Stage.015 フェアリィ・インベージョンⅠ

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 その日は、朝から空気が違った。いつもの気持ち良いくらいに活気に満ちた喧騒は鳴りを潜め、ピリピリとした緊張感のあるそれがユピテルを支配していた――が、まだお昼を過ぎる頃まではよかった。確かに緊迫した空気感はあったが、然程気にするようなものではなかったのだ。

 それが変わったのは午後三時を回ったあたりか。

 サービス開始後、初めての大型イベント。それも自分たちの街に攻めてくるであろう、無数の敵を倒し、守らねばならないのだ。NPCたちはこの世界で生きているというゲームの設定があり、公式ホームページの詳細でも語られていないがイベントとはいえ、もし敵が街に入り込んで彼らを殺せばおそらくは絶命し、リポップすることはない。

 だから次第に本当に守れるのかどうかという不安が掻き立てられ、それが見えない渦となってユピテル周辺で活動する多くのプレイヤーたちを飲み込んでいく。

 午後七時四十五分――開始十五分前ともなればピークに達し、街のあちこちで不安を口にするプレイヤーで溢れかえっていた。

 ならば。

 もっと先に進んでいるレベルの高いプレイヤーたちはどうかといえば、不安なんてどこ吹く風と言わんばかり。ギラついた目をして、皆一様に開始を今か今かと待ち侘びてさえいた。

 ユピテルの北門ウルティマ・トゥーレの面々――その中でも特に、アリスはその気持ちが強かった。エルフ集落のダンジョンで戦い、負けなかったが勝てもしなかったボス、ユリウス。アイツが攻めてくるはずだ、今度こそ勝利する、と。

 意気込むアリスにカムリが問う。


「念のために確認しておくが、あの誘いを断ってしまって本当によかったんだな?」

「うん。私はこのメンバーで戦いたかったし」


 誘いとは無論、今から始まるこの防衛戦クエスト――フェアリィ・インベージョンに関してだ。

 ユピテルに出入りするため東西南北に設けられた門。それらを目指してエネミーが攻め込んでくるのだが、どこか一箇所にプレイヤーの戦力が集中したって守りきれない。プレイヤーだってバカじゃないのだから、ゲーム内外で連絡を取り合い、ある程度の作戦を立てる。

 結果、ギルド開放から数日で巨大ギルドへと成長したいくつかのそれが主体となって、各門の守りへ着くこととなった。その旨を掲示板で大々的に宣伝し、なるべく戦力に偏りが出ないよう調整しつつ、ざっくりとしたものだが指揮系統も形成していった。大部分は参加しているようだが、全プレイヤーがそこに参加してはいない。あくまで掲示板やゲーム内の勧誘で集った有志による軍団だから、強制力は皆無。

 そして誘いはウルティマ・トゥーレにもあったのだ。アリス以外のメンバーが思案する中、彼女はそれを突っぱねた。誘いを受けていたなら、なるほど、他のプレイヤーからの支援も受けられて防衛の難易度も下がるかもしれない。しかし、|それでは意味が無い(・・・・・・・・・)のだ。

 だってアリスにとってこのゲームは全力で楽しむためのもので、エリアボスと違って広いフィールドを縦横無尽に駆け抜け、無数の敵から街を守るために戦うなんて面白いことなのに、わざわざ自分から難易度を下げるなどしようものか。

 大手ギルドの指揮下に入ってしまえばおそらく、そういった勝手な行動は許されないだろう。だから断ったし、その理由を話せば、楽しむことを第一に考えている他のメンバーもすぐに賛同してくれた。ならば後悔などあろうはずもなかった。

 うずうずしているアリスに袴姿をした一人の女性アバターが近付いてくる。下ろしていればセミロングくらいであろう色素の薄い茶髪をポニーテールにして、腰には椿と同じく刀を差している。

 注視される中、気にした素振りも見せずアリスの傍までやってくると、右手を差し出して口を開いた。


「私はギルド・真閃組の|沖(おき)|田(た)|刀(とう)|子(こ)と言います」

「アリスだよ」


 それに応え、アリスは彼女の手を握り返す。

 刀子はただ自己紹介したに過ぎないが、彼女の所属するギルド名から一同は用件におおよそのアタリをつける。誘いを断ったことに対して嫌味でも言いにきたのか、と。しかしアリスだけは「この人は結構強そう」だなんて、相変わらずのバトルジャンキー思考をしていた。


