第2話 洞穴

 そこは辺り一面真っ白な空間。

 見渡す限り何もない空っぽの世界。


「う〜む、まずいの〜」


「こいつは参ったぜい」


「非常に困りましたね」


 どこからともなく三つの声が聞こえてきた。


「このままじゃと、儂らの管理するこの世界が、あの馬鹿のモノになるのも時間の問題なのじゃ」


「私の目算では、この度の大戦でこちらが勝つ確率は、どんなに贔屓目に見ても一割を切ります」


「それじゃあ、無ぇのとほぼ一緒だぜい」


 それはとても不思議な声だった。


「正確にはこちらが七で、あちらが九十三です」


「いや、その七三なんかおかしいじゃろ⁉︎」


「こんな頼りねえ七と圧倒的な三がこの世にあんだな……」


 洗練された音色のようなその三つの声は、真っ白な空間に溶け込むように響き渡る。


「かー、オイラとしたことが失敗したぜい。こんなことなら、もっと早くから手を打っとくべきだったよい!」


「仕方ありません。我々が英雄達に授けられる力は、みな例外なく何かしらの誓約がありますから」

 

「じゃの」


 その声の主たちの語気には、落胆の色が隠しようもなく滲んでいた。


「何かこう、ねいのかい。逆転の秘策ってやつがよ」


「このままじゃと、どうしたって負け戦じゃからの〜」


「残念ながら、現時点では八方塞がりとしか言えません。よしんば三柱直属の英雄達に我ら三神の力や知恵を授けたとして、それは他とは共有できぬもの。言うなれば付け焼き刃の知識と同じです」


 三者の弱気な発言はとどまるところを知らない。皆が皆、下手に威厳のある声のため、それが余計に悲壮感を際立たせてしまっているのはここだけの話だ。


「ええい、どこかにおらんのか⁉︎ この最悪の戦況を覆す、この世界を救う救世主が!」


「それを我々が求めるのは、いささかおかしな話ですが」


「違えねいぜい」


 やがて不思議な三つの声は、神々しい光となって虚空の彼方へと消えていった。



 ◇◇◇



これは俺があの異世界に迷い込む数日前の話だ……


「どこかにいねーかな、コレの百倍ぐらい骨のあるヤツ」


 体長4メートルはあろう巨大な虎があらぬ方向に首を捻じ曲げ、無造作に舌を出して倒れている。やったのはこの俺、生涯無敗記録を絶賛更新中の無敵すぎる格闘家こと花村天だ。ちなみにちまたじゃ『史上最強の格闘王』なんて呼ばれてる俺だが、実際の知名度は売れない芸人に毛が生えた程度だったりする。先月またフォロワー減ってたしね。


 その鬱憤も上乗せして、噂の人喰い虎とやり合ったわけだが。


「またあっという間に終わってしまった……」


 噂の人喰い虎と遭遇してから三十秒と経たずにこの有り様である。


「なんつうか、見つけるまでの方がよっぽど時間がかかったな」


 それはこの上もなくいつも通りである。


「結局、今回もいつも通りか」


 つい口に出して反芻してしまった。


(……せっかく金貯めて遠出したのに)


 やれやれと頭を振る他なかった。限りなくベタではあるが、俺はまだ見ぬ強者に出会うため武者修行の旅に出ていた。それこそ世界中を回った。そしてアホみたいに戦った。それこそ色んな生物と。しかし。いざ蓋を開けてみれば、どの勝負も決着は一瞬。俺の余裕勝ち。旅を振り返ってみると、観光と移動の時間が大半を占めていたような気がする。いや間違いなくそうだろう。


「これアレだろ? 武者修行じゃなくてただの世界一周旅行だろ」


 ぶつくさと独り言を呟きながら、とりあえず仕留めた虎の画像をツイッターに投稿しておく。死体だと絵的にあれなので、外におっ放り出されていた舌を口の中にしまい、目の光ゼロの虎と無理矢理に肩を組んで動物好きをアピールしてみた。


 タイトルは『ジャングルの友情』。


 やっていることは見事に真逆だが、フォロワーを増やすためだ。コイツもきっと分かってくれるだろう。それから何回かパシャッとやってから、俺はスマホをポケットに戻して今後の予定を考える。


「さて、これからどうするか」


 と言っても、この季節だとやる事はもうすでに決まってたりする。

 

「春になったし、実家の山奥にでも帰るか」


 俺は早々に次の目的地を決定する。ぶっちゃけ日本に帰国して、地元に帰るだけなのだが。


「またしばらくは、親父と二人で山奥の修行生活だな」


 先に言っておくが、別に一昔前の漫画みたいな門外不出の拳法を激強な父親と人里離れた山奥で的な例のやつではない。まあ完全に違うわけでもないがとりあえずウチはもっと今風だ。と思う。それと、ついでに俺が修行にばかりのめり込む主な理由だが、他にやることがない。この一言に尽きるだろう。


