第21話 備えありすぎても憂いあり

「帰ったら忙しくなるぞ、ミラちゃん」


 帰り道。馬車に揺られながら手元の書類に目を通していたファズが、唐突にそのようなことを口にした。

 彼の左隣に座っていたミラと、更にその左隣に座って彼女の肩に手を回していたセトが同時にそちらへと振り向く。

「え、でも、学校に行くのは赤の月から……来月になってからってお話だったんじゃ」

 ミラはきょとんと小首を傾げている。

 ファズはそうだよと相槌を打ってから、その理由を続けた。

「必要な物がまだ揃ってないからだよ。勉強に必要な筆記具や学術書、何かあった時のための金を入れる財布、それらを持ち運ぶための鞄、そして学び舎で過ごすのに適した新しい装束に靴。君の体型に合わせた特注品にするつもりだから、仕立て屋を呼んで採寸してもらわないといけない。筆記具や鞄は後でうちの商会で扱ってる製品のリストを渡すからそこから選んでもいいし、鞄も特注品にしたかったら採寸の時にそう要望を伝えてもいい。どちらにせよ、特注品というのは一日二日ですぐにできるものじゃないからな。採寸だけでも明日中には終わらせてすぐに仕立てに取りかかってもらわないとな」

「……と、特注品……」

 庶民にはまるで無縁の単語の登場に、ミラは軽い眩暈を覚えていた。

 今着てるドレスだって今日のためにって新しく用意したものなのに、これ以上着る物にお金かけなくても……!

「……あ、あの。着る物でしたら今でも十分なくらいにたくさんありますから……」

「駄目だ。これはアヴィル家の人間として重要なことなんだぞ、ミラ」

 服の新調を辞退しようと首を振るミラを、肩を抱く手の力を強めながらセトが嗜める。

「大勢の人の目がある場所だから何も起こらない、なんてことはありえないんだ。今日のことで身を持って知っただろう?」

「それは……その……」

 あの時リゼルが間に入ってナギとシュイが助けてくれなかったら、今頃この身がどうなっていたかは分からない。

 当時感じた恐怖を思い出し、ミラは膝の上で重ねていた両手をきゅっと握った。

「誰かが群集に紛れてお前のことを狙っているかもしれない。遠くから魔法で撃たれるかもしれない。それどころか学校全体で結託してお前の純潔を奪おうと目論んでいるかも……ああ、そんな荒れ荒んだ場所にお前を送り出さなければならんというのに、俺には傍にいることも許されないのか……!」

「お、落ち着いて下さいセトさん……大丈夫ですよ、そんなことを考えてる人なんていないと思いますから……」

「いや、こんなに可愛くて魅力的なお前を見て欲情しない男がいるなんてありえない。きっと今も、今日偶然お前の姿を見かけた連中は何処かでお前のドレスを剥ぎ取って俺すら目にしたことがない聖域を汚す妄想に耽っているに違いないんだ! 俺だってミラが成人するまで待とうと固く誓って今日まで耐えてきたのに! けしからん! 次に目が合ったら容赦なく消し炭にしてやるああそうだそうしようミラの純潔を守るためだったら世界も竜神様もきっとお許しになって下さるはずだこれは正義の裁きなんだ──」

「消し炭とか物騒なことを言わないで下さい! 本当に何もありませんから! 大丈夫ですから!」

 一人で勝手に良からぬ妄想を始めて頭を抱えるセトに、ミラの表情が引き攣る。

 学校ぐるみで陵辱するって大袈裟な、とセトのぶっ飛んだ想像力に呆れるものの、その奇天烈すぎる言動が滑稽なせいで先程感じた恐怖が薄らいでいったので、そこは素直に感謝するのだった。

