第6話 水着とあやのⅡ

 いずみがあさひを避けるようになって数日。その間も、生徒会の手伝いとして役員の真似事をしていたのだが、一向にいずみの凡ミスが収束することがなかった。

『はぁ。これは、完全に沼ったわね。』


…沼った…


 あかねが使うこの言葉は、堂々巡りの末に出口が見いだせていない状態で、本人たちだけでは、収拾がつかなくなっている状態の事をいう。

 いま、まさにいずみとあさひの間には、微妙な距離と勘違いがお互いを支配していた。

 そんな矢先、あさひは避けられてどうしようもない状況を何とかするために、副委員長でもあるあかねに相談することにした。

「あの、あかねさん。僕って、いずみさんに嫌われてます?寮でもそっけなくて……」

「そうなんだ。いずみはね、学園の仕事しかしてこなかったのよ。だから、戸惑ってるみたいなのよね。」

「えっ。戸惑って?」

「そうなの。だから、どう接していいかわからないのよ。」

「なるほど……」

 あさひの相談に乗っているうちに、あかねのあたまには、よからぬ計画が持ち上がった。

『これ、あさひさんをいずみ専属にしてみようかしら。』

『フフフフフ』

 思ったが吉日と言わんばかりに、あかねはこの閃きに挑戦してみることにした。いずみの凡ミスもなくなる上に、ふたりの仲もよくなるのならまさに、一石二鳥だった。

「じゃぁ、こうしよう。しばらくいずみの専属として、手伝ってくれる。ミスとかをチェックしてくれるだけでいいから。」

「えぇっ!僕でいいんでしょうか?」

「大丈夫。何とかなるだろうから。」

 そうして、そのことを本人に報告すると、当然のように……

「だめ。むり。」

「うぅっ。こういってますが、あかねさん。」

 いずみが無理といっているのには、理由があった……

『これ以上、近くに来られたら、よりミスしちゃう。それに、色々と考えちゃうし……』

 とどのつまり、あさひが近くにいることで、より意識してしまって、集中できなくなってしまっていた。

「そんなに、嫌わなくても……あさひさん。ショックを受けてたよ。」

「嫌ってる訳じゃないんだけど……」

 いずみにとっては、本当の意味で嫌っているわけではないので、親密さは保ちたいと想っていた。

 しかし、かといって、あさひの事を考えるだけでも胸がドキドキしてしまっているいずみにとって、後にも先にも進めずにいた。

 このやりとりを見ていたあかねは、じれったくなったのか、耳元であの事を言ってみた。

「もう、いずみもじれったいわね。言っちゃえばいいのに……」

「えっ?何かあるんですか?」

「いやね。いずみって……す。」

 何かを話しそうになったあかねの口を慌てて抑えるいずみは、あたふたとあさひに対して、言い訳をしていた。

「ん?」

「あーあー。な、なんでもないからね。」

 いずみが慌てて否定する姿は、しっかり者として勤めあげている白百合荘の大家の、理想的な大人の女性とは、全く異なっていて可愛らしい一面だった。

「は、ははは。」

「えっ?どうしたの?」

「いずみさんも、そんな顔、するんですね。」

 あさひにとって、いずみのイメージといえば白百合荘の大家でしっかり者、そして、生徒会長としての、立派な一面というイメージしかなかったので、女の子らしい可愛らしい一面が見れたことが第一にうれしかった。

 そのあさひの言葉を聞いたのと同時に、いずみの顔が耳まで真っ赤になったのは想像に難かった。

『全く、こういう可愛い一面もあるのに、本当に素直じゃないんだから……』

 その後、いずみがおれる形で会長の仮の秘書として、生徒会役員になることになったあさひだった。


 生徒会での書記も兼ねているみやびは、常に生徒会室にいるというわけではなく、ほとんどが自宅の白百合荘で書類を作ったり、持ち運びのできるタブレットでの書類を作成したりしている。

「今日は、生徒会室にいるんだね。」

「私も、一応。生徒会役員なんですけど……」

 あかねは珍しくいるみやびに興味を持っていた。人付き合いが苦手なみやびにとっては、図書室の次に落ち着く場所でもあった。

「それに、うちのねぇさんが迷惑をかけてるので……」

「あぁ。いずみね。」

「ねぇさん。ああ見えて、うぶですからね。」

「ほんとうよ。」

 そんな話をしていると、生徒会室にあさひといずみが帰ってきた。職員室への連絡が主だったが、数日前のあの一件の後、あさひがいずみの仮の秘書として一緒に行動するようになっていた。

