Ⅰ-Ⅶ 気になる人 ②
昼休み後。時刻は午後3時。俺は自分のデスクで柊木さんに言われた仕事をこなしていた。
ちなみに現在総務部は俺と柊木さんのみで、部長と瀬戸さんは他部署との会議、碧依は地下の倉庫に籠って作業をしている。
昼に灰本から言われた話をするには打ってつけの状況。柊木さんも一息ついて自分用のマグカップでコーヒーを飲んでることだし、話しかけても怒られはしないだろう。
俺はそう思い、話を切り出すことにした。
「柊木さんってさ、彼氏とか居るの?」
「ぶーっ!」
俺の問いに、柊木さんが盛大にコーヒーを吹き出した。
あーあ、パソコンべちょべちょだよ。後で黒川さんに怒られても知らないぞ。
「な、なんなのよ急に」
柊木さんは真っ赤になってこちらを睨む。
え、俺地雷踏んだ? さすがに唐突に言い過ぎたかな。
「いや、なんとなく気になったもんで」
とりあえず灰本の話はここではしない。
適当に誤魔化しときゃあなんとかなるべ。
「なんとなくって――。そうね、あんた自身はどうであって欲しい?」
柊木さんは自分の鞄から取り出したハンカチでパソコンを拭きながら俺にそう尋ねる。
若干声が上ずっているのは気のせい? 気のせいだろうな多分。
どうであって欲しいと言われても、俺自身はどっちでも構わない。が、灰本のことを考えるとここはやはり。
「そりゃ、居ないほうが都合がいい」
という答えになる。
「へ、へぇー。そうなんだー。ふーん」
一瞬、柊木さんの拭く手が止まり、また動き出す。心なしか先ほどよりもスピードが速くなったのは気のせい? 気のせいだろうな多分。
顔も赤いままだしコーヒーそんなに熱かったのかな。ってか今更思うけど、真夏にホット飲むって変態かよ。
「んで、答えはどうなの?」
「――教えない」
「へ?」
「だから、教えないって言ってるの!」
「えー」
そりゃないぜと、俺は縋るような目で柊木さんを見る。
「あ、あんたには関係ないでしょっ! それに、そういう話を碧依が居ないところでするなんて、節操なさすぎ」
拭き終わったハンカチを鞄に戻すと、柊木さんはプイッとそっぽを向いてしまった。
「碧依こそ関係ないだろ。今は柊木さんの話なのに」
俺は彼女の背中に向かって、強めに声を投げた。恐らく柊木さんは適当にはぐらかしてこの場を逃げ切りたいに違いない。その口実に碧依を使うとは言語道断だ。
「う……、まぁ、そうなのかもしれないけど。あんた鈍感?」
「失敬な。同期からは営業部のエースと謳われていたこの俺を鈍感とのたまうか。人の機微に敏感でなくては外回りなど務まらん」
胸を張って言う。ソースはさっきの灰本。
「いや、今の言動から敏感とか言われても説得力ないわよ」
げんなりした表情で柊木さんは答えた。
ふふん。言うに困って難癖をつけてきたか。俺に口で勝とうなど笑止千万。半年間月間契約数のトップを取り続けた俺を舐めるな。
「柊木さん、はぐらかさずにちゃんと答えてくれ!」
俺はさらに強めの口調で柊木さんににじり寄った。
相手は反論に困っている。つまりは今がチャンス。
篭絡が目前の状況、あとは押せ押せ押せ押せだ。
「ちょっ、佐和っ!」
柊木さんは後ずさりしながら俺から距離を取ろうとするが、そうはさせない。
俺は柊木さんを壁際に追い詰めると、ドンと壁に右手をつき、顔を近づけた。
……。
……。
ん?
これって、いわゆる壁ドンじゃね?
いや、今はそんなことを気にするな、佐和涼太!
お前は友のためなら恥などかき捨てられる男だ!
