第88話 王都からの旅立ち


 その日セシルはクロードと一緒に、城にある軍の本部の執務室へ来ていた。バルトに会うためだ。ワタルとケントが日本へ帰ってから既に3日が経過していた。クロードはこれまでハイノとして軍と関わってきたために、引き継ぎや後片付けに時間が必要だった。今日はバルトと最後の打ち合わせをしなくてはいけないらしい。

 執務室にある本を読みながら、彼らの会話が終わるのを1時間くらい待つ。そしてそれが終わったのを見計らって、恐る恐るバルトに話しかけた。


「あの、バルトさん、実は貴方に謝らないといけないことがあります」

「うん、なんだい?」


 バルトがまるで子供に話しかけるように姿勢を低くして目線を合わせてセシルに答える。いや、子供なんだけれども。大きな彼を見上げると首が痛くなってしまうので大変ありがたい。


「実はケントのことなんです。彼がワタルさんと一緒に召喚されたときに、エメリヒさんに殺されそうになったことはご存知でしょうか?」

「ああ、知っている。全く酷い話だ」


 セシルの言葉を聞いてバルトが頷き憤りを見せる。


(ケントのためにこんなに怒ってくれるなんて、本当にこの人はいい人なんだな。)


 そんな彼に向かってさらに話を続ける。


「それでケントが逃亡するときに……」


 ああ、言いづらい。さすがにこれを言ったら怒るんじゃないだろうか……。

 そんな想像をしつつもぐっと覚悟を決めて話を続ける。


「貴方の馬……その……ゴットフリートを黙って拝借したのです」

「っ……!」


 バルトが驚いたのか目を丸くしている。青天の霹靂といった感じだ。やはり全く気づいていなかったようだ。

 早い話が、ケントはバルトの馬を盗んだのだ。逃亡する手段のためとはいえ、バルトの立場に立ってみれば愛馬を盗まれたことに変わりはない。愛馬が居なくなったと気づいたときは、さぞつらい思いをしたことだろう。


「それでもケントはハヤテ号……ゴットフリートをとても大事にしていました。愛着も湧いていたようで、貴方には申し訳ないのですが王都へ来てからもお返しすることができませんでした」


 バルトは腕を組んで瞑目し何かを考えているようだ。じっと黙ってセシルの話に耳を傾けている。


「そのケントは日本へ帰ってしまいました。勿論このままわたしがゴットフリートの面倒を見ても構いません。だけどもともとは貴方の馬です。だからゴットフリートをどうするか、貴方の意向を確認すべきだと思いました。そして貴方にこの話を打ち明けることにしたのです。その……ケントに代わって謝ります。本当にごめんなさい!」


 セシルはそこまで話したあとに勢いよく深々と頭を下げてバルトに謝った。

 彼はそんなセシルを見てニカッと笑った。


「セシルちゃん、顔を上げて。ゴットフリートは大事にしてもらってたんだろう? それにエメリヒの凶行を止めきれなかった私にも責任がある。ケント君が逃亡せざるを得なかったのは言い換えれば私のせいでもあるんだ。だから君が謝ることはない。勿論ケント君もだ」

「では許してもらえるのですか?」


 恐る恐るバルトを見上げると、彼は優しい笑みを浮かべながら大きく頷く。


「許すも何も仕方のないことだ。気に病むことはない。ゴットフリートは私が引き受けよう。そしていつか彼が帰ってきて、そのときまだゴットフリートを欲していたら彼に譲ろう」

「バルトさん……! ありがとうございます!」


 セシルは再び頭を下げてバルトにお礼を言う。なんていい人なんだろう。怒りもせずにケントが帰ってきたら馬をくれると言う。これを聞いたらきっとケントは喜ぶだろうな。

 そして「いつかケントが帰ってきて」というバルトの言葉を聞いて、何とも言い難い空しさを感じる。もう彼が帰ってくることはないと分かっているから。


「よかったな、セシル」

「うん!」


 成り行きを見守っていたクロードが声をかけてくれる。バルトの許しが得られてほっとした。勇気を出して打ち明けて本当によかった。

 クロードがバルトに別れの言葉を告げる。


「それじゃ、そろそろ行くか。バルト、今まで世話になった。達者でな」

「バルトさん、どうかお元気で」

「ああ、2人ともどうか元気で。王都へ来たら必ず会いに来てください。それとミーナさんによろしくお伝えください」


 バルトがにっこり笑って手を振る。セシルたちは彼に手を振り返し執務室を出た。

 神殿に居るエリーゼや他の人たちとの別れも既に済ませている。あとは旅立つだけだ。


 王都を出る前に宿屋へ立ち寄って、宿屋の主人にお礼を言う。そして直にバルトがハヤテ号を引き取りに来ると伝えた。

 精算を済ませたあとマリーを引き取りその背に跨る。クロードもまた自分の馬に跨る。そうしてお昼前には王都を出発した。





 王都を出てからクロードはようやく変装を解いた。馬を走らせグーベンの町を経て国境を越えたのち、ようやくモントール共和国へと入った。野営も混じえながら、ヘルスフェルトの町、鉱山の町ジーゲル、港町ロシュトック、レーフェンの町を経由して魔の森へ向かう。

