第39話 公演最終日


 公演の最終日、劇場で、フローラはリハーサルの前にユリアンに頭を下げる。


「今日のこの日を迎えることができたのは、ユリアンさんたちのお陰です。わたし、この劇団に入れて本当によかったです。」


「それは私の台詞よ。貴女がうちの劇団に来てくれて本当によかった。貴女はいつも、いい意味で私の予想を裏切ってくれるお芝居を見せてくれた。新鮮な驚きの毎日だったわ。ありがとう、イザベラ。」


 うう、やばい。まだ開演もしていないのに涙が出そう。今日はジークハルトやレオやルーカスもきっと見にきてくれている。最後に最高の『エルザ』をお客様と応援してくれた人たちに見せなくっちゃ。


 楽屋にはジークハルトとルーカスが来てくれた。


「フロ……イザベラ、今日の最終公演、頑張ってね。」


「ありがとう、ルーカス。」


「イザベラ、君の最後の『エルザ』、楽しみにしてる。頑張って。」


「ありがとうございます、ジーク様。」


 フローラは二人と軽い抱擁を交わす。ジークハルトは額にキスをしてくれた。よし、がんばろう。


 他の役者の皆と舞台の袖へ行く。1か月もやってきたことなのに、いつもよりも緊張する。ユリアンと目が合うと、微笑んで頷いてくれた。緊張を押し殺してフローラは舞台へ足を踏み出す。


 位置について、準備をする。開演のベルが鳴る。しばらくすると幕が上がる。フローラの目の前に広がるのは一心にこちらを見つめるたくさんの観客の顔。彼らは真剣な表情でフローラを見つめている。フローラは一息おいて最初の台詞を声に出す。


『わたくしの名前はエルザ=フォーゲル……』




 幾幕もの出番をこなし、舞台が終わり、幕が下りる。カーテンコールでユリアンが挨拶をする。その後にフローラが観客に感謝の気持ちを伝える。


「エルザ=フォーゲル役のイザベラと申します。公演は本日で最後となりますが、今日のお芝居を観てくださったお客様、最後までご覧いただきありがとうございました。また次回の公演でお会いできるのを楽しみにしています。」


 前もって挨拶の言葉を考えていたのに、いざとなるとあまり言葉が出ずに短い謝辞となってしまったが、観客は割れんばかりの拍手をフローラに贈ってくれた。感激のあまり胸がいっぱいになる。本当に嬉しい。


 再び幕が下りて皆もフローラも感極まって涙が零れる。


「皆、お疲れ様。イザベラも素晴らしい『エルザ』だったわ。お疲れさま。皆、今夜は屋敷で宴会よ!」


 皆から喜びの声が沸きあがる。フローラもまたあの楽しい打ち上げに参加できると思うと、嬉し涙も引っ込んでしまった。周囲は幸せそうな笑い声で満ちている。この劇団に入って本当によかった。


 帰り支度をして屋敷に戻り宴の準備が終わる頃、ジークハルトとレオが訪ねてきた。フローラはまったく知らされていなかったので2人の来訪に驚いてしまう。

 びっくりしていたフローラにユリアンが説明する。


「私が二人を招待したのよ。だって美しい人がいっぱいいたほうが楽しいじゃない?」


 以前から思っていたが、ユリアンが好きなのは女性なのだろうか、それとも男性なのだろうか。まあどっちでもいいがジークハルトは守らなければ。


 フローラの隣にジークハルトが座ると、反対側にレオが座る。うう……居た堪れないんだけど。レオを睨み付けるジークハルトに対し、レオは飄々と笑顔で躱す。


「婚約者でしょう? 余裕なさすぎるんじゃないの? ジークハルト。」


「イザベラは私を・・愛していると言ってくれましたからね。殿下の出る幕はありません。」


「ふふ。人の心は移ろうものさ。そんなに自信があるならもう少し余裕持てば? ねえ、イザベラ。」


 レオがフローラの耳元で囁く。


「まあ、二人とも飲んで飲んで。仲良くしないと、わたしユリアンさんの所に行きますからね。」


「はぁい。」「くっ。」


 レオは飄々と、ジークハルトは悔しそうに答える。そしてジークハルトがフローラに話しかける。


「イザベラ、今日は宴が終わったらともに屋敷に帰ろうか。」


 するとそれを聞いたユリアンがジークハルトに話しかける。


「アーベライン様、イザベラも荷物の準備があるでしょうし、明日お仕事がなければ泊まっていらっしゃればいいですわ。客室を準備させますから。今日は朝まで終わりませんからね。」


