◇ 04

 朝食の場で朝の出来事を聞いて、セイラは笑いをこらえきれず、口元を隠してにやにやした目でアオバを見た。


「それは……っふふ、災難だった、ね」

「他人事だからって、笑い過ぎ……」


 隣でもくもくと、白い頬に食べ物をいっぱいに入れて膨らませているペルルを視界にいれつつ、小さくため息をつく。


 あの廊下での珍騒動に口笛で割って入ったのは、十番隊副隊長のリッキーだった。彼は数人の部下と共に屋敷内の見回りをしていたところだったようで──とはいえ彼も聖騎士至上主義の為、アオバを庇おうという気は一切無く──「あ、そのまま続けていいっすよ」などと囃し立てられてしまったのだが、彼に弱みを一つとして握らせたくないらしいテルーナは、あの場では一旦引いてくれたのだ。「人目のつかないところで埋めますので、お構いなくぅ」という返答をしていたので、テルーナと二人っきりになったら埋められるのかもしれないが、とりあえずあの場での事は丸く収まったのでよしとする。


 そのまま、朝食の席まで案内され、現在に至る。


 扉付近にリッキーと並んで立っているテルーナの視線を気にしないようにしつつ、食が進まないのを誤魔化すように話を振る。


「というか、リコルさんってどれぐらい異性同性に狙われているんですか……?」

「? いや、決闘を申し込まれた事はないぞ」

「命ではなくて身の方の話かと」


 斜め上にずれたリコルの認識を、彼の従者であるウェルヤが修正した。リコルは腕を組んでしばし悩んだ後、「いや?」と首を傾げた。


「そういった事も無かったと記憶しているが……?」


 だったらテルーナがこうも神経質になる事はないはずだ。ちらりと件の彼女に目を向ければ、にこやかな笑顔を返して来た。殺気さえなければ、可愛らしい満面の笑みだ。


「リコル様はすーぐ、会場の奥の個室に連れ込まれがちですよねぇ、すぐ出て来ますけどぉ」

「うん? ああ、確かによく呼ばれる。ただ、他者と密室に入るなと兄にキツく言われているから──鍵をかけられた時点で頭突きをして相手を気絶させてでも部屋を出るようにしているよ」

「自己防衛能力が高くて尊敬ですぅ」


 おそろしく本人に危機感が無いのはいいのだろうか?


 藪蛇はつつくまいと、「そうですか……」と適当な相槌を打つ。リコルの兄の方は、身近だからこそリコルの鈍感さをよく知っていて、言い聞かせているのだろうな、と要らぬ方向の気苦労を想って頷いた。


 その様子を見て脇腹を押さえる程笑っていたセイラは、声を震わせながら「そういえば」と切り出した。


「リコルさんたちは、まだお時間に余裕はありますか?」

「ええ。御使い様の連れが戻って来るまでは、リヴェル・クシオンに滞在予定です」

「連れ……ああ、人攫いの発見を協力してくれたっていう、聖騎士の卵エイ・サクレでしたか」


 声変わりが始まったばかりの小柄な少年の事を思い出し、あの落ち着いた雰囲気が恋しくなった。リコルは悪い人ではないがこの声はどうしても、歳が近い事もあって友人を思い出してしまい、もの悲しくなってしまう。それに、リコルもテルーナも、歳こそ近いがそれぞれ高い地位を持っていて、それ自体は尊敬するが、やはり失礼な態度を取ってはいないか気にしてしまって(本人らが悪いわけではないので申し訳ないが)、気疲れしてしまうのだ。


 聖騎士の足なら、国境を越えて戻って来るまで後どれぐらいかかるのだろうか。未だ慣れない味に自然とスプーンを口に運ぶ動きが止まり、ぼんやりとしながら思考だけが回る。


「リコル様、その件でちょーっとぉ、報告が」


 テルーナが控え目に挙手すると、食事を終えていたリコルは体ごと彼女に向けて、相変わらず(少し気まずそうではあったが)穏やかな声で「なんだい?」と聞き返す。


「先日ラメランディカルに戻ったついでに聖騎士の卵エイ・サクレの名簿を見せてもらったんですけどぉ……いないんですよ、『アティ』って名前の子」

「無名騎士ということか?」

「かもです。武器も持ってますし」


 なんのことだろうと、ユラに視線をやる前に、ユラが口を開いた。


聖騎士の卵エイ・サクレは、一般人とは別で名簿が作られているようだな。強大な力故に、聖騎士として認められるまでは、武器の所持は固く禁じられている。しかし、例外がいる。それが“無名騎士”。何らかの事情で、聖騎士の卵エイ・サクレであると届け出が出されていない者の事だ。身寄りのない場合が多く、精霊の加護による力を正しく扱う事を教育されていないので、武器を持つ事に躊躇いが無い。犯罪に手を染める者も割合としては多いようだ」


