第2話 邂逅②
指定の場所に着くと依頼主が待っていた。交通費を払ってもらい(ついでに帰りの分も前払いしてもらっている。もちろん領収書も忘れない)、目的の場所に向かっていく。着いた先は――来た事があるぞ。そう、友達の車で先月。あの幽霊病院じゃないか! 怖すぎて皆すぐに引き返したあの場所だ! 夕焼け空を背景に佇む大きな施設は、無言を超えて何かを吸い込みそうな陰鬱な雰囲気を湛えている。まさに異界への入り口といったところだ。
「正解ね。ここは尋常じゃない程の怨念が渦巻いてるわ。よっぽど酷い事してたのね……」
「やばいよここ! 止めとこう!」
「何言ってんの! そういうトコだからこそお金になるんでしょうが!」
正論だ。けどヤバすぎる! 泣きそうな俺を無視して依頼主が説明を始めた。
「ここは……まぁその通りで、経営者の方針がアレだったようで、色々とアレな事があったという話で……」
色々と言い難いらしい。
「その跡地を買って大型ショッピングセンターにする計画なんですが、工事に取り掛かった途端に事故は起こるわ作業者が変なものを見るわ、病欠は続出するわ親は離婚するわ……」
「親の離婚は関係ないんじゃ……」
「あるわ」
「はぁ?」
「霊障は本人に関わる最も弱い部分を狙うの。その人にとっては親の関係が一番弱かったって事よ」
「マジかよ……」
幽霊万能かよ。それとも幽霊って暇なのか? まぁ死んでるんだから時間は山ほどあるんだろうが……。
「じゃなくて、怨念の波動が相手の零系に作用するのよ。そして一番弱いところに働くってわけ」
分かるような分からんような話だな。それはいいとして、巨大な建物に近付くにつれて嫌な雰囲気が強くなるんだが。冷たい汗が流れてくる。うなじが冷えて、鳥肌が立つのが分かる。霊感ゼロの俺でもこの始末だ。依頼主のオッサンも青ざめている。まだ百メートル近くも離れてるってのに。
「じゃ、始めましょうか」
気楽な口調で雰囲気がぶち壊しだ。でも今はそれが有難い。で、俺の初仕事は――一人で施設に近付く事だった。なんだそれ! 囮か俺は!
「というか撒き餌ね。中に入って一体ずつ相手してたら夜が明けちゃうでしょ? だからまとめて出てきてもらうって作戦よ」
語尾に音符マークが見えた気がした。なんでそこまで気楽に言えるんだ……。でも今更断れる空気でもない。何よりも年下の女の子の前でこれ以上情けない姿も見せられない。腹を括って踏み出した。今までの人生でこれ程までに自分の足が頼りないと感じた事はない。一応体育会系の筈なんだぞ俺は。
半分程も近付いただろうか。その時。
「おーい! 悪霊の皆さ~ん! ピッチピチの女子高生と男子大学生がお相手してあげに来ましたよ~! 出ておいで~!」
「いや、ちょっと! 何を……」
「北斗君、早くこっちに帰っといで~! 急がないとヤバいよ~!」
一も二もない、一気にダッシュだ! そしてすぐに分かった。背中が凍るような感じ。首筋に感じる冷たい息遣い。全力で走ってるのに手足が急激に冷えていく。間違いない。見えないけど確信した。
これは――振り向いちゃダメなやつだ!
恐らく人生最速のダッシュでうららちゃんの元に辿り着いて――縋りついていた。
「た、助けて……」
「はい良くできました。後はあたしの仕事ね」
足元に置いていたリュックから白い棒を取り出してスチャっと構えた姿の頼もしい事。俺の目には女神の化身にさえ見えた。しかしよく見るとその白い棒にはキラキラと安っぽい装飾がこれでもかと言わんばかりに施されていた。手元には翼をイメージしたパーツもある。これは……日曜の朝に女児向けに放送されている魔法少女アニメの変身グッズじゃないか! おもちゃ屋で見た事があるぞ!
