第十話 セーブ・ジ・イモウト


 手に血が付いていた。


 それが自分のものなのか、それとも目の前のこいつのものなのか。

 判然としないまま、拳を振り上げる。


 人を殴っている。


 二年近く悪ぶって暮らしていればそれなりに人を殴る機会というものに巡り合うものだ。だが、これほどまでに明確な悪意を持って誰かを殴るのは初めてかも知れない。


 貶められ、穢され、壊された事に対する怒り。そしてそれを自分が容認してしまっていたという嫌悪感。

 それが重なり、どす黒い感情が俺の頭を覆った。

 その感情が指向性を持ち、目の前のこいつを殴りつけるという行為へと至らしめている。



 そう、これは殺意だ。



 俺はこの人の皮を被った化け物を殺すために、ただ感情のままに身体を動かしている。

 死ね。死ね。死ね。と、呪詛の言葉を紡ぎ、さながら儀式のようにそれを繰り返している様は傍から見れば異様以外の何者でも無い。


「ちょ、何してんの片桐!」


 耳朶に響いた誰かの声。

 同時、身体を後ろから羽交い締めにされる感覚。

 目の前の悪魔が離れていく。

 俺はそれが許せなくて、押さえつけられる力に力任せで抵抗した。

 まだ俺はこのクズを、辻堂を殺せていない。


 しかし上手く力が逃がされ、抵抗は虚しく終わる。

 だから発散出来ない負の感情を吐き出すため、叫んだ。


「お前は…なんでそんな事して、平気な顔してやがる!なんでいつもみたいに笑っていられる!」


 仰向けに倒れた辻堂はゆっくりと上半身を起こし、口元の血を拭った。

 そして忌々しげに、


「あー、痛ってぇなァ……これどっか折れてるだろぜってー」

「辻堂!!」

「うっせえな脳筋、さっきも言っただろうが。俺は何もしてない。頼ってきたのはアイツだし、決めたのもアイツ。だからその後どうなろうがオレの知ったことじゃねェんだよボケが」


