◇ 05
階段を降り、一階が見えてくる。受付と思われるカウンターの上に座る人物が視界に入り、宿屋の誰かだろうかと思っていると、そちらの様子を恐々と見ていたエプロン姿の少女が、アティに駆け寄って来る。
「あ、アティ、お願い。助けて」
「どうした?」
「丁度満室になったから、別の宿に行くよう案内したら、譲れって、他のお客さんを脅すのよ」
朱色の目が静かにカウンターの方に向けられた。言われて見れば確かに、無骨な男たちが、ひ弱そうな青年に詰め寄っており、宿の人間らしき人物らが、間に入っている。しかめっ面になるアティに対し、ドライオは愉快そうに笑う。
「おぉっ、行け行け! ぶちのめしちまえ!」
「煽るんじゃない」
ため息交じりにドライオを宥め、アティは軽い足取りで階段を二段飛ばしで降りて行った。
「一人で大丈夫なんですか……?」
「はははっ! 何言ってんだ、お前~。アティは
それは理由になっているのか、と首をかしげるアオバの後ろで、ユラが言う。
「あの子供、かなりの怪力だぞ」
「かいりき」
「ほら、ペルルも言ってるだろ」
「ユラさんの真似をしているだけでは……?」
「実際、保護区で貴方を見つけた後、ペルルを背負って、ドライオと貴方を抱えてここまで連れて来たのはアティだ」
それが本当なら確かに怪力だ。とはいえ、アティは小柄だし、複数人の相手はやはり危険な気がする。もし危なくなったら、身を挺してでも庇うべきだと思い、遅れて一階に降りる。
丁度、アティが迷惑客と接触したところだった。
「別の宿を紹介すると言っているんだろう。早くそっちに移ってくれ、迷惑だ」
「あぁッ!? なんだチビ!」
下っ端だろうか。大柄な男の横で睨みを聞かせていた男が、いち早くアティに反応した。凄む男に一切怯まず、アティは扉を開けた。
「出ろ」
「うっせェな! クソガキ!!」
腕を大きく振り上げ──アティは男の拳を避けた。かわされると思っていなかった男は勢いでよたつき、振り返った瞬間、男の顔面に剣がめり込んだ。鞘から抜いてはいなかったが、それでも骨が削れるような音が聞こえて身をすくませる。
アティは身長とさほど変わらない大剣で、野球のバッティングのように男をそのまま外に打ち出すと、頭から地面に打ち付けられた男を背に迷惑客に向き直った。
「退出方法が分からないか?」
「こ、こいつ、聖騎士かよ!」
アティは片手で軽々と大剣を持ち上げ、手に鞘をぱしりと打つ。僅かに動揺する男たちだったが、すぐにリーダー格と思しきやや大柄な男の、「や、やれ!」という合図と共にアティに殴りかかった。
そのどれもを、あっさりと避け、それぞれたった一発の反撃で倒していく。怪力どうこうの問題ではなく、これは……。
「……戦い慣れているな。どこかで訓練でも受けているのか?」
ユラの言葉に頷く。身のこなしが明らかに慣れている。
「治安悪いのかな……」
「う、うん? まあ、ゴロツキはいるみたいだし、脅威が無いわけではないとは思うが……そういう話だったか?」
ユラの想定よりも頓珍漢な事を言ってしまったようで、彼女を戸惑わせてしまった。何か違ったかな、と考えていると、迷惑客の大柄な男が、野次馬となっていた人だかりの中から一番近くにいた少女の腕を引っ張り上げた。
「きゃっ……痛ッ!」
「このガキがどうなっても──」
男が少女を盾にしようと引き寄せる──その前に、男の額に剣が刺さった。
いや、本当に刺さったわけではない。鞘から抜かれていないので、切れ味は無いが、大人二人を余裕で抱えられる腕力の持ち主から放たれた、豪速の剣が直撃したのだ。
その瞬間、場は急速に静まった。男が目をひん剥き、泡を吹いて倒れる音がよく響くほどの静寂だ。それを意にも介さず、アティは男に駆け寄り、剣を回収する。人質にされかけた少女の前に傅き、一言二言無事を確認する。そしてのびた男たちの襟首を掴むと、
「郊外に捨ててくる」
そう言って、計五名の男たちをいっぺんに引きずっていった。
疎らに拍手が起こる中、一人の青年が人込みをかき分け、少女に駆け寄る。
「ネティア、大丈夫か!?」
「え、ええ! びっくりしちゃった」
「好奇心に任せて前に出るからだ」
明るく言う少女に対し、青年はげんなりとした顔をする。その様子から少女も怪我はしていなさそうだった。怪我をしたのはあの迷惑客の男たちだけのようだ。
(すごい音してたけど、大丈夫かな……死んではないみたいだったけど……)
アティが帰って来るのを待って、相手の容態を聞こうかとも思ったが、自分の目で見た方が納得するだろうと思い、ユラに目配せをして頷き返してもらった後、ドライオに「アティの様子を見てきます」と伝え、ペルルの手を引いてアティが向かった方向に駆け出した。
***
人込みを抜けると、歩いているのと殆ど変わらない速度で、男たちを引きずるアティの背が見えた。
「アティ!」
声に反応して、小柄な少年が振り返る。背負い直した大剣だけでも重そうなのに、左手で二人、右手で三人を引きずる光景はなかなかに奇妙だ。
「どうした、アオバ」
「ううん。ちょっと、この人たちの怪我が気になって」
