第15話 妹は授業中に乱入してくるもんじゃない。
松ヶ丘の校舎に授業開始を告げるチャイムの音色が響く。ようやく7月に突入すると、蝉もポツポツと鳴き始め、校舎の傍の松林からワシワシといったクマゼミの鳴き声が聞こえてくる。空は透き通るような青の高気圧でからっからに晴れ、照りつける太陽が夏の始まりを醸し出していた。
「そらまぁ、普通に学校あるよな……。平日の月曜だし……」
別に学校が嫌いな訳でもサボりたい訳でも無かったが、岩平にとっては、今週末から土日にかけての学校近辺であれだけの騒ぎがあったのに、クラスの誰もがあまりその話題をしていないのが意外だった。もっと大騒ぎになるかと思ったのに夏休みの予定どうするとかの話題の方が多くて拍子抜けもいいとこである。確かにボヤ騒ぎがあったらしい事は伝わっていたのだが、消防車が駆け付けた時にはもう完全に技術室の火は消えていたし、どうやら辺理爺さんが物理演算(シミュレート)とやらで校舎を直してくれたらしい。今朝の登校時に確認してみたところ、現地は完璧に証拠隠滅がなされていた。流石はあのジジイである。あのアルベルト・アインシュタインとの戦いの時も目撃者はいないようだったし、せいぜい近所のガキが花火でイタズラをしてるんだろうぐらいにしか思われていないようだった。
「――ハイみなさん、これで等差数列の公式は覚えましたね~? それでは出席番号1番の我妻くん、この黒板の例題を解いてみてください」
「へッ!? 俺ェ!?」
色々と考え事をしていて、数学の授業そっちのけで窓の外の景色ばかり眺めていたのがまずかった。いきなり、数学の女教師である及川(おいかわ)波美(なみ)先生に指名されてしまう。こういう時ア行の名字はホント損だなと思うが、時すでに遅しだった。
しぶしぶ黒板の前に立ってチョークを持つが、全く話を聞いていなかったので、解ける筈もなくただその場に立ちつくしてしまう。黒板に書いてあったのは『1から100までの数を全て足し合わせた数は何か?』とかいう問題だった。単なる足し算みたいだったから、一瞬自分でもなんとかなるんじゃないかと甘く思った岩平だったが、実際やってみると10番目の数も足せないうちに頭がパンクしそうになるのだった。
全然分からん……。ヤバい、ここは素直に話聞いていませんでしたと認めた方がいいんじゃ……。
「答えは5050だ。こんなの数列の始めと後ろを順番に比べてみれば一目瞭然だよ。1足す100は101、2足す99は101、3足す98も101とこの数列の始めと後ろを足した和は常に101になることに気付ければ簡単さ。この2つずつにしたセットが半分の50個あると考えれば、101×100=10100を半分にした5050が答えだよ」
「あーそっか、頭いいなお前……」
横から誰かが的確な答えを矢継ぎ早に言ってくれたので、岩平もつい頷いてしまう。その解答は、たとえ岩平でも解った気にされてしまうくらいの単純明快で明瞭な答えだった。
しかし、その声に聞き覚えのあった岩平は問題を解くどころではなくなって、慌てて思い出したその声の主の方へと振り返る。
「――ッて、リーゼル!? なんでここに!?」
「なんでじゃないわよ、おバカがんぺー! アンタ狙われてる今の状況で、護衛も付けずに死ぬ気なの!?」
そこにはいつの間にかリーゼルが仁王立ちしていた。俺が問題で悶え苦しんでいる間に教室の入り口から堂々と入ってきたらしい。おかげでクラスメイトもその唐突な登場にざわめきだす。
「何あの小学生……、外国人?」
「我妻の知り合い?」
中でも一番過剰な反応を示したのは及川(おいかわ)先生だった。リーゼルをまじまじと見つめるなり、急に抱き付きだす。
「かっ、可愛いーっ❤ 何この娘!? 名前は何て言うの!? 歳は? 国籍は? 好きな食べ物とかある!?」
リーゼルに激しい抱擁をしながら質問攻めにする及川(おいかわ)。しかし、及川のその豊満な胸に顔を挟められたリーゼルは、質問に答えるどころではない。
「なっ、何をする!? 放せこの馬鹿乳女!?」
リーゼルは及川の胸の中でもがきながら、明らかに動揺した口調で答える。しかし、及川はそんな困惑するリーゼルも全く気にせずに、感極まって「金髪ロリっ娘萌え~っ❤」とか叫び出す始末である。
駄目だこの女、早くなんとかしないと……。
「岩平、助け……」
「あーあ、及川に気に入られちゃったよ。こりゃ助からんな」
しかしこれはこれで、いつもは強気なリーゼルが困り果てている様はどこか小気味いいものでもあった。まぁ今は、そんなこと言ってる場合ではないが……。
「そんなこと言わないで岩平ぃ……、早く……」
目の前で行われている情事にクラスの皆が色めきだってきてうるさいので、岩平は強引に及川からリーゼルを引っぺがす事にした。
「あっ、この子は俺の腹違いの妹でして、複雑な家庭事情があるんで……」
とかなんとか下手な言い訳をして、岩平はリーゼルを小脇に抱えながら一目散に教室を後にする。おかげ様で、とりあえず昼休みまで授業をサボることが決定になってしまった。
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