 罪の意識など微塵も抱いていないような声色。事実そうなんだろう。

 憎しみが増した。


「ふざけんな屑野郎!お前のせいで、お前のせいで!!」

「オレのせい?はぁ?何言ってんのお前?」


 辻堂は小馬鹿にした態度で立ち上がり、嫌らしい笑みを浮かべた。


「お前だって止めなかっただろ?」


「っ!!」


 言葉を失った。


「自ら望んでやってる事だから。そう言ってオレがやってる事に不干渉だったろうが。ああ?」

「……………!」


 図星。

 その通りだ。

 自分で望んだ事なのだから、何か起きたとしてもそいつらの責任。そう考え、辻堂がやっている事に嫌悪感を抱きながらも止めようとはしなかった。

 それが自分の周囲に及んだ瞬間初めて事の重大さを思い知って、途端に辻堂が許せなくなった。

 俺は止める事が出来たかも知れない。辻堂がやっている事を知った時点で動いていれば、あいつをあんな目に遭わさずに済んだかも知れない。

 だから、


「お前も同じだよ、クズ野郎」


 全くその通りだと思う。

 その通りだと思うから。


 屑は屑なりに、お前みたいなやつを殺してやらなくちゃいけないんだ。


「おい!何をやってる!」


 辻堂を殺してやろうともがく俺の元に、教師達が群がってきた。

 人数に圧倒され、抵抗虚しく辻堂から距離を離される。


「今度は喧嘩…。これ以上面倒を起こさないで欲しいですよ…」「また片桐か…」「さっさと捕まっちまえばいいのに」「もう学校来んなよ」


 いつの間にか野次馬のように集まった教師や生徒の声。


 耳障りなそれらの中、辻堂の笑い声に似た無機質な声だけがはっきりと聞こえた。


「なぁ、片桐ィー」


 恐ろしいまでの冷たさを宿して。


「この借りはちゃんと返してやるから」



 # # #






 悪夢にうなされて目を開けると、白い壁が目に入った。


 一瞬咲季の病室かと思ったが、違う。それよりも倍以上大きな空間。そこにいくつかの大きな丸机と椅子が置いてあり、幾人かが座って資料を広げて難しい顔をしている。

 それでいて喋り声がほとんど聞こえない、静寂を保った場所。


 意識がはっきりしてくると共に、ここがどこかと言うのもはっきりと分かってきた。大学の自習室だ。


 自然の多い土地に建てられ、無駄に広い敷地を持つ俺の大学は12の館に分かれており、円を描くように校舎が並んでいる。その内の中央にある8号館と呼ばれる建物の五階にこの自習室はある。


 城ヶ崎と凛とバイキングに行った日から三日。俺はいつも通り大学で講義を受け、その休み時間や講義の無い空き時間に、そろそろ近い試験の勉強をこの自習室で淡々とやっていた。…のだが、どうやら途中で寝落ちしてたようだ。


 咲季とのデートのスケジュール調整は来週までかかるらしい。

 櫻井さんからそう聞いた俺は、とりあえず今は勉強に集中しようと、咲季のお見舞いに行くのも中断し、一日のほぼ全てをそれに費やしている。

 大学生は遊ぶかバイトかの二択なんて咲季は言ってたけど、それが当てはまらないやつも存在するのだ。

 実際、今いる大学の自習室で周りの学生はほとんど机に向かって教科書を広げて難しい表情を浮かべている。

 単位がかかっているんだから、必死にもなるだろう。

 カンニングも、頼まれてたまにするっちゃあするが、それは監視が甘い講義の試験だけ。今やってるのはそういうカンニングが挑めない講義の勉強だった。

 まあ単位をそもそも諦めているやつは勉強そっちのけで遊んでいるが、俺の場合はそうもいかない。

 大学の費用を父さんが出してくれてる以上、単位を落として留年なんて出来ようはずがなかった。

 父さんは世間体のために俺を大学に進学させている。怠慢は許されないだろう。


 …そんな事を考えて、ふと傍らのスマホを見ると、メッセージアプリの表示が。

 なんとなしに起動すると、


《大学の休み時間にどぞ!癒される事間違いなしやでぇー》


 というウザいメッセージと共に送られたきたURL 。

 そこにはよく分からんゲームのダウンロード画面が。

 タイトルは、


『セーブ・ジ・イモウト』


「………………」


 差出人はもちろん咲季。

 既読スルーすると面倒な事になるので返信。


《なにこれ》


《神ゲー》


《題名からしてもうにおってくるんだが》


《神の香りが?》


《クソの臭いが》


《お前制作者に謝れ土下座しろ》


 下らないやり取りの後、結局プレイしてやる事にになった。


 どうやら専用のアプリを入れないとプレイ出来ないみたいなのでそれをアプリケーションのダウンロードストアで探して入れてみる。

 大学には学生だけが使えるフリーWiFiがあるため、難なくそれが行えた。

 ……のはいいんだけどホント急に何なんだあいつ。

 咲季は特に言及していなかったが、おそらくこれはあいつが作ったゲームなんだろうと思われる。タイトルのアホさ加減でなんとなく分かった。あいつにゲーム制作の能力があったのに驚いたが、それ以上に急になぜ自作のゲ-ムをやらせるのかが謎である。


 …まあただの思いつきってのが濃厚だけど。


 兎にも角にも、一旦教科書等を閉じてからゲームをダウンロードし、アプリを起動してプレイ画面へ。


 荘厳なBGMと共にプロローグが流れ出した。


 それを要約すると、主人公は勇者アキハール。強大な魔力を持った聖女の妹、サキーヌがその魔力故に魔王に見初められて攫われてしまい、それを救い出すために旅をするというストーリー。

