第7話 猫耳童女

「ハァ……ハァ……ハァ……」


 タッタッタッタッと。生物の足音らしきものが俺達の方に近づいてくる。ようやくもう一つの気配の主がご到着らしい。当たり前のことだが、俺はずっとそちらにも気を配っていた。あのリザードマンとは異なるもう一つの野獣の気配。その気配の主がすぐそこまで近づいて来ているのだ。


(……さて、どうするか)


 俺は考えた。ここは大事をとって自分が処理するべきか。それとも、また目の前にいる三人に任せるべきか。例えばもう一匹あれと同じのが出てきたとしても、俺なら余裕で瞬殺できる。だが、下手に手を出してこちらの戦力を彼等に知られた場合、俺は冒険士という奴らに目をつけられるかもしれない。


(……それ自体は別に構わないんだがせっかく友好関係を構築したこの世界の情報提供者達、もとい淳君ズに警戒されるような行動は今は極力避けなければ)


 俺は顎に手を当てて考える。


「しかしそうなると……」


 あの睡眠作用バツグンの迷勝負をまた特等席で観戦する羽目になる。俺は思わず頭を抱えたくなった。


「みなさ〜〜ん!」


 人の言葉⁉︎


「やっと追いつきましたですぅ!ゼェゼェ」


「……‼︎」


 俺は驚いた。なんと息を切らしながらついにその姿を現した気配の主は、俺の想像していたものとはまるで正反対の――可愛らしい猫耳の童女だったのだ。


 ◇◇◇


「何だあれ……」


 思っていたことを反射的に言葉に出してしまう俺。想像していたモンスターとはまったく異なる生き物。それは猫耳と猫尻尾を除けば小さな女の子にしか見えない。これは予想外だ。いくら人でなしの俺でもアレを殺るとなるとそれなりの覚悟がいる。


「やっと来たのかラム。遅いぞ」


「もう、ボクらでリザードマンを倒してしまったのだよラム」


「ふぇ〜、ごめんなさいですぅ〜」


「まあまあ。兄様もジュリさんも無事に終わったんだからいいじゃないですか」


 よし、ここは淳君達に任せよう。

 と思っていたら、どうやらの仲間だったようだ。言われてみれば、確かに彼等は会話の中でちらほらと『ラム』という名を口にしていた。


「きっとラムちゃんには、この険しい山道はまだ早かったんですわ」


「その意見には俺も同感だ」


 と、弥生の意見に便乗する形で俺も会話に加わる。


「この山はかなり険しい上におもだった道という道も存在しない。察するにその子はまだ十歳やそこらだろ?」


「はい。ラムちゃんはこの間、十一歳になったばかりですわ」


 弥生は俺からの助け船に、嬉しそうに微笑む。俺は頷いた。


「だったらむしろ、ここまで登って来たことを褒めてやるべきだと思うが」


「私もそう思いますわ」


「ふぇ、え?」


 なお、まだ状況が把握できていないラムちゃんは、自然に会話の輪に入ってきた俺を不思議そうに見ている。当然の反応だ。


「おいおい、お二人さん。ボクだってそんなことは言われずとも分かっているさ。ボクは別にラムを責めてたわけじゃないのだよ。ただ単に現状報告しただけさ」


「あ、お前汚いぞ!」


「本当の本気でこの幼気な少女を責めてたのは、ここにいるシスコンだけなのだよ」


「さっきからシスコンシスコン、うるさいんだよ!それに俺はただ妹思いなだけで、決してシスコンじゃない!」


 それを本人の前で恥ずかしげもなく公言できる時点で、お前は立派なシスコンだ。俺は心中でシスコン淳君にツッコんでおく。見ると、弥生も苦笑しながら言葉に困っている様子だ。そんな妹を横目に、淳はコホンと一つ咳払いをした。


「しかしなラム。これぐらいの山道でへこたれてたら、冒険士なんて到底務まらないぞ」


「あうぅ、ごめんなさいですぅ」


「兄様、反省会は後に致しましょう。腕の傷の治療も終わったことですし」


 弥生にそう告げられると、淳は決まりが悪そうに目をキョロキョロと泳がせる。


「あ、ありがとな、弥生」


「申し訳程度のかすり傷なのだよ。だからとりわけ、天と違って回復魔技なんか使う必要ないと思うけどね」


 ニヤニヤと笑いながら、さりげなく淳の気にしていることを口にするジュリ。


「……ジュリ。あとで覚えてろよ」


「あ〜、怖い怖い」


 まるで悪びれない態度で、ジュリはそっぽを向いて笑っていた。


「ふむ……」


 あの少年の傷はちゃんとに塞がったみたいだな。俺は顎に手を当てて小首を傾げる。実を言うと、俺が先ほど弥生から治療を受けた時に感じた違和感はまさにそこにあった。というのも、俺は弥生から治療を施されたにも拘らず、まったくと言っていいほど傷口が治っていないのだ。これについて、俺は幾つかのケースを考察してみる。