 名簿に名前が無い以上、王都聖騎士側が武器の所持などを把握できない状態なのだろう。


(そういえば、前にテルーナさんと宿で会った時、ちょっとコソコソしてたか……)


 アオバが知らなかっただけで、テルーナはそれなりに顔が広いようだし、アティはすぐに彼女が聖騎士だと見抜いたのだろう。そして剣を見られて面倒になると踏んで、咄嗟に人混みに紛れたのだ。衛兵に事情聴取された時も、わざわざアオバに剣を預けていたのはそこを指摘されるとマズイと判断していたのかもしれない。自己紹介の時も姓名を名乗ろうとせず、また無断入国の方法知っていたことも踏まえると、中々に危ない橋を渡り慣れている少年である。


「機能している教会に~、保護させたほうがいいかもですねぇ」

「あ、あの、でも、アティは正義感が強いですし、育ての親の教えを大事にしているので、大丈夫……かなって……」


 テルーナと目が合い、尻すぼみになる。愛想笑いを浮かべていた表情が固まるアオバを見て、テルーナは満面の笑みを見せた。


「それ、いつまで持つんでしょーね?」


 親の言いつけに、絶対的な拘束力などあるものか。そう言いたげなテルーナとの間に、リコルが口を挟む。


「皆が皆、テルーナみたいに強いとは限らないからね。教会に行くかどうかは、本人と相談してみるよ。ね、アオバ君」

「は、はい……」


 心配そうな顔になっていたのか、リコルが穏やかに笑いながらアオバの手を取った。すかさずウェルヤに小声で「近いです」と注意され、パッと手を離し、出鼻をくじかれた事も気にせず、笑顔を浮かべた。


「大丈夫。あれだけ将来有望そうな子だ、すぐに聖騎士になって活躍するよ」

「……そうですね」


 できれば、彼が探している『祈っていた人』が見つかってからにしてもらえれば良いのだけど。


(……祈りか)


 チラ、と視線をセイラにやる。彼は笑顔で、リコルと会話を始めている。


(昨日のアレ……何だったんだろう?)


 祈りと聞いて思い出すのは、直近の出来事。リコルが背後から斬られ、治そうとしたアオバの能力に抵抗した精霊たちの事だ。セイラが祈った途端に、抵抗が緩んだような気がした。キャラクターになりきった彼の、単なるポーズでしかないはずの祈りに、精霊が反応したのだろうか?


「アオバ?」


 しばらく黙っていたからか、セイラが声をかけてきた。我に返って顔を上げれば、清廉とした少女を装った少年が、心配そうにこちらを見つめていた。


「口に合わない?」

「え? あ、ううん、食べられるよ」

「無理しないで。私も、こっちの味に慣れるの、結構かかったもん。あ、そうだ。お昼は私が考案したご飯にしよっか」


 再現度高いんだぞ~。と自信満々に言うあたり、元いた世界の料理に似せたものだろうか。試食した事があるのか、黙って食事を見守っていたコーディアの表情が曇る。


「あ、あれを……また食べるんですか……? 香草中和もしてない、油っぽくて塩の塊みたいな、あれを?」

「御覧の通り、私たち以外にはとんでもない味付けに感じるみたいだけどね。でも、アオバもずっと慣れないもの食べ続けるの、きついでしょ?」


 そうなの? と不思議そうにリコルがこちらの顔を覗き込んだ。苦笑して、「ちょっとだけ……」と返答すると、不満そうにリッキーが眉根を寄せた。


「この高級飯の、どこに不満があるんすかね……一食で俺の給料半分は消し飛ぶっつーのに」

「まあまあ。私たちとも聖騎士とも違う、不思議な力を持った人たちだから、味覚が違うぐらい不思議じゃない」


 リコルのフォローなのかそうでないのか分からない返答を聞き流しつつ、黙々と食事を続けているペルルを見習って、スプーンで掬い上げた料理を口に押し込んだ。もはやエグみすら感じる複数の強い香りが、飲み込んでもなお喉の奥から上がって来る。


 少し顔をしかめてしまったのを見て、ペルルが頬を動かしたまま水が入ったコップをこちらに差し出した。


「ありがと……」


 受け取った水を流し込み、一息ついてからペルルの頭を撫でた。満足気に(無表情だったが)「ふふん」と口で言って、ペルルは咀嚼を続けた──いや、先ほどから頬の中が減っていないような気がする。


「……ペルル、ちゃんと噛んでる?」


 口元がもごもご動いてはいるが、咀嚼音が聞こえない。アオバの質問が分からなかったのか、ペルルは頬を動かしながら首を傾げた。もう一度、「噛んでる?」と聞きながら、スプーンを下ろした右手で、親指を下あご、他の指を上あごに見立ててパクパクと動かして見せたが、ペルルはよく分かっていなさそうに手でそれを真似した。