「朝まで……。申し訳ない、お心遣い感謝するが明日は仕事だ。……仕方ない。イザベラ、明日必ず屋敷に戻っておいで。」


 ジークハルトはかなりがっかりした様子だ。レオはそんなジークハルトを見て、イザベラに蠱惑的な笑みを浮かべながら話す。


「別にここでゆっくりしていけばいいんじゃない? どうせ結婚したら毎日一緒に暮らすんだからさ。今だけだよ? 自由でいられるのは。」


 レオはまた波風を立てるようなことを……。ジークハルトは再びレオを睨む。

 フローラはジークハルトに答える。


「ジーク様、今夜はここに泊まりますが、明日必ずお屋敷に戻ります。心配しないでくださいね。」


「あ、ああ、待ってる。」


 フローラの言葉を聞き、ジークハルトは安心したように優しい笑みを浮かべ頷いた。レオは肩を竦め笑う。

 ジークハルトとレオは真夜中に帰っていった。フローラもなんだかんだでまだ16才なわけで、真夜中を過ぎると眠くなってしまう。


「うう……ユリアンさん、先に休みます。おやすみなさい。」


「あら、おやすみ、イザベラ。」


 まだ他の皆は宴もたけなわといった感じであったが、フローラはユリアンに挨拶した後早々に部屋に戻り、入浴を済ませると速攻でベッドに入った。


「ふわぁ……。おやすみなさい、ジーク様……。」


 1か月間の疲れがどっと出たフローラは、すぐに夢の世界へ入ってしまった。




 翌日フローラは、ユリアンに挨拶を済ませ、荷物を纏めて馬車を借りて屋敷を出た。馬車の中でフローラは考える。まだ朝だし荷物だけ侯爵邸に運んでもらって、フローラのままで街で買い物でもしようかな。


 街の中心辺りで降ろしてもらい、御者に荷物をお願いする。フローラは久しぶりの街の散策に心が躍る。まずはカフェでお茶をして、その後雑貨でも見にいこうかしら。

 フローラは前回の公演でも出演料を貰っていた。だが出番が少なかったのと期間が短かったので、前回と比較して今回もらった出演料の金額の多さに驚いた。はっきり言って桁が違う。これなら一人でも暮らしていけるわね、などとジークハルトが聞いたら涙を流しそうなことを思わず考えてしまうのだった。


 カフェに入り、窓際の席で紅茶を飲んでいると、突然フローラの向かいの席に女性が座る。プラチナブロンドの髪を編み上げ、ハシバミ色の瞳を持つ美しい女性だ。

 フローラはふと周囲を見るが、他にも席はたくさん空いている。なぜここに座るのだろうと不思議に思い、フローラは女性に尋ねようと口を開く。


「あの……。」


「ねえ、貴女。男爵令嬢のフローラ=バウマン?」


 女性はフローラの言葉を遮るように、不躾な態度で名乗りもせずにフローラに尋ねてくる。その眼差しには嫌悪の色が見てとれる。

 フローラは非常に記憶力がいい。だが、その時はどんなに己の記憶を辿ってみても女性の顔には見覚えがない。


「ええ、そうですが、わたくし貴女とは初めてお会いしますわよね?」


「ふふ。でも今お知り合いになりましてよ。私はアグネス。クラッセン侯爵家の娘ですの。ねえ、フローラ。私のお屋敷にぜひご招待したいのだけれど。」


 フローラはとてつもなく嫌な予感がする。誘いに乗ってはいけないと直感的に感じる。


「アグネス様。せっかくのお誘いですが、わたくしはこれから行かなければならないところがございますの。また機会がありましたらお誘いくださいませ。」


「うふん。男爵家のくせに侯爵家に逆らうというのかしら。それに、貴女は絶対に聞いておいたほうがいいお話があるのよ。いえ、聞かなければいけないわ。」


 アグネスは皮肉気な笑みを浮かべ、高慢な態度を崩さない。聞かなければいけない話……なんだろう。無視しなきゃいけないと思うのにすごく気になる。


「お話ならここでお伺いしますわ。」


「そう……。ジークハルト様のことなんだけど、貴女が来ないんじゃ仕方ないわね。私が勝手にお話を進めさせてもらうわ。」


 はあ? 何言ってるのかしら、この人は。


「……分かりました。アグネス様のお屋敷にお伺いいたします。」


「そ、賢明ね。」


 そう言ってアグネスがテーブルを立つと、いつの間にか現れた彼女の護衛の男がフローラの左後ろ側に立つ。どの道断っても無理やり連れていくつもりだったのだろうか。彼女の狙いが分からず不気味だ。


「会計を済ませますからお待ちください。」


 そう言ってフローラは会計を済ませ、アグネスについていく。覚悟を決めて彼女の狙いを確かめなければ。

 フローラは促されるまま、アグネスとともに馬車に乗り込んだ。




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