カレーは生き物 第三章 マナブラックホール体質 2



          * 2 *



「ここか」

 着陸した車のガルウィングが開くのと同時に、赤く染め上げられたワンピースを纏うカグヤは降り立った。

 ネオナカノの街が小さいながらもくっきりと見えるほどの距離にあるそこは、地上。

 魔導歴二九五年現在、人間のほとんどはサービスが充実した積層する街に住んでいて、地上に住んでいるのは農業従事者や街に住むことを好まない人々、それから会社の都合などでやむを得ない人くらいだった。

 カグヤが降り立ったそこは、人の手が入らなくなって一世紀以上経つ森の中にある広場。

 昼間にあってなお暗く感じるそこには、建設から相当経っているだろう、古い建物があった。

 飾り気も何もない、ブロックを積み重ねたような味気ないその建物は、過去にとある企業が使っていた研究施設だという。使われなくなり、放置されていたが、最近になってここを買い取って使う者が現れた。

 長谷川蓉子。

 簡単にはわからないよう記録は偽装されていたが、様々なところで活躍している月下人の人脈を使えば、突き止めるのはそう難しいことではなかった。

「お気をつけください、カグヤ様。相手はどんな目的で騒動を起こしたのかわかりません。もしかしたらここには罠が仕掛けられているかも知れません」

「ふんっ。わらわがスペルクリエイターとは言え、ただの人間に後れを取ると思っておるのか? それなりに準備も済ませたであろう」

「ですが、充分にお気をつけを」

「わかっておる!」

 メイド服姿で運転席から降りてきたツクヨの言葉に、カグヤは眉を顰めた。

 首長一族の血を濃く引き、ロリーナに並ぶほどの魔法力を持つカグヤは、争いになってもそう簡単に負けることはない。

 事前に服にかかった標準的な防御魔術の他に、様々な状況に対応できるよう追加の魔術も身体に付与している。

 護身術も習っていて、そこらの敵に後れを取ることはないのはわかっているはずのツクヨに注意を促されて、カグヤは鼻を鳴らして不満を訴えつつも、開きっぱなしの入り口に向かって慎重に歩を進める。

