08話 女子寮1 【2/2】
「お腹いっぱいだ」
シュクは、自分自身のお腹を手でさすっていた。晩御飯に満足した顔で、ラーミアルの部屋の壁に寄りかかっている。
「普段、カロリーメ〇トとオロ〇ミンCの一食だけだったからな。ご飯をしっかりと摂取するのは悪くない」
ふー、と息を吐き出し、幸せを堪能する。
窓の外はいつの間にか暗くなっていた。何色でも吸い込む闇には、薄い白銀の息吹が注がれる。シュクは緩慢な動きで立ち上がると、窓へと足を運んだ。窓を開けると、肌を撫でる低温の空気が部屋に訪れる。風の悪戯で、シュクの黒い髪がゆらりと靡いた。
[ゲームやアニメでは考えることもないが、人間が住める星って結構あったりするのか。地球は人間が住める環境になっているが、確率的に10の4万乗分の1し、天文学的すぎるよな。そう考えると、寝て起きたら異世界にいても科学的にはありえるのだろうか]
夜空を何気なく遠望しながら、思考している。
優しい微風は少し肌寒いく、身体は小刻みに震える。静かに窓の戸を閉めると、部屋の中に向き直した。
簡易的な木造のベッドに、白いタオルケットと枕。その隣には、箪笥が置かれている。対面には、部屋の一面を覆う本棚。シュクの身長の2倍はある高さの本棚には、100冊の重厚感のある本が並ぶ。棚の横側には、寮の歴史を感じさせる木製の机と椅子が鎮座している。
箪笥と机の上の灯籠に似た灯火用具で、部屋中を照らしている。暖色により、眠気を誘われる。
シュクは本棚の前に自然と足が動く。立ち止まると、暗清色の分厚い本の背表紙に目がいく。白文字の文字列は、不思議と全て理解することはできた。
『新・魔術の入門』
『火属性の新・魔術における一歩』
『新・魔術の成り立ち』
『新・魔術の歴史』
『剣術の心得』
日本の本屋に並んでいたら、一部のマニアにしか受けないであろう。数々の本を見ていくが、本棚の上部はシュクの目線では読むのが難しかった。手の届く範囲で目を泳がせていると、ピタッと興味をそそる文字列があった。
『旧・魔術に問う』
異様に気になるタイトル。シュクは本棚から、両手で本を引き出した。
「重っ」と、口から出てしまう。重さが5kgある本は、華奢な腕では支えることが難しかった。何とか堪えると、頼りない足取りで机に向かった。
机の上に持ち上げる、軽く呼吸を整える。椅子に座り、表表紙をゆっくりと捲った。
《本書は、我々が旧・魔術の歴史から学んだ知を記す。》
堅苦しい言葉の前説が始まる。軽く流ながら、読み進める。
《旧・魔術の創造者であるンモ・ターメ氏は、一生の研究の末に辿り着く。栄光ある彼の功績は、ハピ=ミツォタキシー氏によって引き継がれる。》
「んっ?」と、間が抜けた声が口から零れ落ちる。それは、良く知る大魔道士の名だった。疑わしい目で文字を追う。
《ハピ=ミツォタキシー氏は汎用的な旧・魔術を研究し、現在に知られる基盤を作り上げた。彼無くして、旧・魔術の進化は不可能と考える。彼を知らぬ者がいない。大英雄として語り続けられているのは、ご存知のことだろう。》
シュクはいつも通り、顎に手を当てる。
[彼、ってことは他人の空似か。大魔道士の奴、他人の名前を名乗っていたのか?]
本の情報を鵜呑みにする訳ではないが、大魔導士の発言を信頼できるものもない。
小首を傾げ、内容をゆっくりと理解しながらページを読み進みる。
すると、シュクの耳元に空気の振動を感じた。
「おーい、シュクー。聞こえてますか?」
心地よい穏やかな声音。それはシュクの後方から聞こえた。
振り返ると――軽く微笑んでいる、ラーミアルの顔があった。考えに耽けている間に、背後を取られていたようだ。
「何の本を読んでいるんですか?」
「これです」
シュクは表紙を見えるように、本を閉じる。
「この本ですか。シュクは旧・魔術が使えるんですよね。何か思い出せそうですか?」
「記憶は特に戻っていないですね。ところで、ハピ=ミツォタキシーって知ってますか」
ラーミアルは名を聞くなり、「はい」と即答した。意外過ぎる問いかけに、言葉が出てこないようにも見える。ラーミアルは一拍置き、会話を再開させる。
「ハピ=ミツォタキシー様は偉大な大英雄の魔導士として有名ですよ。誰しも子供のころから、神話として語られていました」
「なるほど。その大魔導士は、男性なんめすか?」
「そうですね。伝書にはそう記されていたそうです。彼を知るのは、ごく一部の人間だけだったと聞いています」
シュクは、輪郭を指でなぞる。
[そう言えば、奴からもらった名前ってシュク=ミツォタキシーだったな]
と考え、ターコイズブルー色の瞳に目を向ける。
「ミツォタキシーってファミリーネームは、一般的なのか?」
「そうですね。ハピ=ミツォタキシー様のみに許された姓と聞いていますよ」
偽りのない目。シュクはその目を見て、思慮する。
[このネームは控えるようにしよう。これで騒動に巻き込まれるはゴメンだからな]
人形のように微動だにしない幼女を、不思議そうに眺める。首を傾げるラーミアルは、シュクを放置することにした。
[シュクがああなると、声が聞こえませんからね]
と、クスッと幸せそな表情。ラーミアルからは、喜びが零れた。
数十分が経過した。
2人は各々で本を読んでいた。すると、ラーミアルは顔を上げ、背筋を伸ばした。彼女の目には、本の世界の住人と化している幼女が映る。
ラーミアルは、「おーい」と何回か呼びかけ、シュクの意識を引っ張る。「えっ?」とシュクは首を上げた。
「ご飯はどうでしたか?」
「‥‥‥、えっ、あー。とても美美味しかったですよ。特にメインの肉は絶品」
「あれは鴨肉で、アルヴァートの名産の一つなんですよ」
シュクは「そうなんだ」という、無言の頷きをする。ラーミアルは座っているベッドから立ち上がり、問いかける。
「もう少ししたら、お風呂でも行きますか?」
静かに燈る2つの火は、不可解に揺らいだ。
「お、ふ、ろ?」
初めて聞く単語を聞き返す口調で、返答する。
「そうですよ。お風呂」
無音の外夜を思わせる、数秒の沈黙。
シュクは開いた口が塞がらなかった。
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