 セトが変な妄想を暴走させるのは日常茶飯事であるが故か、あしらい方も慣れたものだ。ファズは苦笑しながら手にした書類を鞄へとしまうと、その顔を二人の方へと向けた。

「消し炭にすると後の処理が面倒だから原型くらいは残してやってくれ。……ミラちゃん、学校ではセレスが君の傍についていてくれるが、彼女も女性だからな。例え人間相手でも屈強な男に掴みかかられたらどうしたって力負けするし、あいつ自身荒事の対処にそこまで慣れているわけじゃない。君も、人を相手に殴り合いとかしたことはないだろう? 隙を突かれて刃物を向けられた時に肌を守れるように、耐久性の高い服を準備しておくに越したことはないんだよ」

 備えあれば憂いなし、という言葉があるだろう? と言われて、ミラは開いていた口を閉ざしてしまった。

 確かに、何事も念入りに準備をしてから本番に挑むものだ。ミラが昔から当たり前のようにやっている薬の調合も、畑の世話も、道具や材料をしっかりと揃えてから作業を始める。服を特注で仕立てることが学校生活に必要不可欠なことかと問われると微妙な感じもするが、いざ必要な場面に遭遇した時に準備をしていないと困ることになるかもしれない、という点では同じだ。

 もしも、何も準備せずにいて、万が一誰かに襲われて大怪我をしてしまったら。取り返しのつかないことになってしまったら──家族やセレスティアに迷惑をかけることになってしまう。

 皆に悲しい顔をさせてしまうのは嫌だ……と思ってしまった彼女は、素直に言いつけに従って新しい服を仕立てることを承諾したのだった。



 ようやく自宅に到着し、正門の前で馬車を降りた一同。

 それを出迎えたのは、アヴィル家が雇っている使用人たち……ではなかった。


「……ねぇ、セト。どうして俺は折角の休日を潰された上にこんな格好させられてるのかなぁ?」


 セトのものとは若干デザインが異なる純白の礼装を纏ったウルが、随分と疲弊した様子でセトを見つめている。

 いつもの目隠しはそのままなので、相変わらず表情の半分は分からない。しかし喋り方などから感じ取れる感情の色は、怒っている……とまではいかないものの、かなり呆れている様子だった。

「いきなり帰ってきたと思ったら理由もろくに言わないで『定期報告にはお前が行け』とか一方的に言っていなくなっちゃうし……いつも言ってるじゃない、俺、顔がこんなだから謁見役には一番向いてないってさ」

 ウルは人前では目隠しを取りたがらない。それが王への謁見という厳粛な場面であったとしても同様だ。

 王は彼が目隠しを着けている理由を知っているため何も言ってはこないが、理由を知らない重役たちが彼を叱るのである。それはもう公の場に出る度に散々言われてきたので、ウルは王宮に行くのが苦手だった。

 はぁ、と小さく溜め息を漏らしながら、彼は肩を竦めた。

「……一応務めはちゃんと果たしてきたけど、王様ものすっごい呆れてたよ? 後で呼び出されて叱られても知らないからね」

「そ、それは……いやだって仕方ないだろう! ミラを護るためだったんだから!」

「それこそ俺が学校に行ってお前は普通にお勤めしてれば良かったじゃない。そっちの方がよっぽど平和的な解決法だって思うんだけどな。俺、魔法使えないから荒事になったとしてもそこまで酷いことにはならないだろうしね」

 竜人ドラゴノアは、魔力を有する種族である。血統や生育環境など様々な理由による個体差こそあれど、多かれ少なかれ魔法を自在に操る力を持っている。

 人間は、魔力を持たない。魔道具を用いて擬似的に魔法効果を再現することはできるが、生身で魔法を操ることは不可能だとされる。これが、竜人ドラゴノアが人間よりも優れていると言われる理由のひとつである。

 因みに、稀に人間の中にも魔道具を一切用いずに簡単な魔法であれば操ることができる者もいるが──彼らは『素質』を殆ど持たずして竜人ドラゴノアの男に嫁いだ人間の女から産まれた混血児であることが十割だ。それも手を触れずに指先ほどの石ころを転がしたり火花の欠片程度の火を熾すことができる程度のものなので、他人に自慢できるほどの代物ではなかったりする。

