第3章

第33話 港町ロシュトック


 セシル達はビンゲン村から戻った翌朝、レーフェンの町を後にした。

 次に向かう町はロシュトック。海沿いの町だ。この国の南側は海に面している。その中でもロシュトックは、ケント曰く、海岸線が陸に深く入り込んだ湾に面した港町らしい。

 セシルは海を見たことがないので、初めて海を見られることにわくわくしていた。


「なんか嬉しそうだな、セシル。」


 ケントがそんなセシルを見て話しかける。


「だって、海だよ!? 僕は生まれてから一度も海を見たことがないんだ。すっごい楽しみ! ケントは見たことあるの?」


「俺はあるぞ。ロシュトックも1回立ち寄ったから、この世界の海もちょこっとは見たけど、元の世界でも海はあったよ。」


「へえ、ニホンの海? どんなとこなの?」


「俺が働いていた東京の海は綺麗とは言えなかったが、故郷の茅ヶ崎の海ではよく泳いでたよ。」


「チガサキ……。海って泳げるんだ、塩辛いのに……。」


 セシルはおばあちゃんから聞いて、海が塩辛いということは知っていた。塩辛い所で目や鼻に海の水が入ったら痛いのではないだろうか。

 ケントはセシルの言葉を聞いてケラケラと笑っていた。




 ハヤテ号とマリーで移動して丸1日ほど経ったところで、特に何事もなく港町ロシュトックに到着した。もう時刻は21時を回っていた。

 もうすっかり夜も更けて、街の灯りだけが煌々こうこうと辺りの風景をを照らしている。

 セシルは海を見るのを楽しみにしていたが、さすがにこの時間では海の方を見ても真っ暗で何も見えない。

 でもなんだろう、町に近づくにつれ何とも言えない香りが周囲に漂っている。


「うおおーーー! やっぱいいな、潮の香り!」


 ケントが突然、両腕を真上に上げて伸びをしながら、声をあげる。


「潮の香り? このちょっと生臭いような、でも臭くないような香り?」


「うん、まあそうだな。ここは港町だから魚の匂いも混ざってるんだろうが、それが海の匂いだよ。海風がこの香りを運んでくるんだ。この香りをかぐと茅ヶ崎、……故郷を思い出すよ。懐かしいな……。」


 ケントは少し寂しそうな顔で遠くを見る。そんなケントを見て、セシルは、そこにもきっとケントはたくさんのものを置いてきたのだと思った。


 ――ぐぎゅるる~~~。


 突然セシルのお腹が切ない音を鳴らす。


(ううーー、お腹が鳴った、恥ずかしい!)


 セシルはお腹を押さえてケントをちらりと見る。聞こえちゃったかな……?

 するとケントがセシルにニヤリと笑って口を開いた。


「腹減ったな。とりあえず、飯でも食うか。」


「うん!」


 セシルはご飯と聞いて、さっきまでの恥ずかしさも忘れて、やっと胃袋が満たせることを素直に喜んだ。




 町に入って15分ほど歩いて、やっと馬を預けられる宿屋を見つけた。

 セシルとケントは宿の馬房にハヤテ号とマリーを預け、たまには外で食事をしようと、町の中心部に向かう。時間が遅いこともあり、空いているのは食堂の一部と酒場だけのようだ。

 ある一角に来たとき、ケントは急に歩みを遅らせ、セシルをちらちら見ている。なんだろう? よく見るとケントの目線は、どうやら右前方の酒場に吸い寄せられているようである。


「……ケント、酒場に行きたいの?」


「えっ!! いや、その、でも子供を連れていくのはどうかと思ってさ……。」


 どうやらケントは酒場に行きたいらしい。別に気にしなくていいのに。

 ケントはセシルを連れているからか、セシルと会ってからは、今までの町で一度も酒場に行ったことがない。


「酒場に食べるものがあるならいいよ。行こう!」


「えっ、えっ、ちょっ、セシル!」


 セシルは強引にケントの手を引いて酒場に入る。


 酒場の中は結構人が多かった。ケントとセシルはテーブルにつくと、恥ずかしそうにセシルに言った。


「すまん、セシル。なんか開放的な気分になっちまって。」


「いいよ。それより、ここ何が食べれるんだろう。」


 セシルはケントと一緒にメニューを見る。おお、なんだか見たことがない料理がある。よし、これにしよう。

 セシルとケントは注文を決めた。ケントは大声で従業員を呼ぶ。


「俺は取りあえずエールと茹でた豆。それと山雉きじの丸焼きだ。セシルはどうする?」


「僕はこの、カツオの塩辛ってのと、バゲット、それと芋のチーズ焼き、それとオレンジジュース。」


 従業員は注文を受けると、忙しそうに奥に消えた。

 辺りを見回すと、体格のいいおじさんたちがいっぱいいる。おじさんたちは皆真っ黒に日焼けして、顔だけは酔って赤くなっているようだ。腕が太くて皆力が強そうだ。そしてそれ以外に冒険者も何人かいるようだ。

 ケントは、料理に先駆けて運ばれてきたエールをごくごくと飲んでいる。


「ぷはーーーっ、うめーー! あんまり冷たくはないが、ずっと飲んでなかったからなー。あー、癒される……。」


 ケントはエールがよほど美味しかったのだろう、目尻が下がってとても幸せそうな表情だ。そうしているうちに料理が運ばれてくる。


「お、この茹でた豆は枝豆じゃないか。これがあるってことは、醤油も……。」


 ケントは運ばれてきた豆を観察しながらぶつぶつ言い始める。セシルはそんなケントを余所目に、カツオの塩辛をバゲットにのせて口に運ぶ。うふーん、美味しい。


「セシル、えらく渋いもの食べてるなー。お前はおやじか。」


「え、渋いもの? 渋くないよ、美味しいよ。」


「いや、そうじゃなくて、その塩辛。ちょっと食べさせて。」


 そう言ってケントはセシルのカツオの塩辛に手を伸ばす。


「お、旨いな。カツオの刺身を、塩と腸で漬け込んであるのか。うん、旨い。」


 ケントはセシルの塩辛をぱくぱく食べる。


「ちょっとケント、行儀悪いよ。僕の塩辛なくなっちゃうよ。なんか美味しそうだから頼んでみただけなんだけど。せっかく港町に来たんだから、お魚食べてみたいなって思って。」