「あー、でも、やっぱ今回の旅でもアレは捨てれなかったか……」


 特大のため息をつきながら、肩を落としてトボトボと歩き出す俺。


(……やはりこの歳でまだ未使用なのは痛い)


 そう。最強の人類と恐れられるこの俺のただ一つのコンプレックス。いや実際他にも色々あるが、ひとまず俺の最大の弱味と言っていいソレ。


「もうそろそろ、禁断の魔法を覚えるかもしれん」


 とりわけ性欲が強いわけでも、恋愛や結婚願望があるわけでもないが、三十路を過ぎていまだ未経験なのはいち男子として辛い現実だ。


「プロフェッショナルな方々に金を払ってという手段が、一番手っ取り早いのはわかっているんだが……」


 できればそれは避けたいと、俺はもう一度ため息をつく。


(……最初は自然な流れがいいんだけど、こんな俺じゃ無理だよな)


 俺は自分の肩の高度をさらに一段階下げる。こと闘争においては自信しかない俺ではあるが、この方面の話になるとまったくの真逆なのだ。


「下手なプライドなど捨てるべきか? まずモテるモテない以前に、最近じゃ人間と認識されない場面も少なくないしな」


 自分で言ってて若干悲しくなる。俺の外見は一言で言えばヒグマだ。そんなようなヒト科の生き物だ。昔、誰かにそう言われて周りにいた連中もそれに賛同していた。あと強いて特徴を挙げるとすれば、目が細い。これぐらいです。


(……まあ、ぶっちゃけ目の方は視界を制限して気配を感じとる修業のためにガキの頃からほぼ閉じてる状態で生活してたら、いつの間にか細目になってしまっただけだがな)


 いや本気出せばぱっちり目も普通にいけますがね、実家が山奥にあるのが悪いんだ、などなど意味不明な言い訳で無理矢理自分を納得させる。


「ツラはともかく、体の方はかなり自信があるんだが」


 そして意味もなくダブルバイセップスのポーズをする俺。無駄な贅肉など欠片ほどもないこの見事な肉体美。いかがですか?

 

「……むなしいからやめよ」


 変態と間違われる可能性を考慮して俺はただちにポージングを終了した。


「さて、久しぶりに日本に戻って気分転換にぱーっと親父でもいたぶるか」


 そんなこんなで、俺は武者修行という名の世界一周旅行を終え、生まれ育った故郷の山奥に帰るのであった。



 ◇◇◇



「――で、久々に帰って来たはいいが親父の方はもう家にいるかな?」


 険しい山道。そして同時に幼い頃から慣れ親しんだその獣道を、階段を一段抜かしするようなノリで鼻歌交じりに駆け登る俺。余談だが、花村家の家族構成は俺と親父の二人きりだ。母親は俺が物心つく前に、赤ん坊だった俺を親父に押し付けて一方的に離婚したらしい。なので顔も声も当然記憶にない。いまだ健在なのかも不明である。


(……まあ、今さら母親に会いたいとも思わんがな)


 そしてそんな母に愛想を尽かされた父親の方だが、一年の大半を紛争地域で過ごし、自ら進んで戦火の中へ身を投じる筋金入りの傭兵だ。その筋じゃ知らない奴はいない。所謂レジェンド的な存在である。名うての戦争屋達の間では戦鬼イコール親父らしい。


「それでも戦えば、俺の方が力は上だがな」


 あれは忘れもしない十五の春。俺は生まれて初めて親父と本気でやり合った。もしうちの家庭が円満というやつで、母親がソレをそばで見守っていたなら、確実に顔面蒼白になっていたであろうガチの真剣勝負だ。ちなみに結果は俺の圧勝。本気の親父は冗談抜きで強かった。だがそれでも俺の全力には及ばなかった。当時の俺の実力は今の三分の一程度だろう。でも俺が勝った。わりとあっさり。


 まあ、それからというもの親父が事あるごとに「もう一戦もう一戦」と俺に勝負を挑んでくるので、気がつけば「春になったら親子で一番勝負」というのが花村家の毎年の恒例行事みたいになってしまった。だから俺と親父は毎年この時期になると、たとえ地球の裏側にいようと、必ず一度は実家の山奥に帰ってくるのだ。


(……若い頃は、よく親父に新技を試めしてその度に親父を血だるまにしてたっけ)