 兄弟の中でウルだけ『素質』を持たない人間の女から産まれた、ということはない。彼もセトたちと同じ母の腹から、同じ日に産まれた竜人ドラゴノアの子供だ。なので当然、彼の身にも魔力は宿っている。

 しかし、彼だけは他の兄弟たちとは異なり、魔法を使うことができなかった。

 物覚えが悪くて魔法の使い方を覚えられなかった……のではない。使いたくても使えなかったのである。

 故に。彼が何らかの荒事に巻き込まれた時──彼は、拳を振るって全てを黙らせてきた。四兄弟の中で彼が最も体格に恵まれているのは、そうならなければ荒事に対処できなかったからなのだ。

「……まぁ、終わったことだし今更な話でもあるから、もういいけど……ねぇ、ファズ、今日の夜はパーティーするんでしょ? 俺、用事があるから今から出かけてきたいんだけど、いい? セトの代役に時間取られてそっちにまで手が回らなかったから」

 パーティー、の単語の登場に、ファズは昨日シュイがケーキを作っていたことを思い出した。

 台所は悲惨な有様になったが、一応ケーキ自体は完成しているらしい。アイシクルストレージャーという食材を低温状態で保存するための魔機を内蔵した収納棚の中に保存されており、出す時まで誰も触るなと御丁寧にナギへの名指しつきで貼り紙がされているそうだ。

「すぐ終わる用事だし、パーティーが始まる前までには帰ってくるからさ。いいよね?」

「別にそれは構わんが……その格好のまま行くなよ。一応それは公務専用の正装として仕立てたやつなんだから」

「分かってるよ。この格好で外歩いてると嫌でも目立つし、汚したら色々な意味で面倒臭いしね」

 ウルは自分の体に視線を落としながら肩を竦めると、すぐに帰って来るからと皆に告げて屋敷の中へと戻って行った。

 ちょっとお出かけしただけで汚れるって……ウルさん、一体何の御用で何処に行くんだろう?

 僅かばかり好奇心が働いたミラだったが、この疑問は後で直接ウルに尋ねても彼からは上手くはぐらかされ逃げられてしまい、結局解消されることはないのだった。

「さ、俺たちも屋敷に入ろう。ミラちゃん、夕飯ができるまで時間があるから、その間に風呂に入って着替えておいで。セトもだぞ。全く、その格好で学校に来たのはまあいいとして、品なく暴れた挙句アリステアさんに説教されるとか……地べたに直接正座なんかして、生地が擦れてたり取れない皺が入ってたりしたらどうするんだ。その装束は普段着とは違うんだぞ」

「品なく暴れ……って、何もしてないぞ俺は。竜の力も使ってない──というか、ファズ、俺に対する態度がミラの時と比べて冷たくないか?」

「ミラちゃんは未来の妹なんだし、それ以前に女性なんだから優しく接するのは当たり前じゃないか。そもそもお前を甘やかしたところで俺が何か得するわけじゃないしな」

 不平を述べるセトを一蹴して、ファズは再度ミラに屋敷に戻ろうと促すと先に中へと入って行った。

 ファズの弟たちに対する扱いが微妙に雑なのは、幼少期から問題ばかり起こしていた彼ら四人の面倒を長いこと見させられてきたせいでいい加減うんざりしているから、だったりする。例えば先日の台所で起きた小麦粉粉塵爆発事件のように。

 問題さえ起こさなければ胸を張って皆に自慢できる弟たちなのに……と彼が日頃から人知れずぼやいていることを、当の弟たちは気付いているのだろうか。


「ねぇ……シュイから聞いたんだけど、君、ミラちゃんのことを苛めたって本当の話? 困るなぁ、あの子は将来俺たちの妹になる大切な子なのに。駄目だよ、そんな悪いことをしちゃ──君がやったことは物凄く悪いことなんだって理解できるようにお説教してあげなくちゃ、ねぇ」

「申し訳ありません申し訳ありませんもう二度とあのような馬鹿で愚かなことはしません誓います! この通り誓いますから! 許してぇぇぇぇ!」


 ──そう。問題さえ起こさなければ、胸を張って皆に自慢できる弟たちなのに。

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