第146話 逢瀬1

66番街区での検査が終わり

八城は薄ぼんやりとした視界で壁に掛けられていた時計を見やる。

時刻は18時を回っている。

「随分と俺は寝てたんだな……」

急激に眠くなる薬の副作用から来る頭痛は、今も頭の片隅で僅かな違和感を生んでいる。

そして八城は同室に居る筈のない二人の存在に気付いた。

再会とは得てして感動的ではない。

昔見たテレビ番組で、決まってキャストの人間が涙するのは、別れを体験した彼ら彼女らの数年間を美化に美化を重ねた結果でしかない。

恋人と離ればなれ?

肉親と数十年会っていない?

昨日まで普通に生活していた筈の人間が箍を外したかのように涙を流す。

それら全てを寒々しいと感じてしまうのはきっと、あの別れが必然だったからだろう。

野火止一華との別れは来るべくして来た結果でしかない。

だから別れの日も悲しみが湧かなかった。

「久しぶりね八城。元気そうじゃないの」

ベッドに横たわっている八城をみて、野火止一華は喜色満面に屈み込んだ。

吐息が当たる距離に邪悪の笑みが近づいて来るのを、八城は両手で押し返す。

「お前も元気そうだな一華。まさか死んでなかったとは驚いた」

何時もの軽口は、一年前と大差がない。

大差など生まれる筈もないのかもしれない。彼女は良い意味でも悪い意味でもその一切が何も変わっていないのだから。

だから八城が真に言葉を失ったのは、その後ろに控える人物だ。

最初一見して誰か分からなかった。

しかし、八城が知りうる記憶の中でそれは痛烈に叫び散らかしていた。

最愛にして親愛。

肉親にして唯一の兄妹。

小学生だった彼女が大きくなればきっとこの位になっただろう。

左目の下にある泣きぼくろは、生まれてから彼女のトレードマークでもある。

青みがかった髪と色素の薄い肌は母親譲りだ。

八城は実に四年ぶりにその名前を口に出した。

「九音……か?」

纏う雰囲気も八城の知っている東雲九音とは大きく異なる。

「お兄……ちゃん?」

それは相手からしても同じ感想だった。

記憶にあるより長くなった髪の毛にやつれた目元。ガッチリとした身体つきが八城のこれまでの苦労を容易に想像させた。

「久しぶりだな、元気そうで良かった」

柔らかく笑ってみせる八城に、九音はくしゃりと相好を崩した。

八城は世界がこうなった早い段階で、家族の事を諦めていた。

インフラの止まった日本は一介の高校生である八城には広すぎたためだ。

情報を集める為に躍起になった事もある。だが何時しかその事を聞く事すら無くなっていた。

八城は結局の所怖かったのだろう。尋ね聞き、そして東雲九音を掴んだ感触が冷たかった時、きっと八城は耐えられない。

九音はハラハラと流す涙を隠す事なく八城へ近づきその手でそっと八城の頬に触れる。

「温かい……生きてる……いきてるよぅ……おにいちゃん」

「ああ、お前も俺も、生きてるな」

「お兄ちゃん死んじゃっだと……思ったんだよぅ……」

「それはお互い様だろ」

「おにぃじゃん!わだじぃ……わだじぃいい!」

九音はそのまま八城の背中に手を回し唯一の肉親の存在を確かめる様に抱き付き、八城もそれを優しく受け止めた。

この重みも、腕に伝わる体温も、耳朶を打つ泣き声も。

その全てが東雲九音の生存を八城へ知らしめた。

「兄妹のっ!ごったいめ〜ん!おめでとう御座いま〜す」

野火止一華は相も変わらず、その様子を小馬鹿に笑い立てるが、八城はもうそんな事はどうでもよかった。

「ああ、一華まだ居たのか?もう帰っていいぞ」

八城は優しく抱きしめた妹を隠すように、背中に回していた腕で一際強く抱きしめる。

「ちょっと〜あんまりつれなくしないでよ〜お姉さん傷ついちゃう〜」

「お前に傷を付けられるような奴が居るなら紹介してくれ、言値で雇う」