「ああ、そうだな。俺も魚にしよう。すいませーん、このカツオの塩辛とアジの塩焼き追加で!」


「ケントの山雉も食べさせて。……うん、結構おいしいね。」


 もう行儀も何もあったもんじゃない。セシルもケントもお互いの皿からいろいろ摘んで食べ始めた。

 ケントはエールを飲んだ後、麦酒を頼んだようだ。琥珀色でなんだかアルコールが強そうだ。もちろんセシルはお酒は飲んだことがない。


「ケント、お酒って美味しいの?」


「ああ、美味い。だけどセシルはあと8年は飲んだら駄目だからな。」


 酒場で美味しい食事をお腹いっぱい食べ終わった時には、既に11時を回っていた。ケントとセシルは酒場を後にして宿に戻ることにした。




 セシルは翌朝早く目を覚ました。ケントはまだ眠っている。宿の窓を開けると、昨日ケントが言っていた潮の香りが部屋いっぱいに広がる。

 そして、窓の外を見ると、夜には真っ暗で何も見えなかったそこには、海沿いに建ち並ぶたくさんの建物の屋根と、その向こうに、青く広くどこまでも続いていそうな大きな海が広がっていた。


(うわあ……、これが、海……!)


 初めて見る海の大きさに、セシルは胸が躍りだしそうな興奮に包まれる。ぜひ海辺へ行ってみたい。ケントはまだ寝てるし、一人で行っちゃおうかな。起こすの可哀想だよね。でも……。


 セシルは先日襲ってきた暗殺者達のことを思い出す。もし、自分が、ケントが、一人のときに襲われたら? そう考えると、一人で行動するのは得策じゃない。危険はすぐ傍にあるのだ。いつ彼らが襲ってくるか分からない。

 セシルは逸る気持ちを抑えると、窓辺に立ち、窓の外の水平線を眺めながらケントが起きるのを待った。



 ケントが起きたのは朝9時を回ったころだった。


「んあ……、おはよう……。」


「おはよう、ケント。」


 ケントは髪がぼさぼさで、まだ寝ぼけているようで、ベッドに腰かけたままぼーっとしている。


「頭いてー……。昨夜ちょっと飲み過ぎたか……。」


 こめかみを押さえたケントを見て、セシルはちょっと心配になった。


「大丈夫……? 朝ご飯食べれる?」


「ああ、すまん。腹が減ってたろ。遅くなったけど朝飯食いに行こうか。顔洗ってくる……。」


「うん。」


 セシルはケントと一緒に宿の食堂に足を運んだ。食堂では、少ないがまだ何人かの冒険者が食事をとっていた。

 ケントとセシルはテーブルについて、朝食を頼む。セシルはもじもじしながらケントに尋ねる。


「ケント、あのね、僕、海辺に行ってみたいんだけど……。」


「ん、海辺? いいぞ。前にこの町に来たときは俺も海辺には行かなかったから一緒に行ってみるか。」


「うん!」


 やった、海辺に行ける! 海辺にいけば海の水にも触れるかな。セシルはワクワクした。


 食事を終え、宿を出て、ケントとセシルは海辺へ向かった。街の路地は思いのほか入り組んでいて、セシルは迷子にならずに宿に帰れるかちょっと心配になった。だが、早く海の水に触ってみたいという好奇心でいっぱいで、帰りのことなどすぐにどうでもよくなってしまった。


 30分ほど歩くと海辺に到着した。そこには砂浜が広がっていて、ところどころ岩が剥き出しになっている。


(うわあ、海がすごく近くにある!)


 セシルがすぐ近くに広がる海の光景に興奮する。そして、いざ海に向かって駆けだそうとしたとき、ふと海辺の大きな岩のそばを見ると、そこにとても綺麗な女性が立っていた。

 年齢は20代前半という所だろうか。髪は腰までの柔らかいウェーブを描いた紫がかった銀髪で、瞳は深い青、少し冷たい印象もあるが、整った顔立ちは女神のように美しかった。

 白の膝下丈のワンピースの裾はひらひらと風に舞い、風になびく髪を片手で押さえながら、その女性はじっと街の方を見つめていた。


「うわあ、綺麗な人……。ケント、ねえ、すごい綺麗な人だね。……ケント?」


 隣を見るとケントは女性に目が釘付けになっていた。顔も少し赤いようである。綺麗だから見惚れているのかな?

 セシルは、そんなケントに首を傾げながら、さらに海に向かって歩いていくと、その女性がセシルに声をかけてきた。


「あの……。」


「はい?」


 女性は透き通った鈴の音のような声だった。女性はセシルに尋ねる。


「貴女達はこの町の人ですか?」


「いえ、僕らは他の町からきた冒険者です。」


「そうですか……。」


 女性は悲しそうに睫毛を臥せる。セシルは女性の様子が気になり、彼女に尋ねる。


「どうかしたんですか?」


「あの、人を探していて……。」


「人?」


「妹を、探しているのです。」


 女性は真っ直ぐにセシルの顔を見て、その青い瞳を潤ませながら打ち明けた。




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