「ちょ……それって!」
「手ぶらじゃサマにならないでしょ? 本物の除霊スティックって高いのよ」
「開業したてだからって! そのぐらい買えよ!」
「弘法筆を選ばずっていうでしょ?」
「選ばな過ぎだって! 弘法大師だってムダ毛を束ねて書いたりはせんだろう!」
「弘法大師ならそれでもできる!」
「嘘つけ!」
猛烈な悪寒が襲ってきた。言葉を失う俺の前で、制服姿の女子高生が両腕を伸ばし、おもちゃのスティックを横に構えた。
「さぁ悪霊の皆さん! この冴月うららの手で! 光に召されなさい!」
軽い跳躍。同時に下から掬い上げる一撃。スパァァァァン! と小気味いい音が聞こえた気がした。そして――彼女を黄金色の淡い輝きが包んだように見えた。
それは数えきれない程の悪霊の群れをも包み、オレンジ色に染まる空に向かって立ち上る。それに導かれるように悪霊達も空に昇って行く。その顔は憎しみや苦しみから解放された穏やかなものに変わっていった――ように見えた気がした。
全ては俺の気のせいかも知れない。が、そう信じていい確かなリアリティがあった。
「すげぇ……」
俺の呟きも聞こえていない風に彼女は歩き出した。手入れをされていない植木のそばにしゃがんで、何かに話しかけた。
「君……襲って来なかったね。どうしたの? ……そうか、寂しいのか……。お母さんは? 分からないか……。じゃぁお空の上から探そうか。きっとすぐに見つかるよ。聞いた話じゃ、暖かくていい所らしいから。……うん、大丈夫だよ。ほら」
おもちゃのスティックで「なにか」にチョンと触れると、同じように黄金色の輝きが「なにか」を包み、空へと導いた。「なにか」は安心した少年の顔をしていたように思う。
「これで一件落着!」
これまでの出来事が嘘のような、爽やかな春の夕方がそこにあった。異界の入り口に見えた廃病院は桜に彩られ、患者の回復を待ち望む誠意と信頼の場にしか見えなくっていた。
「あれ……桜って咲いてたっけ……?」
「さぁね。別にいいんじゃない? 綺麗だし」
「そうだな……」
まさか……彼女の霊力で起きた奇跡? かどうかは分からないけど、そう信じてもいいのかも知れない。
依頼主のオッサンがうららちゃんの手を握り感謝の言葉と――今夜の誘いをかけている。彼女の視線を受けて今日最後の仕事に取り掛かる事にした。
「あ~、あの。彼女に下手な真似したら……呪われますよ? GGGに呪われたらヒトタマリモないって話ですけど……?」
「……あ、ああ、よく考えたら今夜は先約があったんだ。いや失礼、そうだタクシーをよ呼ばないと。君たちの分もな。ああ、心配しないでいい。運賃は私がキャッシュで払っておく。依頼料は今夜間違いなく手続きしておくから」
「いや運賃はもう……」
「いやいや! 気にしなくていいから! いいから!」
足早に国道に向かいながらケータイでタクシーを呼んでいる。やはり「GGGの呪い」は効果抜群だ。
「……か弱い女子高生を脅しの道具にしないでもらえる?」
「暴力はいかんだろ。それに野球は脅しの道具にならんし。なんなら金属バットを持っておこうか?」
「それも嫌ね……仕方ない、その手でいいわ。で……続けられそう? この仕事」
「日当十万の為なら!」
何よりも彼女への信頼が生まれたような気がする。が、それは内緒だ。
「じゃ、改めてよろしくね!」
「ああ! こちらこそ!」
しっかりとした握手。これが契約の証となった。後で正式な契約書も作ったが、こっちの方が大事な事に思えた。
帰りのタクシーの中は二人とも口数が減っていた。疲れたのか、うららちゃんはずっと窓枠に頬杖をついたまま外を眺めている。
でも気になる事が一つだけある。確かめておこう。
「なぁ……ひとつ聞いてもいいかな?」
「なに? 雇用主としては従業員の質問に答えないと」
「……まぁ確かに。で、だ。うららちゃんの御両親はこの仕事に賛成してるのか? 何と言ってもまだ高校生だし、幾ら才能があると言っても女の子なんだ、危険な仕事はして欲しくないんじゃないかなって……」
他人の家庭の事情に踏み込むつもりはないけど、親の反対があったりしたんじゃいつ日当十万がポシャるか分かったもんじゃないしな。
「まぁ……適性のある仕事が出来て喜んでる……んじゃないかな。」
「そんなあやふやな……」
「ちゃんと話し合った事がないからね。仕方ないの」
「いや話し合えよ……」
苦笑いしながらうららちゃんがこっちを見た。