 以前よりは、ミスが少なくなっては来たが、いまだにミスはあった。しかし、ミスを量産していた頃よりは、比較的良好なかたちになってきていた。

「あさひさん、コーヒーくれる?」

「はい。今用意しますね。あかねさんはどうします?」

「あっ。わたしも同じで。」

「みやびは?」

「ん。紅茶で。」

「ほい。」

『よ、呼び捨て!?』

 あさひとみやびは、同年代ということもありお互いに名前で呼び合う仲になっていた。そして、いずみは初めて呼び捨てにしていることに気が付いたのだった。

『みやび?呼び捨て……』

 いずみが自分の姉妹を呼び捨てにすることはあっても、あさひを呼び捨てにしたり、呼び捨てにされたりなどするはずがなかった。

 そして、このあさひがみやびを呼び捨てにしたことで、いずみの中にそれまでになかった感情が芽生え始めた。

『呼び捨て……い、いいなぁ』

 羨ましいと想うのと同時に、いずみにはひとつの疑問が浮かんできた。それは、呼び捨てにすることで、親しい間柄であることを意味していたからだった。

『まって、みやびとそんなに親しい仲なの?あさひさん』

『どこまで行ってるの?ふたりは……』

 そんなことを考えていたいずみの心には、好意を持ち始めた頃とは全く異なるモヤモヤした気持ちが、いずみの心を支配していた。そんな姿を見た副委員長のあかねは、助け舟をだした。

「へぇ~あさひさんて、みやびさんの事を呼び捨てにしてるんだね。どうして?」

「えっ?」

「だって、親しい間柄じゃないと、呼び捨てにしないでしょ?」

 よく聞いた!と言わんばかりに、いずみがコクコクとうなずいていると、あさひが説明を始めた。

「みやびとは教室も一緒だし、それに『みやび』でいいよ。と言ってたので」

「そうなの?じゃぁ、私も呼び捨てで。って言ったら、してくれる?」

「えっ、い、いきなりは無理でしょうが……頑張ります。」

「ふふっ。あさひさんは、そうなんだね。」

「?」

 あさひにとっての『呼び捨て』は、好きや嫌いと言った意味合いは全くなく、親密度が高いからと言って、呼び捨てにするというわけではなかった。

 そのことを知ったいずみは、後ろで安堵した表情をしていた。そんな表情をみたあかねは、この流れを活かして少しいたずらをする。

「じゃぁ、いずみを呼び捨てにしてみて。」

「なっ!」

 好きになった人からの呼び捨てほど強力なものはなく、それだけで疲れが吹っ飛ぶ場合もある。まして、それが、初恋のいずみにとっては、とてつもない破壊力をもってしまう。

『いずみって、よばれたいっ!でも……』

 いずみの中では、呼び捨てされたい願望と会長としての威厳がせめぎ合いをしていた。まして、寮に帰ってまで呼び捨てされようものなら、あやのの格好のいじり対象になってしまうことが明らかだった。

「いいんでしょうか?呼び捨てしてしまって……」

「いいんじゃない?ほら。」

 あさひが呼び捨てしようかどうか迷っていると、当の本人は『呼ばれたい』という感情が、表情に出てしまっていた。

「じゃ、じゃぁ。い、いず……」

「まって!」

 言いかけたあさひを静止すると、真っ赤になったいずみがかろうじて言葉を紡いだ。

「い、いまは。まだ、いずみさんで……」

「そ、そうですか。」

『あ~ぁ。折角のチャンスだったのに……』

 折角、いずみがあさひを名前呼びしてくれるキッカケをお膳立てしたあかねだったが、さすがにまだハードルが高かったのかいずみは断ってしまった。偶然居合わせたみやびも同様に……

『ほんと、いずみねぇ。チャンスだったのに……』

 その後……

「そうそう。あさひさん。」

「なんですか?あかねさん。」

「正式に、会長の秘書になってね。」

「えっ!そんな役職ありましたっけ?」

「ん?作った。」

「え、えぇっ!」

 それまでの生徒会にはない役職を作ってしまうあかねは、もしかしたら会長よりも権限があるんじゃないかと思ったあさひだった。

 その後、休憩を取った生徒会のメンバーは、いずみとあかねが生徒会室の向かいにある休憩室でくつろいでいた。

「あかね。ありがとね。」

「なにが?」

「あさひさんとのこと。」

「あぁ。いいのよ。いずみ。あなたはいつも、ここぞってときは自分から身を引いちゃうからね。それ、悪い癖よ。」

「うん。ありがとう。あかねが副会長でよかった。」

 白百合荘の寮長や生徒会長であるいずみ。三姉妹の中でも長女であることから、自分よりも他の姉妹の事を最優先にしてきていた。そのことから、他の子が幸せならそれでいいというのが、いずみにとっては大前提だった。

 そんな過去を知ったうえでのあかねは、いずみとあさひの仲を取り持ってくれていた。

「ぶっちゃけ。いつ、いずみがあさひさんと一線を越えるか、楽しみではあるけどね。」

「えぇっ。」

 ひときは、悪い顔をしたあかねはいつものように、副会長を勤め上げるのだった。

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