◇ 07
リコルたちのいる部屋にセイラたちと共に戻り、リコルからペルルを受け取って、先ほどと同じように聖女と対面に座った。言いつけ通り、大人しく待っていたペルルを褒めている間に、セイラが改まった様子で切り出す。
「改めて、自己紹介を。セイラ=カンノンと申します」
「ああ、私たちは……」
名乗り返そうとしたリコルを手の平で制し、セイラはにこりと笑みを張り付ける。
「貴方がたの事は、リッキーから伺っております」
「そうでしたか。……ところで、リッキー殿は……?」
「御使い様と、リコル様を連行した事でビッカーピス隊長からお叱りを受けた後、始末書を書きに、部屋に」
「ふふ。どうぞ、程々に。やり方は少々乱暴だったとは思いますが、彼は優秀な聖騎士です。書類仕事ばかりさせませんよう、お願いします」
思わず笑ってしまった口元を隠すリコルを見て、セイラは少しぼうっとした。口の中で何か言ってから、セイラは言う。
「あ……と、ま、まずは、人攫いの件でお礼を。この国でも攫われた子どもたちがいましたが……“精霊の匿い子”だろうと、中々捜索に着手できずにいましたが……」
知らない言葉があったので、視線をユラにやると、すぐに意図を汲んだユラが端的に解説を挟む。
「時々、精霊が子供を連れ去る事があるそうだ。それが“精霊の匿い子”。数年後、長ければ数百年も後に、いなくなった当時の姿で帰って来る事がある。アオバがいた世界でいうところの……神隠し、みたいなものだろう」
なるほど、声には出さず頷く。
(道理で。遺体が無くても探すのを諦めていたのは、フラン・シュラが溶かしてしまうからってだけじゃなくて、精霊に連れ去られるって、考えがあるからか)
考えてみれば当然だ。フラン・シュラが現れたのは十年前からなので、それなりに新しい存在だ。若い世代はともかく、高年層の思考にはまだ馴染みのない存在だ。過去にアオバが出会った、行方不明の娘を探していた夫妻や役人の世代の常識には当てはまらない。つまるところ違う要因があった──それが、“精霊の匿い子”という考えだったのだ。
それでいて、死人の名は呼ぶことができない。
いなくなった人間を、探させないように仕向けているかのごとく、徹底的に死者の存在を排除し、生きている人間の世界とは完全に切り離しているのが分かる。
その理由も、精霊が嫌がるから、精霊が怒るから、精霊がやっている事だから……。精霊が中心の世界だと分かってはいたが、それでも主体は人間にあるとどこかで考えてしまっていたが、違った。
(精霊がいる世界に、人間が生かしてもらっている、って言う方が正しいか……)
精霊が人だとすれば、人間は野良猫みたいなものなのだろう。道端で野良猫が喧嘩しようが、縄張り争いをしていようが、人間にとってはどうでもいい事だ。汚いのが庭に入ってきたら追い出す者もいるし、甲斐甲斐しく世話する者もいる。玩具を与える者もいれば、無関心な者、攻撃的な者だっている……。そういうものなのだろう。
「貴方たちの功績で、親元に返す事ができました。大変遅くなってしまいましたが、お礼を言わせてください。本当に、ありがとうございます」
セイラは感謝を述べると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「本来であれば、何か感謝の印をお送りするべきなのでしょうが、あいにくと、聖女はこの国から切り離された一個人……言葉を述べることしかできません」
「いいえ。気になさらないでください。私はそもそも、人攫いを追ってあの場にいたわけではありません。せめて感謝の言葉は、事件を追っていたテルーナと、今この場にはいませんが、二人の少年にかけてあげてください」
窓から部屋に差し込む日差しのせいか、リコルが微笑むと、彼の周囲の空気がキラキラと輝いた。精霊に愛されると、背景エフェクトでもかかるのだろうか。思わず呆けるセイラを見て、リコルがキョトンとした様子で小首をかしげた。
「何か?」
「……あっ、い、いえいえ……噂を聞いてはいたのですが……本当にお美しいものでしたから」
「──顔ばかりの無能、ですか?」
笑顔のまま、リコルは棘のある言葉を穏やかな声で発した。返す言葉に詰まったセイラに、リコルはハッとした様子で慌てて取り繕う。
「す、すみません。よくそう言われるものですから、そういう噂をお聞きしたのかな、と……」
「いえ……こちらこそ、見目ばかりに捕らわれて、大変失礼いたしました」
静かに頭を下げ、セイラは、こほんと小さく咳払いをした。
「本題に入りましょう。貴方がたをお呼びしたのは謝礼もありますが、二週間前の騒動──ラピエルと名乗った新たな神と、あの不気味な壁についてです」
言いながら、セイラは窓の外に目をやった。遠くの林に、巨大な黒い壁が生えているのが見える。背の低い建造物ばかりのこの世界では、五、六階建ての雑居ビル程度の高さでも、十分威圧感がある。
ちらりとセイラがビッカーピスに目配せすると、彼女はきびきびとした態度で報告をする。
「調査は依然継続して行っておりますが、アレは定期的に“黒い霧”を発生させており、一人でも人間が近づくと形を得ます。また、壁に触れるとフラン・シュラが這い出てくる危険物です。そしてこの壁と同様の物が国内に五本、確認されています」
とりあえずは、とビッカーピスは続けた。
「一般人が入らぬよう、規制を敷いております」