「……溶かして食べていると思う」


 ぼそっとユラに言われ、フラン・シュラに吸収された人間を思い出した。途端に皮膚が粟立つ。できれば食事時に思い出したくはなかった。


 頬を動かしているのは、アオバたちが食べている様を真似しているだけで、今までも見て分かる範囲は真似できても、見えない部分は分からないから適当に処理していたのだろう。周囲に聞こえないように、ペルルに顔を寄せて小声で教える。


「最初に食べた時、具材潰したの覚えてる?」

「うん」

「それと同じことを、口の中でするんだよ。歯でぎゅって」


 膨れていたペルルの頬が元に戻り、スプーンで掬ったものを口に入れ、小さな口がもごもごと動く。僅かにだが、咀嚼音らしきものが聞こえたので、合っていると信じて「そうそう」と頷く。


「よく噛んでから飲むんだよ」

「よくあむ」


 復唱し、少しだけ間があってからペルルは頷いた。もう覚えたのか、飲み込んだ後からは次の動きは非常にスムーズで人間的だった。


 微笑ましくそれを見ていると、扉がノックされ──最後のノック音が終わるとほぼ同時に扉が無遠慮に開けられ、不機嫌そうな聖騎士の男性が顔を覗かせた。昨日テルーナと試合をしたエディベルだ。


 直接責める気はなくとも遺恨は残っているようで、テルーナが普段よりも暗い調子で挨拶をしたが、エディベルは無視をした。


「感じ悪ぅ……」

「分かる~。隊長に似た奴しかいないんっすかね?」


 テルーナの独り言に、リッキーが同調した。しかしそれを喜ぶテルーナでもなく、じっとりとした目で二人を睨みつけた。


「似てない奴が何言ってんだか」

「そりゃ、あんなのなろうと思ってなれるわけ無いっしょ──痛ッ」


 軽口を叩く彼の真後ろから手刀が飛び、脳天を直撃する。ズドン、という重い音に反して、リッキーは小突かれた程度の様子で振り返る。同僚同士の談笑とも言うべきその光景は、とても斬り合いをした人物たちと、そうするよう提案した人には見えない。


「何すか。あ、反省文終わりました?」

「とっくに。それより、隊長は?」

「壁の監視に行ってますよー。昼頃に七番隊が交代するんで、用事ならその後にどーぞ。俺、テルーナといちゃつくのに忙しいんで」

「早急に本来の仕事に戻していいですよぉ」

「えー」


 しっしっ、と手で払われても気にしないリッキーを見て、エディベルは呆れたような顔をしつつも、真面目な調子で続けた。


「その七番隊から、シュザー隊長たちが戻ってこないと連絡が来ているんだ。野暮用に~と二班を連れて、隊から離れているそうだが、連絡は来ているか?」


 悩む素振りもなく、リッキーは首を横に振った。


「他の隊から連絡なんて無かったはずっすよ。信用ねぇなら、別の奴に聞いてもらってもいいけど~?」

「何を卑屈な。お前の見た目と喋り方と女を見たら口説き倒す所以外は信用している」

「あっれー? 思ってるより信用されてないな?」


 おどけて見せるリッキーを無視し、エディベルはちらりとテルーナを見た。彼女が肩をすくめて「私も知りませんよ。そもそも、今は個人行動中ですんで」と返されると、聞いてないけどどうも、と言わんばかりの態度で踵を返した。その後を、リッキーが笑いながら追いかけて(去り際にテルーナにウィンクを飛ばして「うげー」と言われるのも忘れずに)部屋から出て行った。


「そんなピリピリしたとこまで隊長の真似しなくったっていいじゃん~。どんだけ好きなの、やばくない?」

「……なんでお前が副隊長なんだ?」

「えぇ、今それ聞いちゃう? 長いよ? 俺の隊長愛」

「結構だ」


 扉越しにそんな会話が遠のいていくのを聞き終えると、リコルはテルーナの方に視線をやった。


「テルーナは行かなくて良かったのか?」

「私の任務は、リコル様を無事シャニアに送り届けることですからぁ。他の隊の事は、その隊で解決しますよ~」

「うーん……まあ、そうか」


 納得いってなさそうな表情でリコルは頷き、今更気まずさを思い出したのか、苦笑気味にテルーナから視線を外した。


「ところで、本日の予定ですが」


 セイラがそう切り出して、昨日は結局出来なかったらしい談合の続きをする事を聞いて、アオバはそっと意識を窓の外に向けた。また蚊帳の外に置かれるのだろうなと思いながら、予定を聞き流した。

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