第36話 精霊たちの怒り <ケント視点>


 セシルがノインの一撃で意識を失うと、俺の周りをまわっていた光の剣がひときわ激しく輝く。そして徐々に暗雲が立ち込め、まだ日も沈んでいないのに辺りが暗くなる。

 強風が吹き始め、砂浜の砂が立ち上る。周囲には火の気もないのに熱気が立ち込め、視界が蜃気楼のように揺れる。

 まるで見えない炎に焼かれるかのように熱いのに、砂浜には霜が降り、ところどころ凍り始め、空中に無数の氷の槍が現れ、浮いている。


 ―――ゴゴゴゴゴ……


 まるで大地が憤っているかの如く地鳴りが響く。辺りの空気がビリビリとし、耳鳴りがする。気圧のせいか激しい頭痛に襲われる。これは、精霊の怒りか……!!


「なによ、なによ! なんなのよう!」


 ノインは混乱し、怯え、誰にともなく声を張り上げる。小太刀男は頭痛に堪えきれないのか、頭を抱え込んで膝をついている。俺は何とか正気を保って立っていられるが、意識が朦朧としてくる。このままだとヤバい!


「セシルっ、セシルっ! 目を覚ませっ!」


 俺の叫びはビリビリとした空気の振動でかき消され、セシルは目を覚まさない。


「セシルーーーっ!!」


 そのときだった。セシルの近くにあった岩陰からアンナさんが出てくる。そしてセシルの近くに座り込み、彼女の頬に手を当てて、セシルに何やら呟いているようだ。


「えっ……!?」


 俺は驚いた。なぜここにアンナさんが。

 俺が駆け寄ろうとすると、踏み出そうとした先の地面が割れる。俺は咄嗟に踏み出そうとしていた足を引っ込める。


「くそっ! ……セシルっ!!」


 さすがにないとは思うが、このままでは精霊の怒りで、セシルの命まで危険に晒してしまうかもしれない。


 アンナさんは、セシルに巻きついていた封魔の鎖を外すと、こちらを見てにこりと笑う。そしてその傍らでは、今まで意識を失って倒れていたセシルがゆっくりと上半身を起こす。どうやら意識が回復したようだ。


「セシル……。」


 俺はこんな状況にもかかわらず、安堵の溜息を漏らす。

 セシルはすぐに周囲の状況を見て理解したようで、一瞬顔色を失うが、その後両手を胸の前で組んで何やら呟いている。


 するとどうだろう。今までびりびりとしていた空気が静かに凪ぎ、割けていた地面が元に戻る。周囲は柔らかな温かさを取り戻し、空中に浮いていた氷の槍は蒸発するように消える。荒れ狂う強風はそよ風となり、暗雲は晴れ沈みかけの太陽が姿を現す。そして俺の周りにあった光の剣はいつの間にか消えてしまった。


 すぐにセシルのもとに駆け寄りたかったが、その姿を見て安堵するとともに、すぐに精霊たちの暴走の直前の戦いのことを思い出す。即座に俺は小太刀男に接近する。男は頭を左右に振り、周囲の状況の変化に未だ呆然としているようだ。


「わりいな。俺たちも死にたくないんでな。」


 俺はそう声をかけ、小太刀男の胸をショートソードで貫く。


「あ……あ……。」


 男は何が起こったかを把握する間もなく、最後は俺と目を合わせ絶命する。俺は毎度のことながら人の命を奪うたびに嘔吐感に襲われる。

 だが降りかかってくる火の粉を払わなきゃ生きていけない。俺は毎回そう自分に言い聞かせている。

 そして俺はノインの方を振り向く。


「『凍結フリーズ』。」


 見ると、セシルがノインの体を氷漬けにしている。見た感じ、前の戦いの時のようにキレている訳ではなさそうだ。セシルの金の瞳は怜悧な光を湛え、その表情は極めて冷静だ。

 アンナさんの姿はもう既に見えなかった。一体彼女はあのとき何をしたんだろうか。

 ノインが悔しそうにセシルに叫ぶ。


「くっ……! 鎖がなくなった途端、すぐにこれとはね!」


 ノインは今や足から腕、そして胸元まで凍り付いている。


「お姉さん、……悪いけどその命もらうね。」


 セシルは躊躇いつつ、いつの間にか拾い上げた自分のショートソードの切っ先をノインに向ける。

 ほんの一瞬のことだった。瞬きの間に氷漬けになっていたはずのノインは5メートルほど離れた場所にいる。俺もセシルも驚きのあまり声も出ない。どういうことだ!?


