◇ 07

 至近距離で見つめ合い、初めて気づいた。同い年か、あるいは一つ二つ年上なのだと勘違いしていた。カインは青葉よりも年下なのだ。両親に甘える事もほとんどなく、崩れそうな家と不幸な妹を守る責任感から、少し大人びて見えていただけだった。しかし今、ついにそれらを背負いきれずに、本来の幼さが露出していた。


 それらを眼前で見たからこそ、また一つ気づいた。表面的な輝きのその奥で、彼の目は不安と罪悪感から濁っていた。


 彼は後悔をしている。妹を置いて来たのは間違いだったのではないかと、目の前にいる御使いに問いかけている。だが、青葉は御使いではない。


「あの、み、御使い、様……」

「ごめん。僕には、その質問の答えが分からない」


 カインの腕を取り、教会の外に引っ張っていく。戸惑う彼をそのままに、シャルフと合流をする。「やっと出て来たか」という表情を浮かべたシャルフに向き直る。


「シャルフさん。フロワが家に取り残されているそうです」

「! 連れてこなかったのか、カイン」

「あ……その……」


 視線を泳がせるカインの背を支え、黒い泥が流れるように迫って来る通りに目をやる。ぎゅっと音叉を握り、決心する。


「助けに行きます」

「……正気か?」


 シャルフが顎で指す通り──もはや見るまでもなく──道はフラン・シュラで埋もれていた。豪雨で氾濫しかけている川のような地響きはどんどんと近づいてくる。


「や……やるしか、ありません!」


 音叉を胸の前で掲げ、フラン・シュラの大群に近づいた。細く高い音が響き、光る粒が今までの比ではない量で舞い上がる。これが全て選ばれなかった命だと、考えるだけで卒倒しそうだった。


 数えきれない程の命を殺している。母が知れば泣くだろうし、父は「何をしたのか分かっているのか」と責めるだろう。さすがの祖父母も良い顔はしまい。友人らに「どうしてこんな事を」と顔を伏せて尋ねられても、青葉には謝罪を重ねる事しかできない。


 極度の緊張状態からか、息が上がった。胃が締め付けられるような苦しさと不快感から、顔をしかめる。


 だがそれでも足りなかった。


「……!」


 奥から沸くように出てくるフラン・シュラには音叉の効果が届いておらず、また、効果範囲にいるであろうフラン・シュラも、新たな生命に変わるまでに時間差があり、勢いそのままに町に流れ込んでくる。


(間に合わない……!)


 音叉は音を鳴らし続け、耳鳴りのようになっていたが、もう目の前まで泥は迫っていた。ここまでか。もっと知恵があれば、想像力があれば、何か変えられたかもしれないのに。目を瞑ったその瞬間。


「──アオバ!」


 強く地面を蹴り上げる音がした。はっとして目を開ける。フラン・シュラを追い抜いて青葉らの前に黒いロングワンピースを翻し、その人物は身長に近い薙刀でフラン・シュラを薙ぎ払った。


 突如として強風が吹き、泥が一時的に押し返される。数十個程、光の粒が舞い上がった。


「ゆ、ユラさ……」

「気を抜くな。まだ奥から来る」


 厳格な声に、緩みかけた緊張感が別の意味を持って訪れ、思わず姿勢を正した。顔に布をかけているせいで、やや印象が薄くなってしまっているが……土壇場でユラが戻ってきてくれたのだ。そう理解しただけで安心感があった。


「その音叉でも対処しきれないのか?」

「効果範囲があんまり広くないみたいで……」

「ん、そうか」


 一瞬、視線だけで青葉を見て、短い会話をしながらもう一度、薙刀が振るわれる。ゴウッと音が横切り、進み出そうとするフラン・シュラが突風で押し返される。また数個、命の粒がふわりと上がった。


「ならば、範囲を広げるしかあるまい。集中して想像しろ」

「で、でも……」


 目の前までフラン・シュラが大群でやって来ているのだ。それに、後ろにはペルルやシャルフ、カインもいる。青葉だけならともかく、他の三人の命の危険を放置して、いつものように目を閉じて想像を膨らませるのは難しい。


 そんな青葉の不安が見て取れたのだろう。ユラは薙刀を振るった後の僅かな間に空いた手で、顔にかかっていた布を外した。端正な顔立ちに、生真面目な表情を浮かべている。


「……何が正しい事か、ね」


 ぽつりと独り言のようにユラは呟いた。彼女の指が青葉の頬をなぞる。触れることなくすり抜けているはずなのに、何故か触れたような気がした。指が離れ、ユラがわずかにほほ笑んだ。ぎこちない表情は、まだ多くの事を迷っているように見える。


「大丈夫。私が守ってやる」


 無償の愛に近しい言葉だった。だが、それを受け取っていいのか、戸惑う。青葉がユラに何かしてあげられた事など一度もない。今までと同じで、周囲の優しい人に甘えているだけではないのか。ただ在るだけで良いのは、特別な人だけだ。青葉はその特別な何かにはなれはしない。


「ズルイ言い方をしよう」


 迫りくる泥に向き直り、ユラは視線だけを青葉に向けた。


「それが私の為になる」

「……」


 そういう、ことなら。


 こくりと頷いて見せれば、ほっとしたのは青葉の方のはずなのに、ユラもどこか安堵したような表情になる。口元にほんの少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼女は言う。


「いい子だ」


 次の瞬間にはもう、彼女はいつもの彼女だった。


 ユラが薙刀を持ち替え、横に一閃、素早くもう一閃振るう。先ほどよりも奥へ、フラン・シュラが押し戻された。


「ならば安心して想像しろ。今までよりも広く、遠くへ響く音を」


 目を閉じて、まるで教官の命令のようなユラの言葉をなぞり、想像する。遠くまで響くならば、今よりも大きくなければ。そう例えば、役所で見たあの鐘ぐらいに、大きく。そうすると、きっと今よりも重くなるだろうし、叩いて音を鳴らすにも、指では難しいかもしれない。ならば、杖のような持ち手を。石突きを作って、それを地面で叩けば更に響くように。


 具体的な見た目と機能を想像する。胸の辺りが光るのが収まり、目を開けた。


 想像した通りの物が握られていた。槍のような柄の先に、刃ではなく顔の大きさ程の音叉が、赤い夕陽に照らされていた。ずしりとした重みが、手当したばかりの手の平に鈍い痛みを与える。


 これは、今までよりも多くの転生者を殺す道具だ。それでも、鳴らさなければならない。すぐ後ろにいる人を、守るために。自らは優しい人に守られながら、生かすべき命と、殺すべき命を選択する。


「ごめんなさい……っ」


 両手で柄を握って振り上げ、杖の底で強く地面を叩いた。


 鐘に似た、しかし不思議と細く高い音が響き渡る。波打ち際で波が引くように、ざぁっと一斉にフラン・シュラが消えた。同時に先ほどよりも更に多くの光の粒が舞い上がる。列を成すように命の粒は空へと上がっていき、一筋の光になった。


 何も知らなければ、どれだけ美しいと思えただろうか。


 その場に座り込んでしまいそうなのを堪え、振り返り、カインの腕を掴んだ。


「行こう、カイン」

「御使い様……」

「行かなきゃ、君は絶対に後悔する」


 守ってきた誰かが、自身が見放したせいで死んでしまうなんて、幼いカインにはきっと耐えられない。無理やりにでもカインを連れて、あの家へと向かう。


 まだ終わりじゃない。痛みも忘れて杖を握りしめる。


 だってまだ──奥から黒い波が押し寄せてくるのが見えるから。


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