「お姉さんも、そんな逸材を捜しているのよね〜あっ!そういえば目の前に居たわね〜〜や!し!ろ!ちゃん!」

人の命を安値で買い叩き、踏みつぶす。野火止一華とはそういう女だ。

だからこそ、潰れない玩具には、尋常ならざる愛着を抱く。

「その愉快に動く口を今すぐ閉じろ、やっぱりお前は何も変わってない」

「ねえ、何で八城はそんなに私に冷たいの〜いいじゃない別に〜死んだ人間は弱かった、それだけよ〜」

「お前より確かに弱かったかもしれないな、だがそれで殺されたんじゃ、殺された方は堪ったもんじゃないだろ」

秒針だけが音を吐き出し、二人の交わる視線が部屋の空気を張りつめていく。

「おにいちゃん?」

八城の胸から顔を上げた九音は何を言っているのか分からないと八城を見つめていた。

「お兄ちゃんも、私達と一緒に行こうよ!」

「九音?お前何言って……」

「お兄ちゃんの話は聞いていたよ。一華さんがこれまで何をしたのかも知ってる。だけど!私達には一華さんの力が必要なんだよ!」

「だから、お前何言って……」

「お兄ちゃんが気にしてる事知ってるよ!東京の中央でしょ!お兄ちゃんが作ってお兄ちゃんが使われてる!でもそんなのっておかしいじゃん!何でお兄ちゃんばっかりが責任を感じないといけないの!」

「別に俺ばっかりって訳じゃない」

「お兄ちゃんばっかりだよ!お兄ちゃんが立つ場所が普通じゃない事知ってるもん!誰も立つ必要がない場所に何時も立たされてさ!」

「ひゅ〜ひゅ〜い!い!ぞ!その調子だよ〜九音ちゃん!」

「お前は黙ってろ!」

囃し立てる一華を八城が睨むが、それで止まる彼女でない事はこの場に居る誰もが知っている。

そして何よりこの場において九音の言葉を止める権利を持つ人間は八城の他に居ないのだ。

「家族が一緒に居る事はおかしい事?誰かに止める権利なんてない筈だよ!四年間だよ!私はもう家族と離ればなれは嫌だよ!」

「もう大丈夫だ、兄ちゃんが何とかする。だからお前はもうこいつらと縁を切れ」

「縁を切るのはお兄ちゃんの方でしょ!なんであんな扱いを受けてまで東京中央に居る必要があるの!お兄ちゃんが私達と来ればいいじゃん!」

「いや……だから、それは……」

八城の懸念は一人の存在だ。

東京中央その地下に眠る、一人の少女。

東京中央の最大にして最高機密。

そして何より、残して来た八番隊の面々の顔が頭をよぎる。

「そっちの仲間の事?そういえばお兄ちゃん隊長とかやってるんだっけ?もういいじゃん……。辞めよう?お兄ちゃんが居なくて終わるならそれまでだったんだよ。それにお兄ちゃんが此処に連れて来てない時点でその人達の事を本当は信頼してないんでしょ?」

「お前、なに言って……」

「だってそうでしょ!実力が足りないのはそれだけで……え?」

八城が優しく突き放した事で、九音はとつとつと、数歩後ろに下がった。

何をされたのか分からない。何故?どうして?

それは八城の意思を一つだけはっきりとさせている。

「俺はそっちには行けない。今は……。それは……それだけは出来ない」

八城に出来る筈もない、そんな事が出来たなら一華が放逐されたと同時に行方をくらましていた事だろう。

だが、例え八城の妹であろうと、四年間という時間を共にしていなかった九音がそんな事を理解出来る筈もない。

「なっなんでぇ……?だってさぁ……こんなのって、おにぃ……」

甘える声音が露に濡れ、兄に縋るように手を伸ばすが、八城はその視線から目を逸らす。

「もう知らない!馬鹿兄貴!私もう知らないからぁあ!」

何を言っても駄目だと分かると九音は癇癪を起こしたように足をバタつかせ扉を凄まじい勢いで占め廊下に飛び出して行った。

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