意固地な私と、花筏
オリーブドラブ
意固地な私と、花筏
春が終わらなければ良いのに、といつも思う。
爽やかであり、暖かな風に肌を撫でられる心地良さ。温もりの季節の中に響く、小鳥達の囀り。
――そして、青空が見下ろすこの世界を彩る、美しい桜並木。
その美しい自然の息吹はいつも、私の心を癒してくれる。私の寂しさを、埋めてくれる。
なのに。4月が終わらないうちに、私の前から彼らは姿を消してしまう。私はまだ、あなた達のそばにいたいのに。
私を置き去りにして、あなた達は来年の春まで眠ってしまう。
「……どうして」
車窓から、そう呟いても。何も変わることはない。散り行く桜に手を伸ばしても、元通りになりはしない。
そうと知りながら私は、舞い散る花吹雪を視線で追い続けていた。それがただ辛いだけで、無意味なことなのだと知りながら。
◇
「あー、来た来た。
「わかる。わかりみが深い」
「ちょ、ちょっとやめなよ、もし聞かれたら……」
「だってさぁ、こないだもガッコに雑誌持ってきたくらいで、何ガタガタ抜かしてんだっつーハナシじゃん。ああいう空気読めない正義チャンが1番の害悪って分かんないかなー」
いつものことである。
車で登校して来た私を待っていたのは、
そこには決して、私を肯定するような意図は含まれていない。空気読めないヤツ、と日頃から揶揄されている私にも、それくらいのことは流石にわかる。
――防衛大臣の娘にして、規律にうるさい風紀委員長。そんな私に逆らえる者はおらず、逆らえないからこそ誰も対等にはなり得ない。
そして対等ではないからこそ生まれる歪みが、悪意となって私に跳ね返ってくる。初めは辛かったが、今はもう慣れた。
これは、必要悪なのだ。そういう家に生まれ、そういう性根に育ってしまった私が、それでもここで生きて行くために必要な「禊」。
彼らには私のような権威はなく、ないからこそこういった「悪意」を以て、バランスを保っているに過ぎない。……そう思えば、こんな世界でも少しはマシに見える。
「
「大丈夫よ、
それにこんな私にも、対等であろうと接してくれる人はいる。私の暗く冷たい、ミディアムボブの黒髪とは違う――柔らかな薄茶色のロングヘアが、春風に揺れていた。
彼女は学園のアイドルと持て囃されるほどの美人である上に、誰とでも仲良くなれる人当たりの良さがある。それは私に対しても例外なく発揮されており、彼女は私にとっては唯一と言っていい「友人」であった。
「そうですね……また来年のお花見も、ご一緒してよろしいですか?」
「もちろん。来年も、百花の重箱……楽しみにしてる」
「ふふ、期待されちゃいましたね。もちろん、腕によりを掛けますよ」
私よりもずっと白い肌。私よりもずっと綺麗な瞳に、私よりもずっと優しい笑顔。人としても女性としても、私には勝てる要素がない。
そんな私でも、「友達」として見てくれる彼女がいるのだから。この学校も、そこまで嫌いではないのだ。
同級生達から嫌悪される点を除いて、不満があるとするなら――
「セェーフッ! セフセフッ!」
――いつもこうして遅刻ギリギリで登校してくる、だらしのない男子生徒の存在だ。
彼は毎度のように息を切らして、校門を全力疾走で駆け抜けて行く。私達を追い抜いた彼を、大勢の同級生達が笑顔で迎えていた。
「ははっ! おい
「マジでか! よっしゃ、自己ベスト更新!」
「こないだは2分前だったもんなー。記録爆上げじゃん」
「フッ、今に見てな。朝練組より先に登校してやるぜ」
「だははは! 遅刻常習犯がなんか言ってまーす!」
「つーか掛け持ち助っ人野郎が朝イチに来て何するってんだよ、ウケるわ」
毎日のように遅刻ギリギリで登校してくる、問題児のはずなのに。爽やかな美貌と抜群の運動神経と、全国模試1位の学力くらいしか、取り柄もないはずなのに。
彼は沢山の友人に恵まれた、学園一の人気者であった。私にないものを全て持っている、まさに対極の存在。
だが、そんなことで彼を不満に思っているわけではない。ああいうタイプの存在自体を許容できないほど、私も狭量ではない。
私が1番、気に入らないのは。
「あっ……あの、おはようございます! 剣、君……」
「んっ? おぉっ、おはよう
「も、もう! たまにと言わず、ちゃんと毎日早く来てください!」
「おぉう、ぐうの音も出ない正論ですわ。そだな、これからはもうちょい早く家出るよ」
「お? なんだなんだ、流石に学園のアイドルに突っ込まれたら堪えるのか」
「うるせー、そんなんじゃねえっての。……じゃな華村、また教室でっ!」