「天使さん、あなたのことはとある動画にて拝見しました。戦技連続発動――素晴らしい腕をお持ちですね」

「あーつこね……え、何?」


 予想とは無関係な話題が飛び出し、そのうえ聞いたことの無い単語まで登場して呆気に取られたアリスは真顔で聞き返した。


「戦技連続発動です。あなたが後ろに居るかたと工業区での決闘中に使っていましたよね?」

「アーツコンボのことかな? それが正しい呼び方なの?」

「いえ、掲示板を利用するプレイヤー間での名称です。アーツコンボ……なるほど、あなたはそう呼んでいるのですね」


 決して悪くない雰囲気で会話が進む中、痺れを切らしたカムリが一歩、前に出て問う。


「話しているところすまないが、私たちに何か用だろうか? ワールドクエスト開始まで、そう時間は無いと思うのだが」


 呼びかけに応じなかったから文句を言いに来たのか? という意味が篭ったそれを察した刀子は別段、気にした素振りも見せず、言う。


「ああ……いえ、そういう意図はありません。単純に一プレイヤーとして彼女――アリスさんに興味を持っていたところへ運良く見かけたので、少しお話をしてみたいと思った次第です。もちろん、出来ることなら肩を並べて戦ってみたかったというのもありますけどね」

「そうでしたか。無粋なことを言って申し訳ない」

「お気になさらず。共に戦えないのは残念ですが、よければそのうち手合わせしてみたいですね」


 それを聞いた瞬間、周りが想像した通り、プレゼントの入った箱でも渡された子供のようにアリスは目を輝かせた。


「いいよ! 今からやる?」


 面食らった一同は――願い出た刀子ですら――言葉に詰まる。こいつは一体何を言っているんだ――皆が一様に思った。ワールドクエストの開始まで、もう既に一〇分を切っているのだから当然だ。

 いち早く再起動したのはやはりというか、まだ短い付き合いながらアリスのどこかズレた思考に早くも慣れつつあるエンジュだ。


「もう始まるでしょうが!」

「そ、そうですね……そちらのかたの言われた通りです。開始前に消耗するのもよくないですし、次の機会に是非お願いします」

「それもそっかぁ。残念」


 これで「では早速、|戦(や)りましょう!」なんて言われでもしたらどうしようかと憂慮していたが、刀子が良識あるプレイヤーだったことにエンジュは心底、安堵した。

 お近付きの印にと、二人が急ぎフレンド登録を済ませる。


「皆さん、お騒がせしました。それではお互い頑張りましょう」

「うん、負けないよ!」


 颯爽と去っていく刀子を見送って時間を確認すれば、開始までもう三分を切っている。

 いよいよだ――アリスの期待が高まる中、ふと左を見るとサーニャの顔が少し強張っているように見受けられた。攻略組でもなく、それどころかこの手のゲームは初めてなのだから、彼女がこの大型クエストにプレッシャーを感じるのは当然だ。

 アリスがそっと、優しく、恋人同士がするように指を絡めて、サーニャの手を握った。彼女はビクッ! と反射的な反応を示すが――


「大丈夫、落ち着いて……サーニャなら出来るよ。ゴーレムだって二人だけで倒せたんだから」

「アリス……」

「それに今は皆も居るし、心配なんて要らないよ」

「そう、そうよね」


 アリスが小声で言うと、静かに握り返した。

 今、サーニャに見えている彼女の姿はデータの集合体でしかなく、そこから発せられる言葉も体温も、全てがデータ上で再現されているだけに過ぎない。けれど、そんなアリスの言葉も、手の温もりだって、彼女という人間が現実世界のどこかで確かに存在している証でもある。

 そう考えると、お互いに現実ではどこの誰か知らなくても――知らないからこそ、こういうふうに築ける人間関係もあるのだと、サーニャは今更ながら理解した。

 それを後ろから見ていた椿とマナは雰囲気で何となく察して口を噤んでいたが、エンジュだけは茶化しに入る。


「あんたらイチャイチャしちゃってさ! そういうのはもっと人目につかない場所でやんなさいよ」

「ち、ちが――私たちは別にそんなんじゃ」

「ちょ、エンジュちゃん!」

「そんなこと言わなくても……」


 ギョッとした椿とマナが咎めるも、もう遅い。

 根っからの真面目人間なサーニャは冗談を間に受けてしまい、恥ずかしさが込み上げてきて咄嗟に手を離そうとするも、そうはさせないと言わんばかりにアリスがしっかり握った。

 どうして離してくれないの!? 羞恥でより赤くなるサーニャを余所にアリスは惚気たように、言う。


「黙っててごめんね。私たち初日にPT組んでプレイしてからラブラブでさ。傍にいる時は手を繋がずにいられないんだよね」

「そ、そうなのか!?」


 静観していたカムリが食いついた。驚愕の表情を浮かべているが、彼女以上にそうなっているのがサーニャだ。混乱した思考は「私たちってそんな関係だったの!?」と有らぬ方向へ向かい始めていた。


