第5話 セクハラ野郎
大学から実家(俺は実家暮らしである)の最寄り駅へ電車で三十分ほど乗り継ぎ、駅近くの病院まで徒歩五分。
受け付けで色々と済ませてから階段を上がる頃には日が傾いてオレンジの光を放っていた。
病室の前に立つと、深く息を吐く。
多分中で咲季がおっかなびっくりな精神状態で待っているんだろうと思うと、目の前の扉がなんだか禍々しいオーラを放っているように見える。
錯覚だ。けど嫌な予感だけは確かにする。
《寝ないで待ってるね》
大学でレポートと小難しい授業を終えてスマホを見ると、そんな返事が表示されていた。
これで嫌な予感がしない方がおかしい。
とりあえず直接話さないと誤解が広がりそうだったので、返事は送らなかった。
「咲季、入るぞー」
返事は無い。
とりあえず室内に入った。
「………………」
ベッドまで近づき、目に付いたものが一つ。
布団にくるまって動かない塊。
咲季だ。
咲季は寝ていた。
「いや、おい」
思わずツッコミを入れて布団を引っ剥がす。
が、ピクリとも布団は動かなかった。何かに引っ張り返されてる感覚。
「なに、起きてんの?」
「……バッチリだョ」
片言の日本語が返ってきた。
「外国の方ですか?」
「ノーノー、アイムジャパニーズビショウジョチルドレン」
一瞬体調悪いのかと思ったけど、このふざけた文法の英語、余裕ありありだ。
それに…
「咲季、一つ訊きたい事があるんだけど」
ベッドの横のパイプ椅子に折り目正しく畳まれた服一式に目をやる。
咲季ならやりかねない行動を想像してしまい、とりあえず質問。
「えっと…何、お前今…マッパ?」
「大丈夫、下着は脱いでないよ!」
めっちゃ元気な声が返ってきた。
「大丈夫じゃねーよ、何が大丈夫なんだよ」
「下着を脱がす所からがエッチの醍醐味でしょ!もぅ、お兄ちゃんのケダモノぉ!」
布団の塊がクネクネとうねった。
凄いテンション高い。
正直引き気味である。
まじか、ほぼマッパか。
「あ、けどあれね、最初はやっぱり痛いって友達も言ってたのね?だから乱暴にはしないでね!ねっ!けどお兄ちゃん昨日こういう事無しでって言ってたのにすぐ破っちゃうなんて性に貪欲過ぎじゃないかなぁって思ったり思わなかったり!」
真実を言うのが怖くなるくらいのテンション。
だけど伝えるのは早い方がいい。
意を決して口を開いた。
「…あの、もう一ついい?」
「なになに!?」
「あの……やってみる?的なメッセージさ、あったじゃん」
「うんうん!」
「あれ嘘です」
「ふむふむ………ん?」
「…………………」
「…………………」
……………………………。
「……………………………………」
空気が凍った。
「…うそ?」
「うん、いや…正確には違うけど結果的にはそうって言うか…」
「……嘘なの?」
「えっと、俺が嘘ついたわけでは無くて、」
「…嘘なの」
「いや、その、」
「嘘なんだろ?」
「一概的には、……はい」
一瞬の沈黙の後、布団の塊が爆発した。
「嘘ってなんじゃボケぇぇぇ!!」
否、ほぼ裸体の妹が姿を現した。
特に気にした風でもなく、勢いに任せて下着姿を掲げ、ベッド上に立つ。
青空を思わせる薄水色の布が胸の動きと共ににぐあんぐあんと揺れた。
可愛さを演出しながらも意外と色っぽいデザインだ。具体的にどこが、と言われても答えに窮するけど。
いや何見てんの俺。
「これ、これ!お気にの下着!わざわざ着替えたの!可愛いでしょ!可愛いだろ!可愛いと言って飛びかかってこーい!!」
「あの……うん、なんて言うか、落ち着け?ここ病院内。公共施設内」
「何が悪い!」
「服着よう服」
「ディスイズジャパニーズワビサビ!」
「由緒ある日本文化舐めんな」
「夜這いは古き良き日本の文化!」
なんか良く分からん事を叫んでベッドに仁王立ちする咲季に気圧された。
しかしながら、こんな場面を看護師さんに見られたら大変な事になる。
こんな時は傾聴だ。相手に寄り添うような態度で咲季の平静を取り戻すのだ。
「落ち着いてください。さあ、まずは座って、アフタヌーンティーでも飲みましょう、ローズヒップティーでもいかが?」
