fragment 4 秋春の章(六)
#
「片桐君何かあったの?」
「は?」
「あ、や、その、そういう顔、してるから」
結愛姉ちゃんと話したその日の放課後。
外が超暑苦しいのを分かっていながら、中庭に掃除道具を持って向かい、掃除をしていたところ、中庭のうさぎ小屋に居座ってキモい笑いを浮かべていた菊池に突然言われた。
本日二度目の指摘に驚く。やっぱり俺、顔とか態度に出やすいやすいのか?
「ま、色々な」
菊池を背に、動揺を隠しつつ適当に掃き掃除をしながら返事。
ていうかこいつ普段はいつもうさぎ小屋にいるのかな。友達いないのか?
「私で良ければ話聞くよ?」
「……は?なんで?」
予想外の返しをされ、思わず作業の手が止まる。
後ろを振り向いた。
「『ぴょん吉お姉ちゃんが何でも聞いてあげるわよー』」
「…………………」
見下ろす先には、しゃがんだ状態で茶色のうさぎを眼前に掲げ、その腕を器用に動かし、腹話術モドキを披露し始めた菊池の姿があった。
「……あ?」
「『話すだけでも楽になるものよー』」
「あ?」
「『ら、楽に……』」
「…………」
「ご、ごめんなさい。調子乗りました。だからそんなに威圧しないで……」
キモい裏声を止めてうさぎを腹に抱えるように蹲り萎縮する菊池。耳まで真っ赤である。
そんな恥ずかしがるんならやるなよ。
「いや急にビビるわ。なんだよ今の」
「げ、元気出るかなって思って」
「出ない」
「うぐっ」
菊池は俺の一刀両断にさらに肩を落とした。
「菊池ってズレてるよな」
「や、この子達の可愛さ見たら元気出るよ普通!ねぇーぴょん吉ー!」
頬をゴリゴリ押し付けられ、暴れるぴょん吉。
ていうかスルーしてたけどそいつ
「と、ともかくっ!え、えーと、その。過程はどうあれ、私を助けてくれたじゃないですか。だから、ご恩返しと言いますか、お礼参りと言いますか……」
お礼参りは神社とか回るやつな。
それか俺に報復でもする気かこいつは。
……まあ、なんにせよ、菊池の真っ直ぐに見てくる瞳はその本気の程を示していて。
「まあ、いいか」
つい、そう思ってしまった。
「俺の兄妹、妹が一人いるって言ったろ」
「ふぇ?」
「あ?言ったよな」
「うん……それは聞いたけれど……、あ、う、うん!」
言ってる途中で俺が悩みを吐き出す気になったと悟ったのか、ぴょん吉をうさぎ小屋に戻して鍵を閉め、こちらに向き直る。
まあ戸惑うのも無理ない。俺も内心、会って間もない奴に話していい内容なのかと思っている。
だが、逆にその希薄な関係がある種の安心感をもたらしていた。
話したところで特別どうにかなるわけでもない。関係性が変わる事も、無駄に心配させる事も無い。
何より、菊池のその愚直なまでの真摯さが「こいつになら話してもいいか」と、そういう気持ちにさせてくれるのだ。
だから、少しの躊躇いの後、それを口にした。
「……そいつと父親違うんだ」
「え?」
「母親の前の恋人の子供なんだよ、俺。つまり俺と妹は父親違いの兄妹ってわけ」
なるべくあっさりと簡潔に言った。
別に何かを言ってもらいたくて吐露してるわけじゃない。菊池の言う通り、話すだけでも楽になると思ったからだ。
「その前の恋人ってのが屑でさ。母親が妊娠したって分かった途端に行方くらまして逃げたんだって。ま、遊びだったんじゃねーかな。母親はそれがすげーショックだったらしくて、ずっと引きずってんの」
「あ、え?え、えっと、じゃあ今、お父さんは……」
「母さんが俺を産んだ後パート先で恋愛して結婚して、今はちゃんとまともなのが居るよ。IT系の副社長」
「そうだったんだ」
「で、すぐに専業主婦になって、その後産まれたのが妹」
「そう……」
この時点で、菊池は既に表情を曇らせていた。母さんの境遇に対してのものか。なんにせよ心が綺麗過ぎるなと苦笑。
「……ちょっと複雑だけど、仲良くやれてるんだよね?」
「まあ、妹とはな」
自然と含ませた言い方になってしまった返しに、菊池は顔を強張らせる。
