君の彼女でよかったとよ。

ひとひら

第1話

 高校の入学式を数日後に控えた昼下がり、いつものようにリハビリを終えたその帰りに私は近所の公園に立ち寄っていた。


「よいしょっと……」


 入って直ぐの左手には、年季の入ったお稲荷様が祀ってあり、稀にモダンな装いのお婆ちゃんが拝んでいるのを見かけるのだけれど、これだけ粗末にされているお稲荷様に何をお願いして、一体、どんな御利益があるのだろうかと不思議に思ったりしたこともある。他にあるものといえば、いま私が腰掛ける落書きだらけの長椅子に、目の前の高さ5センチ程の煉瓦に囲われた砂場が中央にあって、その奥には二連式のブランコが一台。振り返って見てみれば、水飲み場とトイレ。後はまばらに外灯。

 ああ、それと、壁打ち場。

 向かって左側にある、錆びれたフェンスで仕切られた壁打ち場。これがあったことで物心つく以前から、私は硬式テニスに触れることになった。父と遊びに来る時には、いつもジュニア用のテニスボールとラケットを持って来ていた。

 父がボールを投げては、壁に向かって私がそれを打つ。たったそれだけのことを繰り返す時間は、最高だった。


しおり。あの上ば狙わんと」


 そう言って、ネットとして描かれてある白線の上を父は指差していた。


「うん!」


 私は何度も何度もその場所目掛けてボールを打った。そして、それが上手く出来ないことが悔しくて、小学校に上がると毎日のように日が暮れるまで一人でするようになった――。


「スクールば、通うか?」


 ある日のこと、学年の一つ上がった私に父がそう問い掛けてきた。


「――うん!」


 そうして私は、テニススクールへ通うようになり、大会にも出場するようになっていった。最初こそカウントを間違えたり、緊張し過ぎて休憩しないままにチェンジコートしたりということをしていたけれど、中学二年の夏の大会では全九州ジュニアテニス選手権大会でベスト16に食い込み、翌年にはベスト4まで勝ち進んで、父やスクールの人達を喜ばせていた。


(私のテニス人生は、これから――)


 進学先も決まり、高校へ入学したら、より一層テニス漬けの毎日を送ろうと心に決めて日々の練習に励んでいた一月、私は不運にも事故に遭ってしまった。

 トレーニングの一環でクラブ周辺の歩道を走っていた私にコントロールを失った大型バイクが突っ込んで来たのだ。

 目の前が真っ暗闇になった後に見えたものは、自分の脚だった……。


「へ?」


 私の知ってる、右の脚じゃなかった。ボールを追いかけてくれる形じゃなかった。

 それは、膝から下が捻じ曲がっていて、すねの骨が皮膚を突き破り前と外側から出ている歪なものだった。


「い……いや……」


 自分の身に起きたことが理解できなかった。けれど、拒絶の感情だけは直ぐに押し寄せて来て、絶叫した後に気を失っていた。でも、思えばあの時あれでよかったと思う。だって、一瞬でも現実を受け留めなくて済んだのだから――。


「……お父さん」


 病院へ運び込まれた私は、一回目の手術の後、ベットの上で目を覚ます。


「栞。なんも心配いらん」


 そう言う父の顔が、蒼白なのを今でも思い出す。


「……そうだ、私――」


 身に振り掛かったことが駆け抜け、私は飛び起きようとした。


「っ!?」


 けれど現実を叩き込むような激痛で起き上がれなかった。代わりに視線を下げる……そうして見えたもの。それは、幾重にも包帯を捲かれて固定された荷物のような右脚だった。


「なん、これ……」


 膝前十字靭帯損傷および腓骨と脛骨の開放骨折による大怪我。幸い感染症に罹ることはなく、コートに立つことが出来るようになるまでには、おおよそ半年くらいは掛かるだろうことが病院の先生から告げられた。


(終わった――)


 この大事な時期に練習をすることが出来ない。それは、ライバル達との競争から脱落したことを意味する。例え復帰できたとしても、以前のような感覚でプレー出来るかどうかなんて、やってみなくちゃ分からない。加えて、傷痕も残るという……。

 そうなると、もう、頑張ろうとは思えなかった。

 テニスは二度としたくないと、決意するように思った――。

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