 1. 嫌がらせでおちょくられた。


 2. とりあえずフリだけで実はなにもしてない。


 3. 弥生の回復魔技が不発だった。


 4. 思ったよりも傷が深くて、完全には回復しなかった。


 こんなところだろうか。まあ、1と2はまずあり得ないと思う。この少女の性格もそうだが、冷やかしなら初めから傷を治すなどと自分から申し出ないだろう。そして同じく4もあり得ない。何故なら俺の傷は、淳君と大差ないぐらいショボいものだ。つまり淳の傷を治せるなら、俺の傷も問題なく治せるはずだ。ならば消去法で3ということになるのだが。うーむ。


「あ、あの〜」


 俺が自分の手の平にある小さな傷口を眺めていると、猫耳の童女ラムが恐る恐るといった感じに発言する。


「こちらの人は、どなたでいらっしゃいますですかぁ?」


「はじめまして、お嬢さん」


 そんな猫耳の童女に、俺は上辺だけ取り繕った社交辞令的な挨拶をした。


「俺の名前は花村天。さっきちょっとした事からこの三人と知り合った、山奥暮らしの十六歳です」


「あ、ご丁寧にどうもです。あたしはラムっていいますです。淳さんたちと同じチームで冒険士見習いをしていますです」


 姿勢を正し、俺にきちんとした自己紹介を返すラム。年齢の割には中々しっかりしている女の子のようだ。しかし相手は十一歳の少女なので、俺はなるべく柔らかい物腰で喋る。


「そんなにかしこまらずとも大丈夫だよ」


「ありがとうございますです!それとお見苦しいところを見せてしまってすみませんですぅ……」


「いやいや、全然気にしなくていいよ」


 また猫耳をしおらせて落ち込んでいる。不謹慎だが実に愛らしい少女だ。そんな緊張感のない事を考えながら俺はラムのことをまじまじと観察する。まず髪も耳もシッポも黒い。まさに黒猫の獣人少女という感じだ。そして格好は白のワンピース。正直ハマりすぎだが、山登りする服装ではない。ただそれについては他の面子も一緒だ。皆が皆、明らかに登山を馬鹿にしたお洒落ファッションに身を固めている。おそらく、さっき聞かされたドバイザーの装備機能というのが関係しているのだろう。


(……しかし、この世界の人型というのはみんながみんな美形なのか?)


 目の前の猫耳少女を見て、俺は素直にそう思った。前の三人ほどではないにしろ、この子も普通に美少女レベルだ。寧ろ下手なアイドルよりも顔が整っている。


「ええっと……あたし何か変でしょうか?」


 自分のことを吟味するような俺の視線に気づいたのだろう。ラムが身嗜みのチェックを始めてしまった。


「失礼した」


 俺はギリギリのところで平然を装い、すぐさまラムから視線を外す。


「俺はこれまで人間以外の種族に出会ったことがなくてな。つい物珍しく見入ってしまったんだ」


「は、はあ……」


 その言い訳に嘘はなかった。なので他のメンバーもフォローにまわってくれた。


「ラム。天は山奥でずっと暮らしていたらしいのだよ」


「はい。ですから天さんは世の中の常識に疎いらしいのですわ」


「お前だって、田舎から都会に出てきた時は驚いたり珍しがったりしてただろ? あれと一緒だよ」


「あ、なるほどです!」


 ラムが元気よく頷く。どうやら納得してくれたようだ。俺はホッとする。


「そうだ。いい機会だから、俺たちがお前にいくつか一般常識を教えてやろうか?」


「そいつはありがたいな」


 俺は心の底からそう思った。その淳からの提案は、今の俺にとって渡りに船以外の何ものでもなかった。


「是非お願いしたい」


「おう、任せろ」


「お安い御用なのだよ!」


「はい。どうぞなんでも訊いてくださいまし。私で答えられることなら、どのような事でもお答えいたしますわ」


「あ、あたしも力の限り頑張りますです!」


「なんで俺が提案したのに、お前らがそんなに張り切ってんだよ……」


 女性陣の妙なハイテンションに淳がたじろぐ。


「皆さんの親切な対応に感謝する」


 俺はそんな淳と少女達に深く頭を下げた。


「どうか無学な俺に、この世界のことを教えていただきたい」


 山の中でワイワイと騒ぎ合う少年少女、プラス中身はおっさんのニセ十六歳。この花村天と若き四人の冒険士達との出逢いが、のちにこの世界に大きな変革をもたらすきっかけになるのだが。


 この時、まだそのことを誰も知る由もなかった。

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