17話 病院
気が付いたとき、俺は病院で手当を受けていた。
あとで聞いた話だと、トラックが交差点で信号待ちをしていた人の群れに突っ込み、それに巻き込まれたんだろうとのことだった。
幸い俺には大きなけがはなかったが、それでも意識を失っていたことから担ぎ込まれ、意識を取り戻してからも二日ほど動けなかった。
どうやら化野が通行人のひとりとして、救急車や警察への連絡などの手配をすべてやってくれたようだ。プロかと思うほどだった、と語る看護師に、少し笑いそうになったのは内緒だ。
その化野は、退院の前日にひょっこりと病室にやってきた。
「……よう、坊主。元気か」
化野は出会った時と変わらず、飄々とした様子で片手をあげた。
「化野さん」
「あの運転手な、捕まったぞ。青信号に突っ込んだ大事故だ」
言いながら、近くのパイプ椅子に座る。
「お前以外には死者六名、意識不明の重傷二名だ。希望は薄いがな」
「……それは、ヨモツヘグイの……せいですか?」
「なんだ。気付いてたのか」
「……ええ、まあ」
なんとなく予想はついていた。
「いくらなんでも死者が多すぎるが、スピード違反で思いっきり突っ込んだのが悪かったってことになってる。まあつまるところ、お前だけが奇蹟みたいな扱いだな」
返す言葉がなかった。
結局、最初からきちんとした形で帰ってこられる可能性があったのは俺だけだったのだ。
「運転手――武藤は数年前にも単独事故を起こしててな、長距離運送の途中で起こした前方不注意だ。武藤本人も助かったのは幸いだが、会社に対して借金を背負ったらしい」
「……借金?」
「トラックの修理代だよ。免許停止なんかは免れたが、長距離から地場勤務になって、給料は格段に下がった。本人も事故を起こした影響から抜け出せず、ちょくちょく小さな事故や接触を起こしてたらしい。借金も膨らんで、会社に飼い殺しにされるようになったのさ」
「……」
「そして起こしたのが三ヶ月前の人身事故だ。信号無視とスピード違反、そして救護義務違反のひき逃げ事件だ。ま、ただでさえ借金抱えて、会社にもお荷物みてェに見られてるのが苦痛だったんだろう。全部自業自得だが、武藤はその事実を受け入れられなかった。自分は異世界……楽しい世界に送ってやってるとでも思わねぇとやってられなかったんだろつ。いずれにしろ、向こうの連中につけ込まれて怪異になっちまった」
向こうの連中について説明はなかったが、察することはできた。あの赤い世界に関わっているような奴らが、まだいるんだ。
「そしてあとは知ってのとおりだ。自分で自分を追い込む奴ほど面倒なものはない」
化野は頭を掻きながら、吐き捨てるように言った。
それからずっと俺も化野も黙っていた。柔らかな日差しはひどく眩しい。
「……俺も……」
「あ?」
俺の口から、ぽつぽつと言葉が飛び出す。
「……俺も父さんも……どうしていいかわからなかったんです」
ようやくそれだけ言うと、化野は無言のまま目配せをした。
「母さんが死んだときのこと……それまでずっと、家のこと……、洗濯とか掃除とか、食事とか……今まで母さんがやってたこと、全部……俺も父さんも、そんなことやったこともなくて……わからなかった。みんな、愛奈に押しつけてしまった」
母さんが死んで、愛奈は率先して家事を引き受けた。けれども、俺は普段通りの生活をしてしまったのだ。
ただ愛奈が女だというそれだけで、母親のまねごとをすべて肩代わりさせてしまったのだ。それが愛奈を追い詰めていたなんて気が付かずに。
現実には、愛奈は次第に疲れ切って家に引きこもるようになった。
父さんと口喧嘩になったのも、愛奈が引き受けている家事をもう少し手伝ってやれと言われたのがきっかけだった。だけど俺は、自分の必死さを理由に話をそらしたのだ。父さんだって俺たち二人を養うために、悼む暇すらなく仕事をしなければならなかった。そんな姿を、ただの逃げだと俺は責めた。
俺だけが、責めた。
俺が少しでも何かを引き受ければ良かっただけの話だった。
「茜さんだってそうだ……」
父さんが茜さんを連れてきたのも、けっして母さんを忘れようとしたわけじゃなかった。慣れない家事に押しつぶされて引きこもり、初潮もはじまる年齢にもかかわらず、男親しかいなくなった愛奈のことを心配した茜さん。たった二年で崩壊しかけた家族をなんとか正常にしようと名乗り出たのが彼女だった。たったそれだけのことだ。
茜さんは……、母さんの親友だったのだから。
でも、俺は絶対に認めなかった。
認めたくなかった。
愛奈は一人で大丈夫だと信じ込んで。
母さんはたった一人で、家族は父さんと愛奈だけであると振る舞った。
でも実際は、父さんも愛奈も、新しい道を歩み始めていた。
それを認めたくなかったのは、俺だけだ。
「ぜんぶ、ぜんぶ俺のせいだ! 愛奈が死んだのは……!」
顔を覆う。
自分が家事の手伝いを面倒だと思ったのは事実だ。
褒めさえすれば愛奈が満足だと思い上がって、言い訳を重ねたのも俺。
母親がいなくなってつらいんだろうと見ないようにしたのも俺。
自分は助かった良かったという、唾棄すべき思い。
あるいはそんな気持ちを察して、お前は黄泉まで迎えに行ったじゃないかと慰めてほしがっている自分。
汚泥のような自分の卑怯さをひしひしと自覚してしまう。
それだけじゃない。俺が見殺しにしたのは、事実から目を背けたのは愛奈のことだけじゃない。
結局俺は、何も見えていなかった。
少なくとも、意見することすらせず、見えないふりをした。
でも、化野は何も言わなかった。
沈黙が病室を支配したあと、何も言わぬまま椅子を引く音がした。
足音が入り口のほうへと遠ざかっていき、こつり、と止まった。
「俺はお前たちが何を話したか知らんがな」
はっきりと通る声。
「お前ェの妹が伝えたかったのはそんなことか?」
「……」
「ま、時間はまだある。じっくり考えるこった。邪魔したな」
化野はそう言うと、病室を出て行ってしまった。
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