 肩に乗っているクッキーの頭を撫でてやりながら、半ば雑草に埋もれている舗装された道を歩いているときだった。

「カグヤ様! くっ……」

「ツクヨ!」

 危険を知らせるようなツクヨの声に、カグヤはブーツのヒールを鳴らしながら、大きく前に飛んだ。

 それから振り返る。

 見えたのは、地面に伏して倒れているツクヨ。

 起き上がろうとしている様子から生きているのはわかるが、彼女を攻撃した者の姿が見えない。

 背後に聞こえた革靴の足音に、咄嗟に後頭部を腕で守る。

 掛けてあるはずの防御魔術が発動せず、後頭部を守った腕に衝撃が走った。

「くっ」

 かろうじて意識を失わずに済んだが、腕の骨にヒビが入ったのが自分でもわかった。

「わらわは命ず! 鋭き巌の――」

 肩に乗っていたクッキーが飛んで逃げたのと同時に、カグヤは準備していた堅固な防御魔術ではなく、魔法の言葉を唱えた。

 けれど、間に合わなかった。

 やはり姿のなかった背後の敵。

 真横に気配を感じたときには、鳩尾に重い一撃がめり込んでいた。

「ぐっ……」

 せめて敵の姿だけでも、と思うカグヤだったが、急速に暗くなっていく視界を止めることができず、近づいてくる地面だけが見えていた。




 ツクヨとカグヤを瞬く間に倒した人影は、逃げたクッキーを探しているようだったが、諦めたらしい。

 倒れているカグヤを小脇に抱え、同じく地に伏しているツクヨを見て、考え込むような仕草をする。

 離れた茂みの影に隠れたクッキーは、その様子をじっと眺めていた。

 カグヤを抱えたままツクヨに近づいていった人影は、脚を大きく後ろに振り上げた。

 そして、蹴った。

 蹴られたツクヨの身体は浮き上がるだけでは済まず、投げられたボールのように勢いよく飛んでいき、すぐに見えなくなった。

 それを見届けた人物は、建物の中へと入っていく。

 しばらく待ち、誰も建物から出てこないことを確認したクッキーは、広場へと出ていく。

 カグヤが連れて行かれた建物と、ツクヨが飛んでいった方向とを見て、しばし首を傾げていた。

 それからひとつ頷き、クッキーはツクヨが飛ばされていった方向に、四本の脚を使って走って行く。森の中に入り、建物が小さく見えるくらい離れたところで、首につけてもらったままジュエルに魔術を読み込ませ、翼を広げて飛んだ。

 できるだけ高空まで上がって地上を見ていると、まるで大きな飛行具が墜落したような痕跡を発見した。

 道のようにえぐれた土の先に、服がぼろぼろになり、倒れているツクヨの姿があった。

 そばに降りて前足で顔を叩いたり、鼻を近づけて刺激してみるが、気を失っているツクヨは目を覚まさない。しかしほんの少し前まで意識があったのか、エーテルモニタが開かれ、メッセージの送信画面が表示されていた。

 空を仰いでひくひくと鼻を動かし、首を傾げた後、クッキーはエーテルモニタの側まで伸ばされたツクヨの手を取った。

 メッセージの送信先がすでに入力されているのを確認し、クッキーは送信すべき文面の入力を開始した。



            *



「克彦?」

「んっ……」

 聞こえてきた声に目を開けると、すぐ近くに碧い瞳があった。

 いまにも泣きそうな、僕のことを心配してくれてたらしいロリーナの顔。

「よかった……。目を覚まして、よかった……」

 僕の手を強く握り、唇を震わせてるロリーナに、僕は状況を把握できずに首を傾げることしかできなかった。

 見回すと、エジソナさんの家の中であることがわかった。

 いつもエジソナさんが寝ているソファに寝かされていて、上半身を起こすと後頭部に痛みが走った。

「キーマは?!」

 痛みで気を失う前のことを思い出し、僕は叫んだ。

 部屋の中を見回してもキーマの姿はない。

 ロリーナの顔を見ると、僕から目を逸らしていた。

 エジソナさんを見ると、暗い表情を浮かべて顔をうつむかせた。

「誰が! 誰がキーマを連れていったんだ!」

「わからないの。作業がひと段落したから呼びに行ったら、克彦だけが倒れてて……」

 悲痛な表情を浮かべてるロリーナを責めても仕方ないのはわかってるけど、僕は彼女の両肩をつかんで揺さぶってしまう。

「そうだ。追跡をすれば!」

 登録していて許可されてる人だったり、自分に所有権がある物だったら、追跡魔術を使えばいまどこにあるのかがわかる。

 人に対する追跡は住民登録をしてないキーマではできないけど、物品追跡ならキーマが着ている服はロリーナのなんだ、追跡が可能なはずだった。

「それは、無理なんだよ」

「どうして?!」

「ボクの住んでるプレートにはセキュリティがかけてあってね。うちから行き先を追跡しようとする不逞な輩を巻くために、ここから飛び立った者を追跡できないようにしてあるんだよ。本来なら誰かが入ってきたら、それが無機物であっても関知できるようになっているんだが、反応がなかった」