「あっ……は、はいっ」
――こうして、いつも。私にとってのかけがえのない友達が、頬を赤らめて彼に声を掛けることである。
その光景はまるで、彼女を取られてしまったかのような喪失感となり――胸の痛みとなって、私に襲い掛かってくるのだ。
百花は私にとって大切な友人であり、だからこそ幸せになって欲しいと思っている。その気持ちに、嘘なんてないはずはのに。
そんな彼女の恋路を、素直に応援できない自分がいるのだ。
曲がった事が嫌いで仕方ない、父譲りの頑固な私には。よりによって遅刻常習犯と悪名高い彼が、百花に好かれているという事実が、どうにも受け入れ難いのである。
無論、彼が性格的には好人物であることは知っている。学業も優秀で部活を掛け持ちし、友人達からも頼りにされていると聞く。
その点においては、百花に相応しい男性だと私も思っている。だからこそ、余計に引っかかるのだ。
そんな彼の良さを、私の中で台無しにしてしまう「遅刻」に、一体どんな原因があるのかと。
◇
週末。私は百花と過ごす休日に備えるために、その日に着て行く服を見繕うべく街へと繰り出していた。
私の行動範囲がある程度自由になったのは、ごく最近のことであり――百花をはじめとする、「一般的な女子」の私服らしい私服というものを、私は持ち合わせていなかったのだ。
明日のショッピングでも一応服を買う予定はあるのだが、そこに行くまでの格好は自分で見定めておく必要がある。せっかく初めての友人とのお出掛けなのだから、隣を歩く彼女が恥をかかないような服を探さねばならない。
私は艶やかな白のワンピースに袖を通し、街を歩む。煌びやかな宝石で彩られたこの服は、やはり「一般的」ではないらしく……私は道行く人々からの視線を集め続けていた。
「よぉ、あんたこの辺じゃあんまり見ないね? どっか店でも探してる感じ?」
「俺らこの辺のこと詳しいし、どこにでも連れてけるよ。なぁ、行こうぜ」
「……」
そんな目立つ格好だからか、下賎な男共に絡まれることもある。見るからに軽薄な印象を受ける、金髪や茶髪の優男達が、馴れ馴れしく声を掛けてきた。
世間知らずの箱入り娘、ともよく言われる私だが。彼らの下衆な魂胆など、とうに見透かしている。本当にこれで女性に相手にされると思っているのであれば、実に哀れだ。
一見すれば私1人で行動しているように見えるだろうが、すでに路地の角には何人もの護衛が張り付いている。
今に黒服の男達が彼らを捕まえ、然るべき機関へと突き出すことになるだろう。今までが、そうだったように。
「ちょっと、よしなよあんたら。嫌がってんじゃん」
ほら来た。私の護衛を任務としている自衛官が――って、え?
「あぁ? なんだ兄ちゃん、この子の彼氏ってヤツかァ?」
「ちょっ……!?」
「えっ? ……あぁ、うん。じゃあ、そういう設定で」
最悪だ。
護衛より先に、誰かが助けに来てくれたのはいい。来た人間が、問題なのだ。
……なぜあなたが来たの、
◇
どうしてこうなった。
その一言に尽きる状況に立たされた私は、いつしか――ナンパ男達を追い払ってしまった彼と2人きりで、大手アパレルショップに足を運ぶ羽目になっていた。百花と過ごすための前哨戦だったはずなのに、これではまるで……。
「なぁ、これなんかイイんじゃない?」
「……」
ダメだ、それ以上はいけない。そんなのは絶対に許されない。
……だと言うのに私は、彼に言われるがままに服を選んでいる。確かに、元々服選びの心得がない私よりは、一般的な視点を持つ彼の方がこういうことは得意だとは思うが……自分が着る服を男に選ばせるなんて、はしたないにも程がある。
「たぶん華村も、これが喜ぶんじゃねぇかな?」
「……それにする」
「おう」
だが。いくら私が態度で拒絶の意を示しても、彼は全く意に介さずにあれこれと服を勧めてくる。しかも、百花の名前を出しながら。
なんて狡猾なのだろう、そうやっていつも女の子を手篭めにしているのだろうか。陰で私を見守っている護衛達も、何故か微笑ましげにこっちを見るだけで、彼を追い払おうとはしていないし……私は一体、どうすればいいのだろう。
「ま、お前と遊べるなら華村はあんまり格好とか気にしないと思うけどな」
「……あなたが百花の何を知ってるって言うの」
「何を……って、あいつがお前と遊ぶ日が楽しみだーって言ってたことくらい?」
「えっ……」
すると。服を選びながら小首を傾げる彼の言葉に、私は思わず声を詰まらせてしまう。
百花は、私との休日をそんな風に……?