「人員不足で現地の役人任せになっている箇所もあります。それに、放置するには危険すぎる。貴方たちは壁の発生に立ち会っているのでしょう? 詳しく聞かせていただけませんか。解決の糸口が欲しいのです」
膝の上で指を絡めながら、そう言ったセイラに、テルーナが考え事をしながら口を開く。
「大まかな話は、国の上層に伝えてあるはずですけどぉ?」
「……先ほども言った通りです。私は、一個人であって、政には関わっていません。この国に聖女として保護されてはいますが、扱いとしてはただの人。大事な事は何も、伝えられていません」
「なら、関わるべきでは無い、ということでは~? 何かできるわけではないんでしょぉ?」
情報通であるフィル・デ=フォルトも、そう言っていた。それどころか、ここから遠く離れた他国の噂ですら、『聖女は何かを成し遂げたわけではない、ただ可憐な乙女だった』としか伝わっていなかった。多分それは事実で、セイラは『聖女』として、そこにいるだけ。偶像としての役割しか無いのだ。
だけど。と、セイラは言う。
「『セイラ=カンノン』の名に懸けて、そのような行いはできません」
先ほど『聖女を辞めたい』と言っていた人物とは思えないほど、真摯に、それこそ聖なる乙女そのもののように、セイラは言った。赤褐色の大きな目に慈悲と、情熱を込めて彼女はリコルを見つめる。
静かにその主張を聞いていたリコルは、力強く頷いた。
「分かりました。民がただ苦しむ姿を、私も見過ごすわけにはいきません。上層に伝えた事を、貴方にもお話しましょう」
言ってから、「いいよね?」と言いたげにこちらを見た。どうにも、勢い任せなところがある人である。
「はい。僕は構いませんよ」
「まぁ、話したら我々が不利になるような事があるわけじゃぁ、ないですからねぇ」
別に話せと言われれば話しますよぉ。とテルーナが付け足し、同意するようにリコルの従者であるウェルヤが黙って頷いた。それらを見届けてから、リコルが切り出す。
「ラピエルは名の通り、土贄の儀で犠牲となった最初の贄だと思われます。何故今となって出て来たのかは分かりませんが……全ての人類を贄に要求してきた以上、我々人類の敵でしょう」
「以前の神様が贄を要求するのは、大地を豊かにするため、でしたね。ラピエルの目的も同じと考えられますか?」
「……豊作とは言えない状況が続いてはいますが、飢饉となるほどでもありません。精霊の気分次第、といったところでしょうか」
「とすると、別の目的……本当にただ、人類を滅ぼしたいだけ……?」
「──ラピエルの行動はおそらく……本心ではありません」
思わず、アオバは口を挟んだ。このままラピエルを、人類の敵と仮定したまま話を進めたくなかった。セイラたちの視線を集めながら、意見を絞り出す。
「僕は何度かラピエルと会っていますが、いずれも周囲の人々には見えていない様子でした。今回は声も姿も、大勢が認識していますが、おそらくはまだ実体を得てはいません」
あの時、“黒い霧”が吹き出し、壁が現れ、フラン・シュラが這い出ても、ユラはラピエルに斬りかかろうとしなかった。それは多分、姿が見えただけで、攻撃が通る状態ではなかった……という事なのだろう。
「ラピエルは多分、実体化して、やりたい事があるんだと思います。それが何かと言われると、分からないんですが……」
要領を得ない発言だなと思いながら、続ける。
「ラピエルの行動には、不可解な点が多いんです。フラン・シュラを大量に集めたかと思えば、近くの人を襲わせないよう止めていたり、人を蔑んでいるような発言の後で、その人が助かる事を望んでいたり……なんというか……二面性、いや、多重人格と言うか、とにかくまとまってない。善と悪が、両立してる。だからなんていうか──」
この先を言ってもいいのだろうか。少し迷った。だが、考えがまとまりきる前に、言葉は喉から出てしまった。
「──悪い人じゃないって、いうか……」
部屋に沈黙が訪れた。冷めた視線を辿れば、テルーナが冷ややかにこちらを見ていて、艶やかな唇が動いた。
「お人好しと馬鹿って、紙一重なんですねぇ」
「う……」
「リコル様の命を狙った以上、あれは私にとって敵ですぅ。そいつを庇い続けるというのであれば、君も敵になりますよぉ。御使い様ぁ」
自分の立場を考えて物を言え。と言いたげに『御使い様』の部分を強調して、テルーナはそっぽ向いた。それをキョトンとした顔で見ていたリコルが、そういえば、と口を開く。
「アオバ君はラピエルを、どうやって知ったんだい?」
壁が現れる以前から、知っていただろう。と、リコルは付け足し、興味深々に少しこちらに顔を近づけた。
「その……それは、なんというか、フラン・シュラとも、関わって来る話と言いますか……」
「なんだい? 有用な情報なら、共有しておくに越したことはないよ」
ちらりと、セイラに視線をやった。
目が合うと、彼女は不思議そうに目を瞬かせ、少し顔色を変えた。
「……それは、私が脆いという話とも、関係ありますか」
「……少しだけ」
「聞きましょう」
意を決したセイラと顔を合わせられなくて、アオバは俯いた。
「フラン・シュラは僕たちと同じ……人間が、壊れた姿です」
つまり。と、震える声で、星詠みであるコーディアはその言葉の意味を反芻した。
「あの動く泥は、御使いや聖女と同じ、神の遣いであると、そう言いたいのですか……?」
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