「ぷっ――あっははは。なーんて、冗談だよ」


 したり顔のアリスがペロッと舌を出す。


「エンジュも結構、エグいパスだしてくるよね」

「そういうわりにアンタもノリノリだったじゃない」

「そ、そうよね……」

「そうだな……私としたことがつい」

「ごめんね、サーニャ。驚かせちゃったね」

「い、いえ、大丈夫よ」


 アリスが謝罪と共に手を離し、漸く冗談だったと気付いた。


「もの凄く恥ずかしかったんだから!!」

「ごめんってば」


 口ではそんなことを言いながらも、サーニャは先ほどまでの緊張がどこかへ消え去ってることを自覚した。しかしそれは彼女だけでなく、椿にマナ、カムリまでもが同様だった。他のプレイヤーほどではないにせよ、彼女らとて少なからず緊張はしていた。

 しかし見抜いていたエンジュが場のカードを利用し、サーニャの緊張に対処しているように見せつつもアリスを除く全員のそれを和らげたのだ。各々それが分かったものの、この場でわざわざ口にするのも野暮というもの。心の中で謝礼を述べるのだった。

 離された右手を一人見つめるサーニャ。そこには温もりと、一欠片の寂しさが残っていた。

 そんなことをしている間も時間は過ぎて、開始まであと十秒足らず。緊張も解れ、一同が気負い過ぎない程度に気合を入れ直す。

 そして――ついに、開始時刻の午後八時を迎えた。

 開始のアナウンスは無く、静寂が辺りを不気味なくらいに支配している。恐ろしいほどゆっくりと時間が過ぎる。

 五秒が経過する。何も起こらない。どういうことか? 参加しているプレイヤーの大部分がそう思った矢先――粛然とした空間を侵略するかの如く、ユピテル周辺に自生している木々の影から、一斉に何かが飛び出した。

 エルフだ! 一瞬、誰もがそう思った。

 それにしてはおかしい。エルフは人型で、すなわち二足歩行のはずだ。なのに今、迫り来る軍勢は四つの脚で地を駆け、猛烈な勢いで迫ってくる。

 彼らはエルフとは似ても似つかない。それもそのはずで、サヴィッジフォレスト近辺で出現するアッシュウルフなのだ。そこから遅れてフォレスト内部に居るはずのキラービー、猿がモチーフのバーバリーといったものまで居る。

 プレイヤー間にエルフが攻めてくるはずじゃないのかという疑問、そして動揺が生まれるも、考えたところで答えは出ない。今はただ、迫り来る脅威を排するのみだ。

 彼らも――そしてアリスたちも動き出す。最前線に陣取っていた彼女らはもう間もなく接敵する。

 エネミーの出現直後から動揺一つ見せず、エンジュは即座にチャージを開始していた。このゲームに職業やらクラスといった概念は存在しないが、当て嵌めるのであれば彼女は魔法使いだ。それも耐久力や敏捷さの全てを代償に、圧倒的な火力を誇る純然たる魔法使い。その上、威力に重きを置いている火属性の使い手だ。

 前方へ杖を突き出し、チャージが終了したソーサリーを解放する。


「ブレイジングカラム!!」


 一拍置いて――迫るウルフたちの足元が爆ぜ、爆音と共に高さ二十メートルにも達しようかという巨大な火柱が上がった。昨日、エンジュが習得したばかりの火属性範囲攻撃ソーサリーで、先述の火柱を指定した座標を中心として十五メートル四方に発生させる。

 出現したエネミーの数が多いだけに、適当に狙いをつけて発動させてもかなりの数を巻き込んでいる。そしてエンジュが火力特化ビルドであること、エネミーの弱点が火属性であることなどの要因も重なり、一発で十体は下らない数を撃破していた。


「昨日見せてもらったけど、実際に戦闘中に使うとまた迫力が違って見えるね」


 アリスが感心したように言う。

 それでも全体の数からすれば微々たるものでしかなく、減っているように見えないエネミーたちが迫ってくる。


「椿、二人のことよろしくね」

「任せて!」


 後衛の守りを基本とし、遊撃の役割を担う椿が胸を叩く。


「抜かれてこっちにこさせるんじゃないわよ、バカアリス」

「皆さん、頑張ってください!」


 マナから攻撃力を上昇させるマイティを受けたアリスが自信に満ちた笑みを返す。


「じゃあ行こうか――サーニャ、カムリ!」

「ちゃんと付いて行ってみせるわ」

「盾の役割、しっかりと果たしてみせようじゃないか!」


 前衛の三人が駆け出した。

 先頭を行くアリスはひたすらに心躍らせていた。

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