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信乃は、妖狐の類である。母も当然、妖狐であった。父は知らない。父について、母から聞いたことは一度もなかった。興味がなかったわけではないけれど、特段に追及するほどでもなかったから、信乃は自分の父のことを知らない。
妖狐であるから狐の姿にもなれるし、人の姿にもなれる。人の姿になっても、耳や尻尾など一部だけを残すこともできる。母は、人前に出るときは人の姿で、家にいるときは狐の姿でいることが多かった。対して信乃は、人前に出るときはもちろん、家にいるときも人型でいることが多かったけれど、人の目の届かぬ場所では耳や尻尾はそのままにしていることが多かった。人の耳では音が聞こえにくいし、本来あるはずの尻尾の感覚がないというのはなんとも居心地が悪くてどうにも慣れなかったのだ。母はそんな信乃に兎角言うこともなく、ただ「人前に出るときはちゃんと擬態するのよ」と注意するくらいであった。
そんな放任主義の母が、信乃に唯一許さなかったのは、人間に害をなすことであった。害をなすといっても、生き死にに拘わるような大仰なものではない。人間のものを盗むとか、人間を騙すとか、そんな妖狐にとっては生来の性である悪戯程度である。作物を盗むのも人を騙すのも、信乃にとっては楽しいことという認識だった。うまく騙せて一人前、という風潮すらある。信乃もまた、作物を盗んだことも、酔っぱらった男を騙して身ぐるみ剥いだことも数度ある。けれど、それがバレると普段はとても温厚で放任な母が大層怒るものだから、次第に楽しいことから母に怒られること、という認識が強くなり、結局は母の怒りへの恐怖の方が勝って、信乃はめっきり人間に対する悪戯はしなくなった。
とはいえ、信乃がしなくとも妖狐というものは人間を騙す、誑かす生き物という認識が、人間の中には広まっていた。当然ながら疎まれもするし、嫌われもした。自分たちにとって害のある存在を快く受け入れてくれるほどの寛容さは、人里には存在しない。そのため、妖狐は比較的人里に近い場所で生きているが、信乃や信乃の母のように人里に紛れて暮らすものは稀であった。人に見つかれば殺されるのは必至、その分、信乃は母に人に見つからないよう徹底的に擬態する術を習った。きちんと歳を重ねることも忘れないようにと、何百年と生きる自分たちが人の時間に合わせるようにも教わった。おかげさまで、五、六歳の児童から、老いぼれの爺婆まで、信乃は完璧に演じきれる自信がある。とはいえ、見た目の好みは当然あるので、だいたいは二十代の女性の姿を取っているが。
人里の中、と言っても住処自体は村から少し離れた丘の上にある。人の目から見たら立派な屋敷は、しかしひとりふたりで住むにはあまりに広いのも事実。手入れなど到底行き届くはずもないのに朽ちることがないのは、この家もまた、普通の人とは違う時間の中にあるものであるからにほかならない。
この、人ならざる信乃や信乃の住む家を、村の人々は明確に異端であるとは認知できていない。かつては、どんなに擬態しても見抜かれてしまうことがあったと母は言っていたけれど、信乃が産まれてからの百数十年の間は一度も見抜かれていない。その、妖狐にとってはとても短い時間の中で、人間たちの生活が大きく変わったこともあるのだろう。人間がカガクというものを使って新しいものを作り出すたびに、母は楽しそうに、けれど少しだけ寂しそうにしていたのを、信乃は覚えている。
しかし、たとえ人ならざるものと見抜かれることはなくとも、どうしても不自然さというのは残る。人間もまた生き物ならば、本能というものが内在する。その本能の部分が、信乃たちが自分たちとは異なるものであることを危険として鋭敏に感じ取っているのだろう。どううまく擬態したところで、その不自然さからくる忌避というものは存在する。この家は、もうずっと前から、「憑き物の家」として忌み嫌われてきた。表立って村から追い出されることはないけれど、関わり合いを持ちたくないという明確な意思はひしひしと感じていた。まだ幼い頃、信乃はそんな人々の態度を大層不快に思ったし、どうしてこんなところに居を構えるのか、母の行動が不思議でならなかった。理由を尋ねても、嫌なら出て行ってもいい、の一点張りで教えてはくれなかった。
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