構わず、俺は内に溜まったヘドロのような感情を吐き出すように、
「〝秋春を愛せない〟」
「え?」
「ある時偶然母さんの口から聞いた言葉。俺を見る度に自分を裏切った恋人を思い出すから、ムリなんだと。母親のセリフじゃねーだろ?」
皮肉って笑ってみせる。
「昨日なんか「誰に似たのかしらね?」とか睨んでくんの。どうかしてるわマジで。な?」
「……………」
「父さんもかなり体面気にするタイプだから俺みたいに好き勝手してるやつは好かないみたいだし。ホント家に居づらいっつーか……」
内心では笑えていないのに、口に弧を描いてしまう。口調も矢継ぎ早になって、つい喋りすぎる。
家での恨み辛みを吐き出すというのが久し振りだから、その行為に酔っているのかも知れない。
だから、菊池がいつの間にか俯いているのに今になって気づいた。
「あ、気ぃ使って何か答えなくていいからな。特に何かを求めて話したわけじゃねぇし」
「…………………」
「……菊池?」
「……っ、……ひっく」
菊池は返事をせず、ただ俯いて、ひたすらに自分の目元を手で拭っていた。
「ん?……へ?ん!?」
一拍遅れて、菊池が泣いているのだと気付いた。
「な、なんで泣いてんだお前……!?」
慌てた。
敵意をもってクズ共に当たって泣かせてしまった経験ならあったが、普通の女子が何もしてないのに突然目の前泣き出した経験なんて無かったから。
「だ、だって……だって……そんなの悲し過ぎるからぁ!!」
「あ、あぁっ?」
「片桐君は……っ、悪くないのにぃ……!」
「え、えぇ……他人の不幸話でそんな、泣くか……?」
「だから、片桐君が……こんなに、なっちゃったんだって、思ったらぁっ……!」
「いやこの流れでディスってくるお前すげぇわ」
最早お約束と化してる気がする俺へのディスりに脊髄反射で突っ込んだ。
まあ今までの経験から悪気は無いのだと分かるが。本人首傾げてるし。
「く、はは」
自然と、笑いが込み上げた。
なんだか急に毒気を抜かされた感じだ。
菊池のオーバー過ぎるリアクションか、それとも急にディスってきた事によるものか。
ともかく、悩んでいた事が馬鹿らしく思えてきて、笑えてきてしまったのだ。
本当に変なやつだ。
「なんで笑ってるんですかぁぁ!」
「いや……、悪い、なんか笑えてきて」
「なんでよぉ!」
……いや、違うか。
多分嬉しかったんだ。
俺のためにこんなに泣いてくれる奴なんて初めてだったから。嬉しくて、笑えてきてしまったんだ。
「ああ、ホント」
こんな時間が続けばいい。
悔しいけど、そう願ってしまうくらい救われた気分になった。
「ありがとな」
「なにがぁ~~!!」
# #
白状しよう。俺は掃除をするという口実で、うさぎ小屋に足を運び、菊池と話すのを楽しんでいる節がある。
別にあいつが異性として好きとかそういう話ではない。
ただ純粋に、この距離感が好きなのだ。
他人よりは近くて、友達と言うには遠い、曖昧な関係。
そういう特殊な関係性だから、込み入った事も気軽に話せる。気兼ねも何も無く、あっさりと。
だから話していて楽だし、どうでもいい愚痴のようなものも吐露できてしまう。
まあ、新手のストレス発散みたいなものだ。実際、最近苛ついて誰かに噛み付くような事も減っている自覚があるし。
だから今日も罰の掃除をしながら、放課後にいつも菊池が居るうさぎ小屋へと向かっていた。
放課後になってまだ時間が経っていないから、廊下や通り過ぎる教室の中にはまだ生徒がいくらか残っている。
机の上に座った奴の周りに集まって駄弁る女子。廊下で鬼ごっこじみた遊びをしてはしゃいでいる男子。放課後にどこで遊ぶか笑いながら話す男女のグループ。
今までそんな景色の一部に自分が入ることなど想像もしていなかったが、傍から見れば場所が特殊なだけで菊池と駄弁っている最近の俺もあいつらとなんら変わりはないだろう。
別に見下していたわけじゃないけど、自分がと思うと少し気恥ずかしい。
だって女子とばっか喋ってるって、なんかダサくね?どうなんだそこ、世間的に俺どう映んの?
