第9話 二日目の朝

 白いカーテンの隙間から、暖かい陽の光が差し込んでくる。好奇心に負けて無防備に窓の外を覗くと、朝の日差しが容赦なく目の奥を叩いた。


 とかく、お天道様ってやつはどうしようもなく誰にでも平等だ。それはこの世界でも変わらないらしい。


「さて、これからどうするか」


 刺激的な御伽の国に迷い込んで二日目。俺はこの世界に来て、最初の朝を迎えた。




「にゃへへへ〜……こんなにいっぱい……たべきれないれすぅ……ムニャ」


「……この娘は、毎回必ず夢の中で何か食べてるな」


 窓から振り向いた俺は、思わず苦笑してしまう。そこには、薄い掛け布団をこれでもかとはだけさせて幸せそうに寝息を立てる黒猫の童女、ラムの姿があった。


「にゅふ……とっれもおいしそうれすぅ……ムニャムニャ」


「……」


 その大量のよだれが熟睡によるものか、はたまた夢の中のご馳走に対するものなのかは定かではない。


「それにしても」


 俺はそばにあった長椅子にそっと腰を下ろすと、少し呆れた心境で周りに目を向けた。


「スゥー……スゥー……」

「んぅ、んん……」

「スゥ……ん……」


 そこには、三人の眠れる森の美少女(その内ひとりは一応美少年だが)の無邪気な寝顔があった。


「なんつーか、これはないだろ」


 ぼそりと呟き、俺は肩を落とす。昨日今日知り合ったばかりの得体の知れない男に、こんな簡単に自分の寝顔を拝ませる。はっきり言って、無防備を通り越してただの馬鹿だ。


 俺はぽりぽりと頭を掻きながら、また窓の外に視線を戻した。


「まあ、ここではそれが普通なのかもな」


 地元とは似ても似つかぬその風景を眺めながら、俺は一瞬前の自分の考えを改める。何の抵抗もなく年頃の男と同じ部屋で一夜を明かすなど貞操観念が低いとも思った。しかしここは俺の住んでいた世界とは違うのだ。なら元いた世界の価値観など紙くず同然。無用の長物だ。無価値な常識に囚われていては、この先この世界でやっていけないだろう。


「にしてもだ」


 だからと言ってこれはない。俺は心の中でもう一度そんなセリフを繰り返すと、いかがわしいと勘違いされない程度に彼女達の寝顔をちらりと見た。そして思った。


(……限りなく面識がない他人に対して、これは明らかに無防備すぎだ)


 この世界の基準がどうであれ、目の前の少年少女達に危機管理能力などが不足しているのは間違いない。それは昨日の『リザードマン』というモンスターとの戦闘を鑑みても明白である。


「しばらく子守でもしてやるか」


 俺はため息混じりに呟いた。不思議の国に迷い込んだのは自分。案内役を務めるのはこの美少女戦士ズ。その立ち位置はこれから先も変わらないだろう。しかし俺は、毛ほども危機感を持たずに無邪気な寝顔を披露する眠り姫達を横目に、自分のそういった認識が誤りだとは思わなかった。


「まあ、それはそれとして……」


 俺は少女達を起こさぬよう静かに長椅子から立ち上がる。そして色褪せたジーンズの尻ポケットから、湿気った瓦せんべいのような黒い物体を取り出した。


「……使い込んだ革財布って、何も入ってねえとこんなに見すぼらしくなるんだな」


 文字通り空っぽの財布を開き、俺は力なく息を吐いた。ちなみに中に入っていた前の世界の金やカード類は、どうせ使えないので怪しまれる前に残らず山に埋めてきた。


 これは余談になるが、昨晩は淳達の仕事の依頼人であるこの村の村長の計らいで、宿をタダで利用することができた。つまり、子供にホテル代を出してもらうという大人失格な事態はなんとか回避できた。しかし。


「どっちにしろ、あいつらに世話になってるのは変わらん」


 肩身が狭いという点では大差なかった。


「せめて自分の食い扶持ぐらいは、どうにか早く稼げるようにならんとな」


 切実な現状を噛みしめつつ、自分の尻をまるで圧迫しない頼りなさ全開のそいつをポケットに戻して、俺は部屋に設備された洗面所へと足を向けたのだった。

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