第143話 66番街区4
北丸子から聞かされた鬼神薬の説明は端的でそれ故に初芽はその恐ろしさに身体が震えた。
初芽が恐ろしいと感じたのはその効能ではない。
真に恐ろしいと感じたのは、鬼神薬を基軸とした計画の方である。
鬼神薬計画
野火止一華から発見された因子から、抽出された伝達物質が事の始まりとなった。
野火止一華の肉体がその性質を宿したのが、後天的発現なのか先天的であったのかは今となっては些末な事でしかない。
重要なのは一つだ。
野火止一華の体組織その全てが鬼神薬としての効果が見込める素体であったということだ。
北丸子はその物質の抽出に成功し原理上だけで言えば誰、その薬は誰にでも効果を発揮する筈だった。
だが、当時の一番隊並びに八番隊の面々に試験的運用した結果は散々だったと言える。
腹痛、目眩、発熱。酷い者だと失神など、どれも死に直結する症状ではないが、北丸子が望んでいた効果とは程遠い物だった事は明らかだった。
そう、東雲八城を除いては
鬼神薬が効果を発揮した、それ自体は喜ばしい事だった。
一つ誤算があったとするなら、鬼神薬という薬が東雲八城に対して想像以上の効果を発揮した事だろう。
感覚の鋭敏化、肉体の限界を超えた活動の実現。
そしてもう一つ、これが斑初芽に恐怖を覚えた。
それは、東雲八城自身の肉体の鬼神薬化である。
「鬼神薬」それは鬼神薬服用者の身体を、より高濃度の鬼神薬へと変貌さていく悪魔の薬。鬼神薬は野火止一華から生れでた副産物である。
野火止一華の鬼神薬後継者は、東雲八城と、もう一人。
それが八番隊、雪光の担い手である「真壁桜」に引き継がれた。
東雲八城の身体は、変化途中の今の時点で野火止一華を遥かに凌ぐ高濃度の鬼神薬へと変貌を遂げている。
唯一の救いは、東雲八城自身の鬼神薬の後継が未だに現れていない事にあるだろう。
「北さん、貴方はこれを容認して……そうか、だから八城を裏切って!」
「ハッ!ちげーよ!逆も逆だぜ!私はこんな計画を中止させてえんだよ!」
扉向こうで今も眠る八城を忌々しいと舌打ちをして見せた。
「なら一体どういう事なんですか!どう今の状況を説明出来ると言うのですか!」
「計画を進めて居やがるのは八城と柏木!それから一華の野郎だごら!」
「なら!それならなおの事です!協力するなら、もっと他の方と協力すべきじゃないですか!何故八城を裏切る様な真似をしているんですか!」
北丸子は画面から視線を外し後ろに居た初芽に掴み掛かった。
「てめえは!何処まで能天気で居やがれば気が済むんだ!いいか?私達研究員はてめえらの活躍がありきの現場だ!てめえらがどれだけの献体を持って来れるかで私達の研究も先に進む事が出来る!だがなぁ!今はどうだ!一華が倒したクイーンを最後にてめえらは一度たりともクイーンを倒しやしねえ!少し前まで餓鬼だった奴が!今度は自分を犠牲にしてやがる!私の昔の友人は!てめえで頭がおかしくなっちまいやがったよ!裏切るだってぇ!こちとら上等なんだよ!自前で進む道も決められねえ奴が、能天気に語るんじゃねえよ!」
「だがそれを続けた結果八城は東京中央で窮地に追い込まれている!貴方は八城を助けると息巻いているが!結局貴方も八城を追い込むにたる一因を作っているじゃないか!」
「ああそうさ!それこそ一華が望んだ事だ!八城はもうやめちまえばいい!あんな餓鬼に全部を背負わせる!東京中央には、英雄なんて肩書きを有り難がるサディストが溢れ返っているからなぁ!」
「そんな事は……」
「ないって言えんのかよ!ハッ!てめえは言える筈ねえよな!てめえも八城に助けられちまったんだからよぅ!」
「なんで……知って……」
「何で知ってるもクソもあるかよ!三シリーズの延命治療法を考えたのは私だ!その事について私が知らねえ方がおかしいだろうがよ!」
北丸子はそう言って服の裾を勢い良く捲り上げる。
その光景を見た瞬間、初芽は目を見開き、言葉を失った。
北丸子の腹部には、斑初芽と全く同じ刺し傷が刻まれている。
「北さん、もしかして……」
「おうよ、これは私の覚悟の証だ。中々に格好良いだろ?」
「何故そんな事を……」
それは見て直に分かった。
噛まれる筈のない場所、そもそも北丸子の肌には奴らに噛まれた後など存在しない。
ではどうやったのか?簡単だ、人為的に感染し治療した。
「行った筈だぜぇ!私は、餓鬼ばっかりに背負わせる大人になるわけにゃいかねえんだよ!それに、これのおかげで救われた命が、ここにあったらしいからな!結果オーライだごら!」
今どんな言葉を吐いたとて、悪戯好きの少年の様な笑顔を向ける北丸子の覚悟に遠く及ばないだろう。
斑初芽はシングルNo.が何故特別なのかの一端を垣間見た気がした。
「だって……そんな……知っていたら……」
「知らねえから研究すんだろ?分からねえ事を分かる様にする為に研究があんだよ。そりゃ人間の気持ちだって変わりゃしねえんだごら!それに知ってたとしても、てめえがやる事が変わるわけでもねえだろうになぁ!」
北丸子は椅子に座り直しモニターのライトを瞳に映し続ける。
「私に誰かが死んで落ち込んでる暇はねえ!だが今目の前で生きてる命を救う事を辞めるわけにゃいかねえんだごら!てめえはどうする!モニターを手伝わねえなら今すぐ此処から出て行け、手伝うなら前を向けごら!」
北丸子とはそういう人物だ。知っているつもりで知らなかった。
あの時、子供達を快く引き受けた事も今となってみれば彼女自身が抱えた覚悟の大きさに起因する。
ならば、もう一度この場で初芽が決めた今の覚悟を問い直す。
北丸子は自分の出来る最大限をもって人を救っている。刀を振るう事の出来ない細腕は、それでも誰かの命を繋ぎ止めるにたる力を持っている。
なら斑初芽は、今此処で下を向いている場合ではない。
「……はい!」
大きく息を吸込み、自分の居場所を再確認する。
隊長になってからこんな自分が居る事をすっかり忘れていた。
誰かを助けて誰かに助けられて今もこうして生きている。
なら…………
「私が八城を助けます」
「ハッ上等だなごら!」
斑初芽は前を向く、今度は助けられた眼差しの先に自分が映る為に。
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