「座りません」
「……どうして?」
「私は見せている。私の身体を。あなたが欲情するまで」
なんだその英語直訳したみたいな言葉。
「分かった。欲情しました。だから服着て腰を据えて話し合おう。な」
「……嘘つき」
あからさまに俺の一部分を見て落胆する咲季。
いや何見てんのこの妹。
顔と性別のせいで総合的に可愛さが勝ってるけど、やってる事セクハラオヤジと大して変わらないからな。
「ウルトラ嘘つき」
「…………………」
恨めがましい視線が俺にまとわりついた。どんよりとした雨雲を錯覚してしまうほどの雰囲気。
いつもは綺麗だと思う咲季の黒髪が顔にへばりついて海藻のように見えた。
「もうお兄ちゃんなんか変態巻きグソ野郎に格下げだよクソ野郎」
……これ機嫌治るのかな。
#
結局テンションが底辺まで下がった咲季は思い出したようにベッドから降りて無言で服を着て、ベッドの隅で不貞腐れた。俺も同時にパイプ椅子に座る。
俺が事の経緯――赤坂さんが関わっているという事は伏せたが――を話しても咲季はため息をつくだけで、今まで通りのアホな咲季に戻ることはなく。
なんだかほぼ赤坂さんのせいなのに罪悪感が湧き上がってきた。
「なんか、ごめん」
「別にいいよ。お兄ちゃんが悪いわけじゃないんでしょ。怒ってないよ」
「いや、別にいいよとか言いつつキレてるじゃん」
「キレてません。一人で騒いで馬鹿みたいだなー、恥ずかしいなーってだけです」
「声のトーンがキレてるんだって」
「声のトーンってなんだよ。お兄ちゃんはあれか、声帯品評家か?咲季ちゃんマイスターなのかええ?」
わかりやすくキレてる。
「だからごめんて」
「だから謝罪いらんて」
会話が平行線になってきた。
多分理性では分かっていても感情がすんなりとは収まらないといったところだろう。
昔から咲季はこういう
では、機嫌を取り戻すにはどうすればいいのか。
考えた末に出てきたのは、
「あ、そういえば咲季さ、有耶無耶になってたけど、結局他にはやりたい事とか無いの?」
不機嫌そうな表情が少し和らぎ、代わりに怪訝そうな表情が覗いた。
「何、急に?」
「昨日訊いただろ。お前誤魔化したけど」
「そうだっけ」
言いつつも、とぼけている風だったので覚えてるんだろう。
「言ってみなさい。お兄様が協力しよう」
「何急に」
「いや、償いの意味を込めてさ」
「えぇ…いいよ別に」
拗ねたような声。
だけどその言い様は、俺と付き合う以外にやり残している事があるのを物語っていた。
「………………………」
「……………………」
無言で見つめ合う。
沈黙が場を支配した。
目が泳いであちこちにいっている。言うか言うまいか迷っているといった所だろうか、逡巡が見て取れた。
数秒間そうしていると、やっと咲季の口が開いて、
「……と」
「と?」
「…………」
「…………」
「いや、やっぱりいい」
やっぱりいいのかよ。
「なんでそう気になる引き方をするんだ」
「だって誰かに解決してもらうものじゃないもん」
「解決?」
やりたい事と言うより、何かのトラブルなんだろうか。
気になったが、追求しても答えてくれなそうだったのでやめた。
「……んー、じゃあ、デートでもするか?」
「!」
咲季の目がひん剥かれた。
「ほ……ほうほう、でーと。デートですか。なるほどなるほど」
そして顔がニヤつき始める。
え、ちょろっ。
「まあ、そんな安直な提案で私が喜ぶと思ってるなら心外ですが?話を聞くだけならタダですし?聞くだけ聞いてみましょうか。さあ、話してごらんなさい」
物凄くいつものアホさ加減が戻っていた。
ちょろい。
考え無しに適当に言った事で元気を取り戻すとは、色々と考えた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「…詳しくは決めてないけど、来週か再来週の日曜辺りに外出許可貰えれば遊園地にでも…」
「ネズミー?ネズミーランド!?」
「近所の藍原遊園地」
「ちっ」
「え、今舌打ちした?」
「そこはランドだろ」
声のトーンの落差が半端じゃなかった。
もちろん悪い方向に。