 などと昔の思い出に浸っていると、木々に遮られた景色の向こうにひときわ大きな樹木と、古ぼけた一軒家が見えた。見間違えるはずもない。懐かしの我が家である。


「ここに帰って来たのも一年ぶりか」


 とは言っても、とくに感慨深い思いに駆られるわけでもない。俺は鍵無しの蜘蛛の巣だらけとなった玄関を開ける。案の定実家はもぬけの殻だった。少し帰ってくるのが早すぎたか。そんなことを考えながら、俺はとりあえず家の周りを一周してみる。相も変わらずのあばら家っぷりに妙な安心感を覚えた。


「やっぱ親父はまだ帰ってきていないか」


 普段ならここらへんで親父が背後から奇襲を仕掛けてくるのだが、相変わらず周りに人の気配はゼロ。少年漫画ばりのバトル展開は期待できそうにない。仕方ないので、俺は家の中で待つことにした。


「それにしても、髪伸びたな……」


 何となしに頭を掻いていたら、ふとそんな事が気になった。たしか武者修行中はずっと放置していた気がする。どうせ暇なので、俺はその場で髪を切ることにした。ちなみにハサミなどの道具は一切使わない。髪ぐらいなら手刀で余裕だからだ。あ、はい。これは俗に言う例のアレです。俺の手足は凶器だ的な感じのやつです。


(……そういやフォロワー増えたかな)


 慣れた手刀さばきで髪を切りながら空いた手でポケットからスマホを取り出す。俺は自室のカビ臭い畳の上に腰を下ろし、少しドキドキしながらスマホを開いた。普通に圏外と表示されていた。


「……いや、知ってたけどね」


 俺はスマホをポケットにそっと戻して大の字に寝ころがる。天井に大量のキノコが生えているのが目についた。もはやこの家は家ではなく廃墟と呼んだほうが日本語的には正しいのかもしれない。親子揃って年中外出ばかりで家は完全な放置状態なので、当たり前といえば当たり前だが。


「……暇だ」


 ひとまずボサボサに伸びた髪をスポーツ刈り程度まで短くした。散髪にかかった時間は約一分。駅前の1000円カットの坊主刈りでもここまでの速さは出せまいて。まあ、おかげでやる事も無くなってしまったわけだが。


「うし、いっちょ先に修行場にでも行ってるか」


 俺は起き上がりながら衣服についた髪を適当に払う。もともと待つという行為自体が得意ではなかった。俺はあらかたの荷物をその場に置いて、毎度お馴染みのザ・修行着を片手に家を後にする。


 俺と親父の修行場は、実家から少し離れたさらに山の奥地にある。


 ここ明らかに人の通る道じゃないよね? などと突っ込まれそうな断崖絶壁の岩場を、命綱無しで黙々と登っていく。傍から見れば完全に頭おかしい奴の所業だろう。ただ花村家にとってはこれが普段通りのスタイルなのだ。それからほどなくして、俺は目的の場所に到着した。


「なんつうか、ここは昔っからちっとも変わらんな」


 俺は背伸びをしながら息を大きく吸い込んだ。やたら強い草木と土の香りが鼻腔を刺激する。幼い頃からよく嗅いだ匂いだ。そしてこのいかにも秘境風な森の景色もガキの頃のまんまである。


「あと二、三日もここにいりゃ、親父の奴もそのうち来るだろ」


 修行場に到着した俺は、道着に着替えてここで体を動かしながら親父が来るのを待つことにした。ちなみにこの辺りの原生林は野生の動物や木の実なども豊富で、近くには小さな川も流れている。なので数日ほどの野営なら大して苦にならない。あくまで俺や親父の主観でだが。


「ん?」


 持ってきた修行着に袖を通そうとしたそのとき、俺は不意に奇妙な違和感を覚えた。


(……なんだ、あのでかい穴は?)


 見ると、ガキの頃からまるで変わらなかったはずのこの場所に、人ひとりなら余裕で入れそうなほど大きい穴が山肌にぽっかりと空いていたのだ。


「この前に来たときは、こんな洞穴なんか無かったはずだが」


 俺はすぐさま近寄って、当然のように中を覗き込んだ。洞穴の中は思ったよりも奥行きがあるようで、入り口からではその暗闇の道がどこまで続いているのか、皆目見当がつかない。


(……それにしてもこの洞穴、なぜだかものすごく気になる)


 吸い込まれそうな、という表現が決して大げさではない。不思議な高揚感を思わせる何かが、その洞穴にはあった。


「まあ、とくにやる事もないしな」


 俺は見えない何かの意思に引き寄せられるように、奇妙な洞穴の奥へと足を進めた。


「とりあえず、行けるところまで行ってみるのも悪くないか」


 この瞬間より、史上最強の格闘王と謳われた男の、激動の第二の人生が幕を開けたのである。


 

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