第3話 幻肢という名の白い腕

 真宮十三には彼女の言葉も聞こえていないようだった。ぶつくさと悪態を繰り返し、十三を覆う闇はどんどん濃さを増してゆく。


「君にも視えるかい? あれが彼の『痛み』だよ。……『サディカル状態』―――行き場の無い自分の痛みは、形を持たぬ悪意を纏って呪いとなる。こうなるともう、他者の痛みなどまるで理解しない、怪物になってしまう」


 鈴茅蒼麻が冷静に淡々と説明する。どうやらこの黒い靄は、鈴茅蒼麻と、その力とやらを分け与えられた彼女以外には視えていない代物らしい。そして、それは『痛み』を可視化したもののようだった。よく見ると彼女自身の手首の傷にもうっすらと白い靄がかかっているのが視える。


「ぶっ殺す!!」


「パパ!?」


 次の瞬間、真宮十三は叫びながら襲い掛かってきた。憎悪を身に滾らせながら猛ダッシュでこちらへと近付いてくる。


「下がっていなさい。今度は君に、唯一残された僕の『痛みの形』を見せてあげよう――――」


 そう言って彼女の前へと立った鈴茅蒼麻は、上着を脱ぎ捨て、迫りくる真宮十三へと立ち向かう。


 その時、彼女には鈴茅蒼麻の左肩の傷口から不思議な光が溢れ出しているのが見えた。淡く光る白い靄が彼の身体っを包んでゆく。やがて、その白い靄は腕のような形と収束していった。


「――――『幻痛肢』」


 そして、次の刹那、急加速で一気に真宮十三との間合いを詰めた彼は、その光の左腕で父親のどてっ腹に掌底を繰り出した。


「ぐぎがあああぁッ!!」


 そのまま真宮十三は、光の衝撃波で数メートル後方へと吹き飛んで無様な悲鳴を上げる。


「な、何なのよそれ……!? 白い靄が腕みたいに……」


「――『幻肢』。コイツは肉体の痛覚を失くした僕にとって、ただひとつだけ残っている『痛み』の記憶、身体部位を喪失した者に稀に現れる幻の痛覚さ。僕はそれを具現化し、人の精神体に直接触れる事が出来るんだよ」


 鈴茅蒼麻はそう言って振り返ると、その白靄の左腕を動作確認をして、自在に動かしてみせる。その淡く光る腕は常にまるで陽炎のように揺らいでいた。


「おのれえええぇぇッ!!」


 さっきの攻撃で逆上して、立ち上がったた真宮十三からは、まるで噴水のように黒い靄がかなりの勢いで噴き出していた。もはや理性や意識も無いようで、身体は真っ暗な闇へと包まれており、紅い眼光だけが見えていた。


「おっと、案外しつこいな君の父親は……、まだ立ち上がるか……」


 すかさず、鈴茅蒼麻はとどめを刺そうと真宮十三へと駆け出す。


 しかし、それが失敗だった。父親の真の狙いは鈴茅蒼麻ではなく真宮瑠璃の方だったのだ。


「キャアアアアッ!!」


「チッ、しまった下か……! 黒靄が地下を通って、憎悪の呪いが彼女に……!」


 彼女の足元の地面から、無数の黒い靄の手が生えてきて、彼女に取り憑いて包み込む。すると、たちまち彼女の心の中にはドブを流し込んだかのようにどす黒い感情が溢れてきた。真っ黒になったもう一人の自分が心象世界の中で語りかけてくる。


 ねぇ、どうして私だけなの?


 なんで私だけが……


 そう、どいつもこいつも憎いでしょう? 


 他人にも自分と同じ痛みを味あわせてやりたいとは思わない?


「うわあああぁぁッ!! 憎い憎い憎い憎い痛い痛い!!!」


 サディカル状態の黒靄に呑み込まれ錯乱した彼女は、さっき鈴茅蒼麻が傷口から引き抜いて落とした血まみれのカッターを拾い上げると、刃を振りかざして彼へと襲いかかる。


「ああああああぁッ!!」


「くっ、気をしっかり持つんだ! 真宮瑠璃!!」


 それらの攻撃を、彼はなんとか躱しながら、彼女の説得を試みるのだった。


「なぁ、君のその憎しみは……、本当に君自身の『願い』なのかい?」

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