「贅沢言うな。あんな高級テーマパーク金と時間がいくらあっても足らない」
「いいだろー!いい思い出になるだろー!」
俺の胸ぐらを掴んで勢いよく揺らす。
「あのな、あそこは友達同士で行くには楽しめるかも知れないけどな、デートで行く所としちゃ最悪だぞ」
「なんで?」
「デートってワンオンワンだろ。ランド待ち時間異様に長いだろ。その間大して景色が変わらないまま過ごすんだぞ。数時間。話題なんてすぐ枯渇するし、スマホに目がいく回数も増える。すると何か話題を探さなきゃと焦る。気疲れする。楽しい思い出じゃなくなる。はい最悪」
「御託はいーの!私はネズミーのカチューシャをペアでつけて写真撮って、暗闇のアトラクションでギューってしてチューってしてほしーの!」
胸ぐらを掴んで勢いよく揺らされる。
「チューしないから。事務所NGだから」
「そこはその場の雰囲気で有耶無耶にしてやるから安心しなって!」
早くも規約違反をしようとしてる咲季の頭に軽くチョップを叩き込んで、ベッドへ押し返した。途中「うふん」なんて気色悪い声を上げたのでデコピンを叩き込む。
「えへ、えへへへへ、でーとぉ」
すっかり機嫌を直した咲季。
楽しげなその姿を見ていると、提案して良かったなと素直に思えた。
「けどネズミーじゃなくて藍原遊園地な」
最後の一言でやたらブーイングが来たけど、まあ、良しとしようと思う。
#
咲季が眠いと言い出したので早々に病室から退散した俺は、病院の入口付近の自販機で缶ジュースを買って喉を潤していた。
日が完全に沈み、オレンジから紫に変わった空を見上げて「明日の講義面倒臭いな」なんて考えていると、横断歩道から目を引く二人組が歩いて来るのを見つけ、何となく注視。
高校生だ。しかも咲季と同じ高校の。二人組は男女で、衣替えを済ませた爽やかな夏服である。
どちらもルックスがよろしい。男は黒髪をショートツーブロックにしていて、高身長。いかにもクラスで上位の地位に就いている雰囲気。凛々しい顔からは自信が満ち溢れていた(ように見える)。
女はかなり小柄だが、キツそうな印象を抱く勝気な目をしている。ショートカットの茶髪はさらりと風に揺れて手入れを怠っていないのが分かった。特徴的な青い鳥を模したヘアピンが左耳の辺りでとめられている。
カップルかと思ったが、近付いてくるに連れて全くの見当違いだと言う事に気づいた。
「だから、ついてくんなって言ってんでしょ」
「いーじゃん、オレ、ちゃんと見舞いの品買ってきたんだぜ?」
右手に下げたコンビニ袋を女の目の前に掲げるツーブロ男。
「そういう問題じゃなくてさ、あんたの女漁りにこっちを巻き込まないでって言ってんの。彼女と別れたからって色んな娘に唾つけて回んなっての節操無し」
「いやいや、マジそんなつもりねーから!純粋に、オレ咲季ちゃんの見舞いとか行ってなかったなーって思ってさあ!」
「じゃあ見舞い品渡しとくから今日は帰って」
女は入口で立ち止まって振り向き、男に手を差し出す。
男は一瞬その手を眺めてから、
「城ヶ崎って肌綺麗だよな」
爽やかな笑顔でその手を取ってまじまじと見つめた。
女から表情が抜け落ちる。
「っで!!」
女が男の足を思いっきり踏んだ。
「何すんだよ!」
「るせーなセクハラ野郎!この調子でアタシの咲季に手ぇ出したらぶっ殺すぞ!」
「あぁ?こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって…」
男の表情に明らかな怒気が生まれ、女に迫る。
まさか手を出すとは思えなかったが、流石に剣呑になり過ぎだ。周りも二人の言い合いを遠巻きに注目している。
それにさっきからウチの妹の名前が出てくるし、他人事でもないっぽいんだよな…。
「勘弁してくれ…」
バイオレンスな事態は嫌いなんだけど、咲季が関わってるとなれば話は別だった。
「あー」
殴られたらやだなという緊張の汗を握り、缶をゴミ箱に捨ててから、俺は睨み合う二人の間へ入っていった。
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