 その間に経由した町で、稀にクロードの姿を見て目を瞠る人が居た。だが特に大した騒ぎにはならなかった。王国の勇者だからか30年も前のことだからか、共和国に入ってから彼が騒がれることはあまりなかった。


 そして最後に魔の森に最も近いザイルへと到着する。王都を出てから約1か月後のことだった。


 クロードと旅を続けた1か月。行きはケントと旅した道程だった。魔の森への帰路を辿りながら、行く先々で彼との思い出が蘇る。それを思い出す度に胸が温かくなりそして苦しくなった。ときに思いがけず涙を零してしまうこともあった。


 クロードとの旅は楽しかった。魔物に襲われることもあったけどクロードと居れば何の困難もなかった。ケントと王都へ向かうまでは、盗賊に襲われたり暗殺者に襲われたりといろんな事があって大変だった。それなのに帰りはあっさりとザイルに到着してしまった。





 ザイルの町に入ったあと、クロードと一緒にザイルの宿屋に部屋を取った。まだ昼下がりで十分に時間はある。そこでかつてこの町で交わした約束通り、ソフィーに会いに行くことにした。

 もう彼女と別れて半年以上が経っている。彼女はセシルのことを覚えてくれているだろうか。


「それじゃ、行ってくるね。おじいちゃん」

「ああ、行っておいで。ゆっくりしてきていいからな」

「うん、ありがとう!」


 セシルはクロードに断って、ソフィーの家へ向かうべく宿屋を出た。





 貧民街スラムを訪れたときは既に昼の3時を回っていた。ザイルに到着した時間がお昼を過ぎていたから仕方ない。

 細い路地を抜けソフィーの家の前に到着した。家の扉をノックする。もしかしたら彼女は自分を忘れているかもしれない。そう思うと胸に一抹の不安がよぎる。


――コンコン


「ソフィー、居る? セシルだけ」


 セシルは扉越しでも聞こえるように大きな声で呼びかける。だが最後までその言葉を紡ぐことはできなかった。

 バタバタと中で音がして突然バタンと扉が開く。


「セシルっ……!」


 中から泣きそうな顔のソフィーが飛び出してきたからだ。彼女はセシルの名前を読んだあと勢いよく抱きついてきた。

 彼女は少し背が高くなった気がする……。セシルも少し背が高くなったからか、その差はあまり縮まっていないようだけど。


「セシルっ、セシルっ!」

「ソフィー、ただいま! あはは……苦しいよ!」


 ソフィーの力強い抱擁に喜びが込み上げる。

 セシルもソフィーの背中に手を回して2人でしばらく抱き合った。そしてばっと彼女が顔を上げてセシルの顔を見て答えてくれた。


「セシル、お帰りなさい!」


 そのあと入り口から入って中を見たら、既にベンノが仕事から帰ってきていた。最後にここへ挨拶に来たときには、彼は仕事中で会えなかったんだった。


「ベンノさん、お久しぶりです。また会えて嬉しいです」

「セシルちゃん、久しぶりだね。おかえり。大きくなったね……なんだか大人っぽくなった気がするな!」

「本当だよ。セシルが先に大人になっちゃったみたいで私ちょっと寂しい」


 2人がとても明るい笑顔を向けてくれている。彼らは再会を心から喜んでいるようだ。それがとても嬉しかった。


 その日はソフィーの家で夕食をご馳走になることになった。夕食を食べながら、これまでに起きたいろいろなことを2人に話した。おじいちゃんのこと、王都でのこと、そしてケントのこと……。

 2人はセシルの話を静かに聞いてくれた。そして「よく頑張ったね」と労ってくれた。


「ソフィー、ベンノさん。私はこれからおじいちゃんと一緒におばあちゃんの所へ帰る。明日には町を出るけど、またここへ会いに来るからそれまで元気でね」

「うん、セシルもどうか元気で。また会えるのを楽しみにしてるからね」

「帰りは気をつけなさい。おじいちゃんによろしくな」


 2人と別れの挨拶を済ませて別れたあと、宿屋へ向かうべくソフィーの家を出た。





 宿屋に戻るとクロードはまだ起きてセシルを待っていた。夕食は一人で取ったみたいで、なんだか申し訳なかった。

 彼は「泊まってもよかったんだ」と言ってくれたけど「おじいちゃんが寂しがるから」と答えた。するとなんだか恥ずかしそうにしながらも嬉しそうだった。

 寝る前にクロードがセシルに話しかける。


「セシル、明日は町を出る前に冒険者ギルドに寄ってもいいか?」

「うん、いいけど何か用事があるの?」

「いや、用事というほどではないんだが。ザイルのギルドマスターとは昔からの知り合いなんだ。折角この町に来たし久しぶりだから顔を見せに行こうと思ってな」

「うん、いいよ。わたしも久しぶりだから挨拶したい」


 この町の冒険者ギルドはセシルが初めて冒険者として依頼を受けた場所だ。お世話になった人もたくさんいる。何も分からなかったセシルにいろんなことを教えてくれた。

 その夜セシルは翌日の冒険者ギルドでの皆との再会を楽しみにしながら、ベッドへと潜り込んだ。




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