「不動ってさぁ。いつもそんな感じでムスッとしてるし、それがしょうがないんだってのも、なんとなく分かるんだけど……さ」
「……」
「オレの時ならともかく。
微かな苦笑いを浮かべて、彼は見繕った服を私に差し出してくる。僅かな逡巡を経て、それを受け取った私には……無言で頷くことしか出来なかった。
……この人のことは、気に入らない。気に入らないが。
百花がそれだけ、彼を信頼しているということと。彼女にとっては、信頼に値するだけの人柄なのだということだけは、理解できる。
「……ふんっ」
「え、えぇー……」
だからこそ。人の服を選んでる最中に他の子の話を始める無神経さが、余計に気に食わない。
◇
別に私としても、彼のことが心底嫌いなわけではない。ただ学生として時間にルーズなのと、ヘラヘラしてるような態度が気に食わないというだけのことだ。
「付いてこないで」
「いや、オレん家もこっちだから。さすがに帰り道被るくらいは許してくれよ」
なのに彼は、服を買い終えた後もズケズケと私の隣を歩いている。
失せろオーラを全開にしても、明確な言葉にしても、彼は全く私から離れようとはしてくれない。他の男なら、今の言葉で気を悪くして帰って行くところなのに。
「ダメ。遠回りして」
「やだよ」
「どうして」
「お前と話せないだろ」
「……えっ」
ふと、散々彼を遠ざけようとしていた私の方が先に反応してしまった。その甘いマスクに騙されまいとする理性が、否応無しに私の表情を険しいものへと変えて行く。
「……あなたと話すことなんて、ない」
「ほら、いつもソレ。普段からずっとそんな感じだから、今まで話し合いにもならなかったじゃん。何が好きとか嫌いとか、そんなことでもさ」
「じゃあ、あなたが嫌い」
「思いのほか火の玉ストレート……」
百花という人がいながら。遅刻常習犯のくせに。……友達がたくさんいる、人気者のくせに。こんな私にまで、話しかけようとする。
そんな余裕綽々な態度が、1番気に入らない。私が持ってないもの全てを、見せ付けられているかのようで。
そう。……全ては、私の独り善がり。ただの私個人の、ワガママ。
だからそんな私を、彼がいつまでも気にかける必要もない。こうしていればじきに愛想を尽かして、彼から離れて行くだろう。
それでいい。きっと、それでいいのだ。彼の隣を歩く女性は、私ではないのだから。
「ん? あ、ごめん不動。ちょーっとだけ待っててくれ」
「えっ……」
などと、強がっていながら。何かを見つけた彼が、その場を離れてしまった途端に――私は言いようのない寂しさに襲われ、思わず彼の背に手を伸ばしてしまう。
その先には――横断歩道を渡ろうと苦心している、杖をついたお婆さんの姿があった。彼はお婆さんの手を取り、横断歩道の向こう側まで優しく付き添っている。
「お兄さん、いつもごめんねぇ。早く渡らなきゃって、頑張ってるんだけどねぇ……」
「だからって、無理して1人で出歩くことないだろ? これから暑くなるんだし、倒れたりなんかしたら大変だ」
「ありがとうねぇ、お兄さん。……あぁ、学校はいいのかい? あたしのせいでまた遅刻しちゃうよ。こないだは隣町まで迷子の子を連れてたし……大丈夫かえ?」
「残念、今日は土曜日でした」
「あらあら、そうだったわねぇ」
すると、思いがけないタイミングで。そんな彼と、お婆さんの遣り取りが――私の疑問を、氷解させた。
彼はいつも、そんなことばかりしているから「遅刻ギリギリ」なのか。ああしていつも、困っている人を助けているから……。
「やー、すまんすまん。あのお婆さん腰が悪いくせして、いつも無茶してるからさぁ。ほら、行こうぜ」
「……」
お婆さんを見送って、戻って来た彼はいつも通りの調子で私に声を掛けてくる。……彼にとっては私も、お婆さんのような「困った人」なのだろう。
だから私がどれだけ嫌がっても、離れようとはしなかったのだ。……彼はそんな風に生きられるような、器を持っている。
いつも車で送迎されている私には、あんな風に誰かを助けることなんて出来ない。また一つ、私には敵わないものが増えてしまったかのようだ。