「今、うちにいないからさ。親が」
「仕事中か? 忙しいんだな」
細い指で上を指しながらこう言った。
「今から仕事よ。お星さまやってんの」
言葉に詰まってしまった。そりゃ……話し合えないよな……。
「ごめん」
「いいのよ、知らなきゃ当然だから」
それからまた二人とも無口になった。事務所に着くまでは。
事務所に入るやいなや、明日の指示が飛んできたんだ。銀行の開店と同時にキャッシュコーナーに突撃してお金を下ろして来いと。絶対に一番乗りで、間髪入れずに下ろせと。
「いい? 一秒たりとも遅れちゃだめよ! あたしは学校があるから行けないけど、暇な大学生なら行けるでしょ? 明日一番の仕事だからね!」
「あ、ああ……でもそんな大袈裟な……」
「いいから! 雇用主の命令! 下ろせるだけ下ろすの!」
「はい……」
うららちゃんの剣幕に圧倒されて、翌日の朝、銀行へと向かった。開店には十分間に合う時間だ。前に二人並んでいたが、まぁそのぐらいは仕方ないだろう。
自動ドアが開くとすぐにATMに取り付いて預かったカードを差し込む。聞いていた暗証番号を打ち込んで残高を確認。さぞかし盛大な金額が出るに違いないとワクワクしていると……。
「なん……!? なにかの間違いだろ……?」
カードを入れ直し、暗証番号も打ち直す。何度確かめても残高は変わらない。仕方ない、これを下ろして持っていこう。用心の為に持ってきたごつめのリュックが無駄になったな。
昨日の時間に事務所に行くと、既にうららちゃんが来ていた。
「どうだった? ちゃんと下ろせた!?」
開口一番でこれだ。聞きたい事があるのはこっちだ。
「振り込まれてないんじゃないのか? たったの三千二百五十一円しかないぞ?」
引き出したお金を全部机の上に並べて見せた。するとうららちゃんは力尽きたように机に突っ伏してしまった。
「遅かったか……さすがに金の亡者が相手だと思うようには行かないのね……」
どっちが金の亡者なんだか。昨日の電話対応を見る限りそっちなんじゃないのか?
「どういう事なんだよ」
「確かに振り込まれてる筈のよ。電話して確かめたんだから。でもね……こっちが引き出す前に引き落とされてんのよ。銀行に」
処理の早さって事か? まぁ管理してる側が先に出来るのは当然だけど、それにしても……。
「要するにね……親が残した借金の返済なのよ。事業に失敗してね……その負債を返してるってわけ」
「女子高生の身空で大したもんだな。その為に稀有な才能をフルに活かしてるってわけか。で、幾らなんだよ、その借金は」
「ざっと二十億円……」
「はぁ!?」(注 この作品はフィクションです。銀行等のくだりも当然フィクションです)
企業への融資は個人融資よりも金利が高いはずだ。聞いてみると年利八パーセントらしい。すると利息払いだけで年間一億六千万か……盛大な金額だな。いや感心してる場合じゃない!
「ちょっと待て! 昨日言ってた『なんやかんやが』ってこの事か! いつになったら日当十万になるんだよ!」
「だから返済が終わったらよ! それに間髪入れずに下ろすように言ったじゃない!」
「どうすんだよバイトも辞めちまったってのに……」
頭を抱えていると、何やら引き出しから小銭を出して計算を始めて、ジャラジャラと俺に手渡した。
「何だこれは?」
「昨日の取り分よ……千六百七十五円。十万円には程遠いけど、今払えるのはこれだけ……なの」
俯いたまま。小さな体で精一杯やってこれだけしか残らなかったお金。それを半分こか……。さすがにこれは……。
「受け取れないな」
「え……? でも働いたんだし」
僅かなお金を無理やり握らせて返した。
「依頼を受ける基準がああなのも分かったよ。少額の仕事じゃ一日に何件やっても利息の支払いにさえ間に合わないもんな」
うららちゃんの顔に明るさが戻った気がした。
「さ、所長。今日の仕事は……まず電話番からだな!」
「辞め……ないの?」
「昨日クラスの仕事を八件こなせば今年の利息は終わるんだろ? その後は元本を減らしていけば、日当十万円が近付くんだ。何とかしないとな」
「うん……よろしくね!」
彼女の目が潤んでいた。程なく電話の呼び出し音が響き、けたたましいやり取りを俺がするようになった。
こうして俺の新しいアルバイトが始まった。
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