「気にする事はない。痛いしっぺ返しを受けただけだろ」
「う、うん、まあそうかもしれないけど……すごい音してたから……」
ちょっと心配で。と付け足すと、妙な間があってから、アティは「そうか」と相槌を打った。
「せいぜい打撲や捻挫、多少の出血だろう。脳みそを突き破るほどの威力は出していない。…………多分」
「多分なんだ……」
「こ、殺してはいない。それだけは確かだ。心臓の音は確認した! ………………餓死する前に目覚めるか分からないだけで……」
「そ、そっかぁ」
最後の方は蚊が鳴くような声だった。「力の加減が難しいんだ」と言い訳をするアティに、「責めてるわけじゃないよ」と手振りをする。
「アティのおかげで宿の人は助かったじゃないか。僕は力が無いし、ああやって戦えないから……」
「力があったとしても、アオバは戦え無さそうだがな……。それはともかくとして。宿に泊まっている間、用心棒をしてほしい。その代わり、宿泊費は安くするから……と頼まれていてね。凄い事ではなく、ただの仕事だ」
「そうなんだ……あれ? アティってこの町の人じゃないの?」
「ああ。旅人だよ」
随分と周囲の人と打ち解けているから、勘違いしていたようだ。何気ない会話をしながら、町と外とを区切る門の前にたどり着くと、アティが男たちを町の外に捨てるように置いて行く。アオバはその横で一人一人の様子を窺い、怪我が一目で悪そうな人物の患部に手を当てる。
「ユラさん。僕の能力で、怪我を治す事はできるでしょうか……?」
アティに聞かれないよう、小声でユラに尋ねる。彼女は顎の辺りに指を置いて考え込む。
「精霊の呪いを解呪できたんだ。やろうと思えば可能だろう……が、その男たちを治す義理は無い」
「あ、あはは……」
「また誰かに迷惑をかけるのが目に見えている。餓死したって自業自得だ。貴方の優しいところは長所だけれど、善人と悪人を同じように扱うのはどうかと思うぞ」
やろうとしていた事は完全に見透かされてしまっていたが、それでも説得を試みる。
「彼らの容態も気にはしていますが……もしも、このまま彼らが目を覚まさなかったら……アティが殺人の罪を負ってしまうかもしれないんじゃないかなって、考えちゃって」
僅かな沈黙の後、ユラはため息をつき、いかにも渋々、やむを得なく、といった風に「分かった」と頷いた。
「さっきの喧嘩の限りでは、切り傷や打撲が主だろう。無傷の状態を想像して……周囲の綺麗な状態の皮膚を見本にしなさい。難しい事は考えなくていい。どのみち、自然の法則なんてものは無視した力だからな。綺麗な状態に戻す、と想像するだけでいい」
手近な人物の患部に手をかざし(真似たのか、ペルルも何故か手をかざしていた)、言われた通りの想像をする。傷口を縫うべきだろうかとか、内出血しているなら切れただろう血管は……といった事は、なるべく考えないように、ユラの言葉を口の中で復唱し続けた。
淡く、胸が白く光った。手を離してみると、怪我らしい怪我は見当たらなくなっている。上手くいったようで、内心ほっとして息を吐いた。
(よ、よし。あとは、飢える前に起きてくれるのを祈るだけ……)
全員分の手当てを終え、一息ついて、ユラに礼をしていると、既に町に戻り始めていたアティが振り返った体勢で「おーい」と声をかけてきた。
「何してるんだ? 戻るぞ」
「うん」
アオバの隣で一連の動きを見つめていたペルルを立たせ、手を引いてアティを追いかける。
宿に戻ると野次馬はとうに解散し、通りを歩く人々がアティを見かけると声をかけてくる。
「アティ、よくやった!」
「かっこよかったぞー! ちと、やりすぎだがな!」
僅かにほほ笑んで、アティは声に片手を軽く上げて対応する。そういうところも、妙に慣れている。あれだけ力があるなら、誰かを助ける事もきっと多いのだろう。
「あ、あのっ」
女性の声がして、何気なくそちらを見た。先ほど、人質にされかかった少女だ。赤毛のショートボブに、赤いリボンカチューシャ。服装は固めの生地のワンピースで、上から薄いコートを羽織っている。ぱっちりとした目は金色で、興奮気味に輝き、何故かアオバの方を向いていた。
「え? 僕?」
「そう! 貴方!」
「アティじゃなくて?」
「貴方よ!」
少女の後ろには、先ほど少女に駆け寄った青年が「なんかすみません……」という表情で立っている。
「えっと……なんでしょう……?」
勢いに気圧されたじろぐと、少女は「あのねっ」とはしゃぎながら、アオバと手を繋ぐペルルを指さした。
「この子は、貴方の妹さんかしら!」
「えっと……」
そう言う事にしておこうか。まさかフラン・シュラです、とは言えないし。僅かな間でそう考えて、頷いた。
「そんな感じ、かな」
「そうなのね! あの、ぜ、是非ともなんだけど……彼女を制作対象にした、服を作らせてくれないかしら!」
目をキラキラとさせながら、溢れんばかりの熱意で、よく分からないことをお願いされた。
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