「はあ、はあ……。くそっ、久しぶりに能力を使ったわ。はあ、はあ。……あの恐ろしい魔法はきっとさっきの女が使ったのね。意外なところに伏兵がいたものだわ。悪いけど今日のところはこれで失礼するわ。はあ、はあ。なけなしの体力を今使っちゃって、あんたたちと遊んであげる元気は残ってないのよ。じゃあ、またね。」


 ノインは苦悶の表情を浮かべながらそう言い置くと、もう次の瞬間にはそこにいなかった。これは、瞬間移動的なものなのか。能力とか言っていたな……。俺はセシルを振り返り急いで駆け寄る。


「セシルっ! 大丈夫か!?」


 セシルの表情には疲労が色濃く出ていたが、それをごまかすように俺ににこりと微笑む。


「うん、大丈夫。アンナさんが助けてくれたから……。」


「アンナさん……。一体彼女は何をしたんだ?」


「僕もよく覚えていないんだけど、多分、生命力回復ヒールをしてくれたんだと思う。それから鎖を解いてくれた。あの鎖は魔法を封じるだけじゃなくて、僕の魔力を吸収してたみたいなんだ。お陰で助かった。それに……。」


 セシルは己の両手をじっと見つめ、再び話を続ける。その表情には喜びの色が滲んでいる。


「僕、皆と、精霊たちと話せるように、姿も見えるようになったみたい……。さっき精霊術も使えた。」


「ああ、あのノインを凍結させてたやつか。」


「うん、あれは水の精霊ディーの力を借りた精霊術なんだ。」


 俺は、先程砂浜が凍りかけ、氷の槍が出現していたのを思い出し、ぞっとする。あれは、そのディーって精霊の仕業のようだ。


「ノインは逃がしちまったけど、どうやら、精霊の暴走を、アンナさんの魔法だと勘違いしてくれたようだしよかったよ。最後の奴の能力は想定外だった。逃がしたのは残念だったが、ああいうよく分からない異常な能力を持った集団かもしれないな。分身の術もわけわからんかったし……。」


 俺がそう言うと、セシルははっと気づいたように俺を見る。そして眉根を寄せて、その金の瞳を泣きそうに潤ませ、焦ったように俺に訴えかける。


「ケント! その怪我! 早く上回復薬ポーション飲んで!」


「あ、ああ、そうだな。」


 俺は、精霊の暴走やら、セシルが回復したことで安堵し、すっかり自分の傷のことを忘れていた。思い出したらだんだん痛くなってきた。いてえーーーー!

 俺はバッグから上ポーションを取り出し、一気に煽る。すると段々傷が塞がってきた。命さえあればなんとかなるもんだ。生きててよかった。


「痛みが引いてきた。傷も塞がってきたみたいだし、もう大丈夫だ。」


「ごめん、本当は僕が治してあげたいんだけど……。それにもっと早くウィルに頼んで聖光剣ホーリーブレードを発動していたらこんな大怪我させずに済んだかもしれないのに……。」