――何が好きとか嫌いとか、そんなことでもさ。
「……」
「……不動?」
ふと。先程の言葉を思い出して黙りこくる私に、彼が心配げに顔を覗き込んでくる。
なんだかもう、イヤイヤと抵抗してばかりの自分が、恥ずかしくなってきてしまった。これではまるで、あやされている幼子だ。
「……私ね、桜が好きなの。学校だと皆に嫌われてばかりで、百花くらいしか構ってくれる人もいないんだけど……登校中に車から見える、桜の綺麗な景色にいつも、癒される」
「……」
私はそんな彼に観念したかのように、自分の「好きなもの」を語り始める。脈絡もなく、言葉を紡ぐ私の横顔を、彼は何も言わず見守ってくれていた。
「でも、その桜も散っちゃった。来年まで、綺麗な桜はもう見られない。……そう思ったら、
「……バカだな」
「えっ……」
だが、私が胸の内を零した途端に。
彼は穏やかに笑い掛けながら、その表情とは裏腹な言葉をぶつけてくる。そんな彼の対応に、思わず私が顔を上げる瞬間――私の頭は、ぽんぽんと優しく叩かれてしまった。
すっぽりと包まれてしまったかのような安心感に、私が襲われた一瞬の隙を突いて。彼は、私の手を握って何処かへと歩み出してしまった。
「ちょ、ちょっ……!」
「まだ桜は終わってねぇよ。いいもん見せてやるから、ちょっと来い」
いや、行き先はわかる。その方角は、私が今までずっと避けてきた場所に向かっているからだ。
なのに彼は、嫌がる私の手を引いて、そこに連れて行こうとしている。優しい声色に反して、私の手を握る力は引き離せないほど強く――言葉には、有無を言わせぬ迫力があった。
――彼が悪い、これは彼が悪い。こんな力で掴まれたら、あんな力強い言葉で強いられたら、抵抗なんて出来るはずがない。
しかも私達を監視しているはずの護衛達は、助けに入るどころか親指を立てて推移を見守るばかり。お前ら仕事しろ。
そう。護衛は仕事しないし、彼は強引だし。これは仕方のないことなのだから、私は悪くない。全部全部、彼のせいなのだ。
一体誰に対しての言い訳なのか、私はそんな詭弁を心の中に並べながら、彼の為すがままに手を引かれていた――。
◇
「……うわぁっ……!」
子供染みた言い訳を重ねながら、私が辿り着いたのは――目黒川の並木道。
その桜に彩られた、一面の
まるで、川に再び桜が咲き誇っているかのような絶景。それを目にした私の顔はきっと、かつてない笑みに包まれていることだろう。
本来ならその顔を映す水面があるはずの目黒川は今、花筏によって覆い尽くされている。もう会えないと諦めていた桜との再会に、私は破顔し――隣に立つ彼も、してやったりと言わんばかりに笑みを零している。
「オレもさ、学校行く時によくここを通るんだ。こんな桜も悪くないだろ?」
「剣君……」
「……明日には、華村にも見せてやろうぜ?」
私を励ますように笑う彼に、思わず目を奪われてしまう。こんなものを見せられてしまったら……私は……。
「……そうだね。考えておく……」
微かに残る理性を総動員して、私は彼から視線を外し、花筏に視線を集中させた。百花のためにも、これ以上本能を刺激させてはならない。
そんな失礼な私にも、彼は決して怒らず。はいはいと笑いながら、私の気が済むまで花筏を眺めてくれていた――。
◇
――その後。
黒服の男達が、
そして。
「……お、おぉ。おはよう、不動」
「……おはよう、剣君」
車で送迎されていたはずの私は、今。目黒川の並木道を、
彼が将来、百花を困らせるような人にならないためにも、私がしっかりと目を付けておかなくてはならないからだ。そこには断じて、他意はない。
「な、なぁ。なんで最近ここ通ってんの? お前、車通学じゃあ……」
「どうでもいいでしょ。さっさと歩く」
「お、おう」
――他意など、あってはならない。
この身を焦がし、熱く頬を染めさせる、甘い高鳴りなど――。
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