無言で見つめ続ける俺を前に顔を真っ赤にした柊木さん。
ついに観念したのか、俯きながら口を開いた。
「じょ、条件がある」
「条件? それを呑めば教えてくれるというんだな」
「うん、だからホントにちょっと離れて。は、恥ずかしいから……」
よっしゃー! 勝ったぞ灰本おぉぉぉ!
これが元営業部エースの実力じゃい!
俺は勝利の余韻に浸りながら自分の椅子に腰かける。
それを確認して、ゆっくり柊木さんも自分の席に戻った。
「して、その条件とは?」
「――付き合って欲しい」
「ん?」
上手く聞き取れなくて、俺はもう一度という意味で聞き返す。
すると、柊木さんはハッとして、ぶんぶんと首を横に振り、大音量で叫んだ。
「休日、買い物に付き合って欲しいの!」
キーン。
鼓膜が弾け飛ぶかと思ったぞ。
「買い物? まぁ、そのぐらいなら」
総務部に来てから貴重になった休日を無駄にするのは少し躊躇われたが、まぁ、これも灰本のため……か。なんやかんや言いながら俺も灰本に色々助けてもらったことは多いし、どーせ一日二日の休み程度何もすることもないし。
「とりあえず盆休みの最終日でも良いなら。俺は全然構わないぞ」
今週末に控えた盆休み三日間。
その一日目と二日目は碧依と一緒に朱音さんに会いに行く予定があるので、不可能。
となれば、三日目の最終日しか俺には空いていないけれど――。
「最終日……、うん、私も大丈夫」
とりあえずホッとする。
ここを逃せば次の休みなんて何時あるか分かったもんじゃないからな。
その後、俺たちはメッセージアプリの連絡先を交換し、細かい話はそこでと相成った。
「さて、仕事に――」
「涼太君?」
柊木さんの仕事を片付けようとパソコンに向かった時、横から誰かに呼ばれた。この声は碧依?
というか、碧依のむっちゃ怒ってる時のトーンに似ている。というかそのものなんですけど!?
心なしか総務部の部屋の温度も下がっているような気がする。冷房の温度はいじっていないぞ。
恐る恐る横を見ると、急に誰かの手の平で視界を塞がれた。誰かって言っても碧依しかいないんだけどね、うん。
「あの、碧依さん?」
「何かな涼太君?」
ギギギと俺の顔を掴む手に力がこめられ、ゆっくりと宙に持ち上げられる。
「なんで、碧依さんはアイアンクローをしているの?」
「それはね。発情期の猿みたいに節操がない涼太君へのお仕置きのためだよ」
「ハハハ。そうかー」
そして、俺の両方のこめかみを掴む指に、徐々に力が込められていく。
「あの、碧依さん?」
「何かな涼太君?」
「なんで、碧依さんの指にはこんなに力が込められていくの?」
「それはね。節操なしの涼太君の脳髄をぶちまけるためだよ」
「ひいいぃぃぃっ!」
その問いの後、強烈な痛みが俺のこめかみを直撃する。
「碧依さん、痛い、痛いですっ!」
「うるさいなぁ。静かにしてよ涼太君。そうだ、ここでぶちまけると掃除が大変だから別の場所に行こうか」
碧依は静かに、落ち着いた冷たい声でそう告げると、俺をホールドしたまま、のしのしと歩いていく。
「あ、碧依ちょっと」
さすがに見逃せないと思ったのか、柊木さんらしき声が碧依を静止しにかかる。
助けてくれ、柊木さん!
「ひーちゃん。暴漢は私が粛清しておくから安心して仕事をしててね」
「あ、うん……。よろしく~」
弱っ! 柊木さん弱っ!
いつも俺に突っかかってくる勢いはどうした!?
「じゃあ涼太君、行こうか……」
誰も止めてくれる人が居なくなった今、俺は碧依に従うしかなかった。
その日、とあるビルの屋上からおぞましい叫び声が響いたとか、響かなかったとか。まぁ、どうでもいい話。
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