 見た感じ、ドット絵時代のドラクエみたいなRPGっぽい。


「………」


 完全に勇者が俺で妹が咲季だよな。とツッコむのは野暮だと思うのでスルー。ゲームを進めていく。


「ま、勉強の息抜きにはいいかもな」


 呟きつつ、定番の王様から軍資金と最初の装備を貰い、早速街の中を探索。

 …ほぉ、意外と作りこんでいやがる。

 家の中の壺や本棚一つ一つにテキストがちゃんとついていて、アイテムも時々入手出来たりした。


 以前RPGを作るゲームを触ってみた事があるけど、結構こういう細かい所って手間なんだよな。

 それを惜しまないで作りこんでるあたり、我が妹は凄いんじゃなかろうか。

 思いつつ今度は村人に話しかけようとした所で、


「あれ、片桐くん!」


 扉が開く音と、高い声。


「自習室で会うと思わなかったー、ビックリ〜」


 聞き慣れたそれに、微妙な気分となって顔を上げた。

 そこにはやはり、強化外骨格みたいな笑顔の染谷そめたに。隣に細田がいた。


「……うーす、細田も一緒なんだ」

「オレがいたら悪いみたいな言い方だなぁ」

「いやそんな事ないよ被害妄想」


 軽口を言い合い、俺はスマホをスリープモードへ。


「片桐はゲーム?自習室で」


 俺の横に付き、冗談混じりの責めるような口調で、細田。

スマホ横にしてたから分かるか。


「息抜きでな。みんなやってるだろそんぐらい。むしろ授業中やらないだけマシ」

「わたしやってるー」


 染谷は愛嬌のある仕草で手を上げつつ、俺の正面の席に座った。


「田中の授業でやったらすんごい怒られるからやめなよ?」

「あ、知ってる。ナナちゃんスウィッチ没収されたんでしょ?中学校かよーって思ったぁー」

「ね。ナナちゃんわざわざあいつの部屋まで取りに行ったらしいよ?」


 仲睦まじげに身内ネタで盛り上がる二人。俺は大学でまともに喋るのはこいつらくらいのものなので、その話題にはついていけず、愛想笑い。


「細田たちはなんかのレポート?」

「レポートじゃなくて、文化祭実行委員の色々、かなぁ」


 独特の鼻声で、染谷。

 10月にある文化祭の準備とかだろう。


「あれ、それって染谷が入ってた気はするけど、細田も入ってたっけ?」


 薄い記憶を辿って質問すると、染谷は首を横に振った。


「ううん、こっちで一人しばらく大学休む人が出ちゃって、細田君はその穴埋めで手伝ってくれてるの♪」

「ふーん」


 細田の隣に行って肩に両手を置くという無駄なスキンシップ。

 へぇ、細田はそんな事までしてるのか。俺と同じで行事にあまり積極性が無いやつだと思っていたんだが。


 疑問に思って、ふと。

 今までの細田の行動を思い出し、全てが一本の線に繋がったような感覚を覚えた。


 なるほど。

 これはアレだ。細田が染谷の前でいい格好をしたいんだ。


 つまり、細田は染谷が好き。


 思い返せば細田は染谷の前だと様子が少し変だった気がする。

 ふーん。へーえ。


「頑張れよ細田」


 俺はそそくさと荷物をまとめて立ち上がり、細田の肩に手を置いた。


「え?」

「勉強、ちょうど区切りついたから帰ろうと思ってたとこなんだよ。じゃーな」

「えー、そうなの?」


 残念そうな染谷。

 もちろんこの後に講義が控えてるし、こいつらを二人きりにする方便だ。


「準備頑張って」


 俺はそのまま颯爽と自習室を後にした。



#


講義中で人通りが少ない中庭を進み、思う。

 …もし本当に細田が染谷を好きだったなら、普通に応援したい。友達とまではいかないにしても、一年前から俺みたいなのに話しかけてくれるやつらだし。

 染谷は生理的に受け付けないけど、色んな講義でこいつらに助けられてきたのは事実だから、単純に良いことがあればいいなと思える。


 俺は自分自身にそれを望めないから。望んじゃいけないと思うから。


 だからせめて、誰かの幸せを見ていたいと、そう思うんだ。



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