第50話 なるべくゆっくり歩きましょう

 ごきげんいかがですか?


 もしかしたら、前に書いたことのリフレインになってしまうかもしれないのですが……


 当然のことながら、皆さんにはわたしの姿形も声の質も、さらには性格も、なにもかもが不可視なので(可視化されていたら、それは怖いですよ)、わたしというものを知る唯一の手がかりはわたしの文体、文章の内容から滲み出て来る雰囲気ですよね。どう思われます? わたしのこと。

 穏やかそうですか、それとも怖そうですか。

 美形でしょうか、お話にならないでしょうか。

 知的に感じます、バカ丸出しですか。

 いいキチガイでしょうか、ヤバい方のキチガイですか。

 ノーマルでしょうか、LGBT方面ですか。


 ちょっとくどかったですね。ただ二つばかりはすでにお教えしてますよ。それはわたしが大デブであることと、天使の歌声を持ち、いまだに、ウィーン少年合唱団と育成選手契約をしていることです。

 では、もう一つ、新しいことを発表しましょう。それは「わたしは世界でもトップクラスの短気で、昔でいうところの癇癪玉、今風に言えば『全世界を一瞬のうちに消滅させられる新兵器』を体内に抱えている」ということです。こればっかりは、生まれついて実母の腹から出て来たときに綴じ込み付録になってたものですのでどうにもなりません。これもわたしの宿痾の要因の一つでしょうね。


 子どものころは、自分でそれをコントロールすることは全く出来ませんので、ある意味、子どもなりに暴虐の限りを尽くしていました。一番記憶に残っていることは、何かの拍子に実姉に激怒していまい、手近にあった鉄製の茶筒を思いっきり投げつけたことです。その時は、たまたまウチにいた、ごく温厚な親戚のおじさんにこっぴどく怒られましたが、自分が泣いたり、謝った記憶は全くありません。


 年齢を重ねるごとに、自分をコントロールする術を覚え、自我の芽生えとともに、強烈な小心が形成されて来てそちらが優位になり落ち着いて来ましたが、残念なことに、まるで心中に恐るべき餓鬼畜生がはびこっているようにボンバーも完全消滅しきれずに熾火のようにくすぶり続けているのです。まあ、大爆発するのは十数年に一回くらいですし、暴力は絶対にふるいませんから、というよりも腕力0なんでね、ふるえないのですが、そんなわたしの必殺の武器はただ一つ、言葉ですね。相手に付け入る隙すら与えないマシンガントークに自分でもよくわからないような四字熟語や故事成語、ことわざ、ブロークン・イングリッシュなどなどを盛り込んで無理くりにやり込める……所詮喧嘩とは気力と気迫と野生の本性むき出しの凶暴さを表情と言葉に詰め込んで、先手必勝、常に相手の敵陣側で勝負すれば暴力抜きで勝てるのかしら? 今度、リーチ・マイケル相手にテストマッチしてみます。


 現代人は、なぜかは知りませんが時間に追われ、慌ただしく生きているように見えます。歩く速度も年々早くなり、いずれは、駆け足のことを徒歩というようになるでしょう。じゃあ、駆け足はなんと呼ばれるのか? 知らねえー。


 しかし、ある意味で茫々たる時間という宝物を持たざるを負えなくなったわたしは、あえて何事も、ゆっくり丁寧にやることを意識的に心がけています。なぜなら、わたしの本性は結構なせっかちさんで、サザエさんをも凌駕する、おっちょこちょいだからです。喋るスピード、何かしらの決断など、以前はなにもかもが即断即決主義だったのですが、それはかなりのリスクがあり、大失敗をして顔面蒼白たる後悔を皆さんに公開することもしばしば。このままエンリケ航海王子と共に黄海まで行っちゃおうかとも思いました。公海上を進みましてね。


 いま、一番考慮していることはタイトルの通り「意識的にゆっくり歩くこと」ですね。昔から、わたしのあゆみは「ドジでノロマな亀」だったのですが、その理由は「早く歩くと疲れるし、汗を掻くから」という大変シンプルなものでした。


 しかし、いまは少し違いますね。まず、姿勢を伸ばし、若干、肩もソリ気味、しかし上半身の力は抜きます。一方で下半身は大地に腰を据えた巨木の根のごとく、あくまでもどっしりと、そして多少大股でゆっくり歩きます。足音は一切立てません。お下品だからです。いかにも、昭和の大横綱双葉山のすり足のように足の親指で地面を握りつぶすような感覚で歩くのです。イメージ的には武蔵坊弁慶なのですが、ここはわたしの趣味嗜好によりあくまでも演者は中村吉右衛門でなければなりません。本当なら薙刀の一本でも持っていた方が様になるのですが、いやあ、さすがに七つ道具を全部持っていたら重すぎて歩けませんよ。それにですね、薙刀一本で十分に銃刀法違反でこれから歩いて行く先がどちらかの刑務所になってしまいますので、そこでなんとも恐ろしい雑居房なんかに入れられましたら、地上にある地獄を見せられて、最悪の場合、リアル「おかま掘られた」状態になるなんてこと、いまでもあるのでしょうか。


 混雑した場所などでは、対向者と肩がぶつかって、やるかやられるかのどちらかになりがちですが、ゆっくり歩いていると、相手側が避けてくださる確率が一気に高くなりますので、なんでしょう、無料でどこかのお偉いさんになったような気持ちになります。それに、なんとなく、普段の自分より、身体が一回り大きくなったように錯覚します。それがどうも、自分だけでなく、ほかの人も錯覚しているように感じられます。これは幻覚でしょうか?


 まあ、そのような感じで無料でどこかのだれかから様々なサービスを受けたような気持ちになりますし、心持ちも穏やかにやるので、なんとなく、周りの方々へも親切に出来そうで非常に爽快な心持ちです。なお、薬事薬価法などの縛りで「絶対に効果があります」とは口が裂けても言えませんので、まあお好きになさってください。

 ではごきげんよう。また勉強して来ます。

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