「いや、セシルはあの封魔の鎖とかいうのでダメージを受けてたわけだし、俺もいつも助けられてちゃ、格好つかないしな。結局は助けられたが。」


 俺が笑ってガシガシ頭を掻くと、セシルは泣き笑いみたいな顔で俺を見る。どうやら安心したようだ。


「そうだ、セシル。『翻車魚まんぼう隠家かくれが』に戻らないか? リタさんも心配してると思うし、早くアンナさんのことを教えてあげないとな。」


 俺は思い出したようにセシルに告げる。


「そうだね。行こう!」


 俺はセシルとともに東の海岸を後にし、酒場『翻車魚の隠家』へ向かう。




 30分ほど歩き、ようやく酒場へ到着する。もう辺りは暗くなっていたが、店は開いていなかった。

 俺は少し不安になる。リタさんは無事にここに着いたんだろうか。もし途中で何かあったりしたら……。

 そんな不安を抱きながら、俺はセシルとともに裏口の扉を開く。


「こんばんはー……。」


「おう、おかえり!」


「おかえりなさい!」


 明かりのついた店のカウンターには明るい笑顔を浮かべた二人の姿があった。

 ああ……よかった、無事だった。

 俺達の姿を見るとカウンターの椅子から二人が立ち上がり、リタさんが深々と頭を下げる。


「あの、リタと申します。お二人とも、あんな怖い人達から私なんかを助けてくださって、ありがとうございました。」


 申し訳なさそうに、アンナさんそっくりの青い目を潤ませるリタさんに、俺は安心させるようゆっくりと答える。


「いえ、気にしないでください。俺はケント、この子はセシルです。ところでリタさんは、奴らに何か手荒なことはされませんでしたか?」


「いいえ、特に何もされませんでした。ご心配おかけしてすみませんでした。」


 リタさんが俺に答えると、セシルが二人に問いかける。


「あの、お二人は夫婦なんですか?」


「ええ、まあ。」


 リタさんがぽっと顔を赤らめて頬に手を添え、目を逸らしつつ恥ずかしそうに答える。どうやら恋は成就したようだ。よかった。

 それから隣にいたマスターが口を開く。


「俺からも礼を言わせてくれ。ありがとう! 俺の名前はトーマスだ。お陰で無事にリタが帰ってきた……。しかし、なんなんだ、そいつら! なんでリタを……。」


「それは、すいません。俺のせいです。俺達がリタさんを探していたから……。」


 俺はトーマスに頭を下げる。その様子を見てトーマスが俺に尋ねる。


「……何があったのか事情を聞かせてくれないか?」


 俺は追われていること、そしてアンナさんに会ってリタさんを探していたことを詳細に二人に告げる。


「そうか……。それは、あんたたちも災難だったな。それに、そういう理由だったら、俺の責任もあるな……。」


 少し考えてからそう話したトーマスの腕に、リタさんは手を伸ばし、ふるふるとその首を左右に振り、彼の言葉を否定する。


「違うわ、トーマス! 私が勝手に押しかけたんだもの。……私、アンナ姉さまに会ってくるわ。」


「だがお前、攫われたばっかりなのに……。」


 トーマスが心配そうにリタを見つめる。そんなトーマスにリタは答える。


「私はもう平気。会えばきっとアンナ姉さまも安心してくれると思うから。行くのは明日の朝でもいいですか?」


「ええ、もちろんです。明日の朝ちゃんと俺達が護衛してついていきますから。」


 俺がそう答えると、トーマスとリタは安心したように微笑みあった。

 くそ羨ましいな、おい! だが俺は明日アンナさんと……。思い出すと顔がニヤついてしまう。……おっと、セシルが睨んでる。いかんいかん。


「それじゃケント、そろそろ宿屋に戻ろうか。トーマスさん、リタさん、また明日来ます。」


 セシルはそう言って俺を連れて店を出る。俺達は宿屋へ向かって歩き出した。




 俺達は宿の部屋に戻ってからソファーに向かい合って座った。俺は今日あったことについてセシルに問いかける。


「セシル、お前があんなふうになると、精霊たちはまた暴走するのか?」


「うん、多分……。意識を失っただけでああなることはないと思うんだけど、多分僕がされたこととか、精霊たちは全部見てたんだと思う。あの時は僕が殴られて意識を失った上に、命の危険もあったから。僕もあそこまで精霊たちの力がすごいとは思わなかったんだ。巻き込んでごめんね……。」


「いや、セシルのせいじゃないし……。ただ精霊術を使えるだけで『いとし子』ってわけじゃないんだなってことが、今回よく分かったよ。セシルは本当に精霊に愛されてるんだな。他の精霊ともまた話せるようになってよかったじゃないか。」


 俺がそう言うと本当に嬉しそうにセシルは笑う。


「……うん! 僕、本当に嬉しい。ずっと遠くに行ってた友達が戻ってきたような気がするよ。」


 俺達はそんなことを話しながら、その夜はゆっくり体を休めた。そして朝には体力も、セシルの魔力も完全に回復したようだ。

 朝飯を食べた後、俺はセシルに声をかける。


「よし、行くか!」


「うん!」


 俺はアンナさんの顔を思い浮かべ、つい口の端が上がりそうになるのを抑えながら、『翻車魚の隠家』へ向かった。




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