「――くそっ!」

 悪態を吐いてソファから立ち上がった僕は、でも後頭部に走った痛みにふらついて、また座ってしまう。

「済まない、克彦君。これはボクのミスだ。セキュリティの穴を突かれたようだ」

「……いえ。僕はたぶん、殴られました。防御魔術が発動しなかった。たぶんそう言うことができる奴だったんだと思います」

 凡人に過ぎない僕に深く頭を下げるエジソナさんを見て、少し冷静になれてそう答えた。

「でも、誰がキーマを連れて行ったんだろう」

「長谷川蓉子か、その関係者よ。たぶんね」

「なんで?」

 僕の隣に座って、立ち上がらないよう肩に手を置いてくるロリーナの言葉に、僕は問う。

「ちょっと前に話したでしょ。キーマには高い魔導エネルギーが核になってるみたいにあるって」

「うん」

「それがだね、調べてみたら予想以上だったんだよ。ボクにも並ぶ魔法力を持つロリーナが生み出したからだろうね、もう少し高ければ魔法具レベルのマナジュエルが自然に結晶化しそうなほどのエネルギーが、キーマ君の中には封入されていたんだよ」

「そんなに?」

 いま現在人間が製造できるマナジュエルは、最大のものでもカテゴリー八。

 街全体のエーテル場を安定させるためのエーテル場安定機とか、移民レベルの宇宙船くらいにしか使われないカテゴリー八クラスのマナジュエルでも、魔法少女たちが使っている最低でもカテゴリー一〇の魔法具には及ばない。

 キーマの身体に、魔法具用のマナジュエルができてしまうほどの魔導エネルギーが封入されているのが本当だとしたら、飛んでもないエネルギー量だ。

「長谷川蓉子の目的はクックリーチャーを無作為に生み出せるよう、バグを仕込んだ料理魔術を配信して混乱を引き起こすとかじゃない。たぶん、生まれたクックリーチャーを利用して何かをしようとしてるんだと思う」

「何かって?」

「それはまだ、わからないけど……」

 いまにもキーマを探すために、ここから飛び出して行きたくて震え始める僕の手を、ロリーナの手が優しく包んでくれた。

 長谷川蓉子については少し調べてみたけど、有名なスペルクリエイターというくらいしか、ネットでは情報が出てこなかった。いまどこにいて、何をしているかは、僕には調べられない。

「とにかく、キーマを探さないと」

「そうだね。それについては済まないが、君たちに任せよう。ボクの方は、自分の失態を埋めるためにも、ボクなりの方法で君たちに協力しよう」

「お願いします」

 そう言ってくれたエジソナさんに僕は頭を下げるけど、キーマを見つけなければそれも半分くらい意味がない。

 どうやってキーマの居場所を探すか考えていたとき、ポケットの中の携帯端末がメッセージの着信を告げる振動をした。

「ツクヨさんから?」

 すぐにエーテルモニタを開いてメッセージを確認してみると、差出人はツクヨさんだった。

 彼女はカグヤさんと一緒に長谷川蓉子の居所を探しているはず。もしかしたら居所がつかめたのかも知れないと思い、本文を開く。

「あれ?」

「ん?」

 開いて表示されたのは、短い文面と、座標情報のみ。

 文面にあったのは「カグヤSOS」。座標情報を新たなエーテルモニタを開いて確認してみると、ネオナカノからすぐ近くの、地上の座標だった。

 何があったのかはわからないけど、カグヤさんと、たぶんツクヨさんにも何か危険があっただろうことはわかった。

「行こう、ロリーナ」

「ん……」

 立ち上がったけど、もう頭に痛みは走らなかった。

 心配そうな表情をし、ためらいがちに立ち上がったロリーナに、僕ははっきりと言う。

「キーマは絶対、僕が助ける」

「ん。わかった。行こう」

「君たちが行ってる間に、僕は僕のできることをできる限りしておくよ」

「はいっ」

 早足に外に繋がる扉に向かった僕に、エジソナさんの声が追ってきた。

「多少の無理は仕方ないけれど、無茶をしてはいけないよ。自分のできることの限界を見極めるんだ。でないと、君の大切な人を悲しませることになるからね」

 振り返って見ると、エジソナさんはロリーナと同じような心配そうな表情を浮かべていた。

「わかりました」

 どんなことがあるのかわからないのだから約束はできないけど、僕のことを心配してくれるふたりをできるだけ安心させられるよう、強く頷いてそれに応えていた。



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