剥き出しの顔から少し表情を崩し、


「……片桐?」


 値踏みするように俺を数秒見つめた。

 やがて視線を外して、俺を通り越して家のドアに鍵を差し込む。


「え、あの」


 流石に戸惑って声をかけると、男は振り返って流し目。


「いいよ。入って」


 多分俺が誰なのかは察した様子だ。

 どうやら歓迎とはいかないながらも迎え入れてくれるらしい。



 # 



 室内はよくあるワンルームの造りだった。

 玄関をくぐるとすぐ右側に洗面所。左にトイレ。そしてまっすぐ進んだ先がリビング。


 リビングにはダイニングテーブルと、左端に二つの勉強机。そして右端に小さな仏壇があった。

 仏壇に写っているのは、菊池だった。

 ぎこちない笑顔。背景はどこかのゲームセンターか何かだろう。画像も少し粗く、無理矢理切り取って拡大したような感じだ。


「霞さんに、手を合わせても良いですか?」


 男は「どうぞ」とぶっきらぼうに言ってさっさと冷蔵庫の方へ行ってしまう。

 お言葉に甘え、俺は菊池の写真の前に腰を下ろして正座した。


「……あ」


 そういえばこういう時って線香を焚く所からするんだろうか。無宗教だから全く分からない。というか線香の焚き方さえ分からなかった。


「あの、線香焚きたいんですけど、どう焚けばいいでしょうか?」


 分からなかったので、恥を忍んで訊いた。


 冷蔵庫から水の入った2Lペットボトルを取り出していた男はきょとんとして俺を見た後、何故か少し笑んだ。


「姉さんを虐めてた奴のセリフにしちゃあ間抜けだね」

「っ」

「冗談だよ」


 男――今ので確信を持った。菊池の弟だ――は肩をすくめると、こちらに歩み寄り、仏壇の側に置いてあったビニール袋の中からチャッカマンと蝋燭ろうそくを手に取って、二つの蝋燭を仏壇の両脇に置き、着火した。そしてその蝋燭の火に線香を雑に突っ込み、火が移った所で香炉に刺す。

 そして俺の脇に正座し、手を合わせた。

 俺もそれに倣うように手を合わせる。

 数年越しの感謝と、懺悔と、謝罪を込めて。


「それで、何の用?」

「え?」

「今更手を合わせに来たんだ。何か理由があるんじゃないの?」


 菊池弟は胡座あぐらをかき、友好的とも敵対的とも取れない無愛想さで俺に接する。

 殴られたりするのを覚悟してた身からすると少し不思議というか、戸惑った。


「これ、返しに来ました」


 鞄の中からノートを取り出して菊池弟の前に差し出した。

 菊池弟はそれを見てすぐに何なのか気付いたようだ。受け取り、開く。


「姉さんの日記?お袋があんたに?」

「いや、赤坂さんから渡されて」

「あぁ、赤坂さんが」


 ペラペラとページを捲り、閉じる。


「これ最後まで読んだの?」

「はい」

「……俺のが年下なんだから敬語はやめてよ。姉さんの真似されてるみたいで腹立つ」

「…………ごめん」


 菊池の名前を出されては何も言えない。すぐに口調を変えた。


「で、読んだんだっけ?」

「ああ」

「そっか」


 菊池弟はそのまま何かに思いを馳せるように菊池の遺影を見つめた。

 数秒経って、


「あんたさ、今幸せ?」

「…………は?」


 何だいきなり。


「どうなの」

「どうって……手放しに幸せとは言えない、としか」


 俺の煮え切らない答えに菊池弟は「ふぅん」と俺の顔をまじまじと眺めた。

 次いで、日記へと目を落とし、呟く。


「実はさ、僕とお袋は、この日記に僕達への恨みつらみが書いてあると思って、最近まで開いてすらいなかったんだよね。だからあんたが姉さんを虐めて死に追いやったって最近まで思ってた」


 菊池弟は日記の最後の方のページを開いた。


「でも、日記に書いてある片桐さんの事、凄い楽しそうに書いてんだよね。字が弾んでるってゆーか……、ねぇ、本当は、姉さんとどういう関係だったの?」

「ん……」


 どんな関係だったのか?

 言われてみると適切な表現が出てこなかった。


「知り合い以上友達未満って感じだったと思う。偶然出会って、何となく話すようになって、最後には、何でか誰にも話した事無いような悩みも打ち明けてた」


 今考えても奇妙な関係だったと思う。

 周りが俺達の接点を考えた結果、虐めていたなんて話をすぐに受け入れてしまう程には奇妙だ。


「だから俺はあいつに感謝はしても、悪意なんて無かった。周りにその事を言っても信じてもらえなかったけど」

「僕達もその内の一人と」

「え、いや、そういう事言いたかったんじゃなくて……ごめん、無神経だった」

「いいよ別に。実際、そう言われたって信じはしなかっただろうしね。この前までは」


 そう言って菊池弟はチノパンのポケットからスマホを取り出して何やら操作する。少しして、画面を俺に向けてきた。


「あんたはこれ知ってる?」


 表示されていたのはニュースサイトの記事。記事の日付はつい最近の7月5日、数週間前だ。

 見出しには他県の中学教師の生徒に対する淫行がどうのと書かれていた。

 目にした事の無いニュースだ。いや、あったとしてもこういう事件が多過ぎて記憶に残っていないだけか。

 俺が首を振ると、菊池弟はスマホを地面に置き、


「じゃあ、知らないんだね。姉さんが死んだ本当の理由」

「…………」


 予期せずして、今一番知りたい事が話題に上がった。

 俺は今どんな顔をしているのだろう。少なくとも昨日までの死んだような顔では無いと思う。


「知りたい?」

「ああ」


 即答した。

 すると、見間違いだろうか。

 俺が強く頷くと、一瞬だけ、菊池弟はどこか嬉しそうに薄く笑ったように見えた。

 そして、一つ息を吐いて語り始めた。


「今見せた記事の糞教師は、金渡して職場の生徒と何人もヤリまくって、それがバレて警察に捕まったんだよ」


 つまり援交か。今じゃパパ活とか言われてる。名前が変わろうが、変わらず気持ち悪い。


「で、取り調べしてる内に色んな余罪が明るみになったんだって。援交とか痴漢とか盗撮とか、今と昔の職場合わせて何件も」


「で、この糞野郎の前の職場が、灯火中学」


 灯火とうか中学。知らない訳が無い。それは俺が通っていた中学の名前だ。


「灯火中学三年八組担任の数学教師。ちょうど姉さんが三年の時のね」


 嫌な予感がした。

 もう頭の中では分かっている。一つの線で繋がっている。

 けど、理解するのを本能的に避けている。


 いや、当時から薄々そうじゃないかと思っていたんだ。けどそれが本当だとしたら、社会も人間も何もかもが信じられなくなりそうだったから、気づかない振りをしていたのかも知れない。

 だけど今は、目を逸らさない。逸らしたくなかった。


「当時、その糞教師のお気に入りだったのが、姉さんだった」


 忌々しげに、菊池弟は手を強く握る。

 俺も、自然と唇を噛んでいた。


「姉さんは援交してた。相手は、あの中学の教師共だった」



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