考えつつも足は迷い無く進み、目的地へ。
「…………あれ、いない」
しかし、うさぎ小屋の前には誰も居なかった。てっきり今日もクソ暑い中しゃがんでフェンス越しにうさぎへキモい視線を浴びせていると思ったのだが。
「まあそういう日もあるか」
少し消化不良のような気分になりつつ、蝉共の鳴き声をBGMに適当に掃除を済ませ、下駄箱付近の掃除用ロッカーに箒とちりとりを戻す。
教室に置いてあるバッグを取ってくるため再び校舎の中へ。
だがなんとなく菊池が居なかったのが気になり、足がこの前の教科書が捨てられていたトイレの方へと向いた。もしかしたらまた何かを捨てられたのではと思ったのだ。
渡り廊下を歩き、人気のない南校舎へ。
あのトイレは一階だからすぐにたどり着くことが出来た。家庭科室のすぐ隣。放課後になってもやはりほとんど人気は無い。
そして案の定菊池の姿も無く、まあそうだよなと踵を返した。が、
「きゃあ!?」
女子トイレの方から大声。
振り向くと、あの女共(菊池を虐めていた女ABだ)が慌てた様子で出てきた。
「やば!」とか「ウソでしょマジ!?」とか叫びつつ、俺の横を抜けてを走り去っていく。
「あ?なんだあいつら」
かなり焦ってたな。何かあったのか?
自然と女子トイレに意識が向く。
この前教科書が捨てられてあったトイレ。そこ(と言っても隣だが)から出てきた虐めの主犯共。うさぎ小屋に居なかった菊池。
嫌な想像が働いてしまう。もしかして虐めはまだ終わっていなくて、女子トイレで菊池を水責めにでもしていたんじゃないだろうか。
それにあいつらが走り去ったとき、「菊池」という単語を口走っていた気がした。
疑いたくなってしまうのも仕方ないだろう。
俺は女子トイレの前に立ち、
「菊池ー?」
名前を呼んだ。
しかし何も返ってこない。
「おーい、いねーのー?片桐だけどー」
返ってくるのは外で鳴く鬱陶しい蝉の声だけ。
その後も何度か呼ぶが、結果は同じだった。
……やっぱ俺の勘違いか。
大方トイレが詰まって逆流して汚水が溢れだしたとかそんなオチだろう。この学校のトイレ古いから結構あるあるだしな。
そう思って自分の教室へ向かおうとしたその時、複数人が走ってくる足音。振り返ると、さっきの女共と、それに加えて女教師が廊下の向こうからこちらへ走ってきていた。
不自然に女子トイレの前に立つ俺に教師は怪訝そうな顔をしたが、「先生早く!」と女共に急かされ、中へ。
そして――
「ひっ!」
悲鳴を
「き、きくち……さん…………」
教師が、言った。
決定的な言葉。そしてその声色から察せられる異常事態。
体が勝手に動いていた。
女子トイレがどうとか、そんなのは頭から抜けていた。ただ、直感したものがただの妄想に過ぎなかったのだと安心したくて。入り口でオロオロしている女共を押し退けて中へ入った。
入って目についたのは、奥の個室の前で茫然としている教師。個室を開いた手が震えている。青褪めた顔は目を見開いたまま固まっており、まるでこの世ならざる何かでも見てしまったかのようだ。
やがて教師の手の力が抜け、腕が下がり、がたん、と扉が閉まった。
その様子に、どうしようもなく危機感を煽られる。
数秒の間。
「ひ――うっ」
教師は床を見て口元を押さえ、後ずさった。
俺の視線も誘導されるように床へ。
ツー、と。
何かが床のタイルを流れていた。奥の個室から、一筋の線を描き、鉄錆のような臭いの何かが、
伝って、
伝って、
伝って、
俺の上履きを赤く濡らした。
「っ!」
俺は教師を強引にどかして個室のドアを乱雑に開いた。
「――――あ」
菊池がいた。
赤く濡れた、菊池がいた。
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