第109話 鬼影16

桜は、二度三度交わした剣戟で、刀傷を負いながらも、善にも切り傷を作っていた。

実力はほぼ互角。いや、桜がやや劣るだろうか。

善に片腕を使われただけで、ここまで力の差を埋められるとは思ってもみなかった。

しかも善の左腕は元が使えなくなっていた事から、見るからに細く右の腕と比べると子供と大人位の差が生じている。

だがそれでもツインズを退けるに至った桜に迫る善の力量は、そのまま潜り抜けて来た修羅場の数を物語っていた。

「どうしてここまで強い人が……」

「君も言ったじゃないか」

善は悲しそうに儚げに笑ってみせる。

「これが……たったの、これだけが!動かず見えず!その違いで!今までも!そしてこれからも!僕は八城の元には立つ事が出来ない!君に一体何が分かるんだい!」

桜はほんの僅かに分かってしまった。

善という人間が一体何に絶望しこの場所で戦い続けたのかを

常駐隊として、隊長という貼付けられた役割がより一層彼を苦しめた。

だからその苦しさを未だ体験せず、八城が居る事で絶望を知らない桜には、理解できない事だけは理解出来た。

「君には分からないよ!君には八城が居る!君はまだ何も分かる筈がないだろう!」

桜自身がこの遠征隊で、どんな困難な状況でも絶望せず居られた事が何よりも証拠だ。

「八城はそうやって中央に使われている!僕はこれ以上!僕を助けた八城を中央に殺される訳にいかないんだよ!」

善の切っ先が桜の隊服を掠め、掠めた箇所からは少なくない血が滴っていた。

善の言う事が理解できてしまう。

理解出来てしまうから、桜の表情はより暗く重い物に転じていく。

転じれば考え、

考えが思考の端に引っかかりを作り、

結果、桜の剣筋を鈍らせる。

だからせめて、何かを切り捨てなければ

桜はこの罪悪感にも似た感情を落ち着かせる方法を模索した。

「左目は見えてないんですね」

だから桜は、今まで見えている隙を、あえて狙えなかった。

「道理で君は狙わなかったんだね」

その行動は善からしても不自然に見えていた。

「卑怯だと思ったので」

「卑怯じゃないさ、僕は君の妹にフレグラを使わせる一端を作った。なら君が僕にやり返す事は、正当だよ」

桜は刀身を隠す様に左半身を大きく出し腰を低く構える。

「今から私は善さんの見えていない左を斬ります。なので、これが最後の警告です。降伏して下さい」

存外に桜言っているのだ、これは必殺の一撃であると言う事を

「断るよ、僕はもう中央には戻れないからね」

善は考える事もなく決まっていた答えを桜に叩き付けた。

その答えを聞いた桜は、もう迷う事はない。

そもそもが、自分は考える事が苦手だと己に言い聞かせる。

そうやって言い聞かせてようやく迷いが消えた。

繰り出すのは、一刀。

見た中でもその刀は美しく、技とそれに伴った動きは、目で追う事も難しい。

その人物の動きを模倣し、その全ての動きを己の身体に行き渡らせる。

握り込むは先の三本指。

足から腰、背中から肩そして腕へと力を一点へ集中させる。

「いきます」

煌めいたのは瞬きの間。

閃いた刃は、鍔鳴り音すら置き去りにしてみせる。

抜き

抜刀

桜の一撃は善の肩腕を切りとばすつもりで駆けた刃だった。

いや、本当ならきり飛ばしていた筈だ。

その闖入は善さえ予想しえなかった。

靡く黒髪と、整った顔立ち。切れ長な瞳からは、獰猛な視線が桜に注がれていた。


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