95、パニック

「不用意に動くな……2階から悲鳴が聞こえた。何があった?」


 無線に呼びかける。少しの間を置き、くぐもった声が返ってきた。


『今、現場に向かって……な、何だよこれ!?』

「パニクるな。見たままを話しなさい」


『しゃ、社員らしき男が今、獣みたいな何かに変わって……』

「……人獣、か」


 予想通り出てきたか……いや、おかしい。人獣? 模倣犯じゃなくて?


 模倣犯が超能に目覚めた後、人獣化するまでには時間が掛かる、その時間には個人差がある、という話だったはず。


 想定を超えた何かが、起きようとしている。面倒ね、と心の中で毒づき、エレノアはケータイを取り出して手早くヴェネに電話を掛けた。


『……エレちゃん! そっちの状況は』

「今、人獣化した人間を確認した。何が起きてる?」


『予防接種だ! そこに例の薬の成分を混入させて、人獣化を誘発させてる。超能を開花する過程がすっ飛ばされてるのは、直接投与して効き目が早まったせいだと思う』


 なるほど、となると相当数の社員にそれが投与されている可能性が高い。


『こっちには首謀者が現れて、重役達が全員人獣化した。ほぼ時間差無しに人獣化した事から、直接投与の場合は人獣化までの時間に個人差がなく、予防接種を受けた人から順に人獣化してると考えた方が妥当だと思う』


「分かった。社内での人獣はこっちが対処する。あんたはその首謀者を潰せ」

『了解。多分、医師と看護師の中に暗示を掛けられて無意識に薬を投与している人が混じってる。そっちにも、うわっ……』


 ぷつっ、つーつー。唐突に切れる通話。


 重役が全員人獣化したとなると、会議室には今人獣が10体いる事になる。なかなかに厄介な状況だろう。


 が、気にしない。そこには〝死神〟がいる。今自分がすべきは、この異変に素早く対処する事だけ。


『こちら17階! 男性社員3名が人獣化しました』

『12階も2人確認!』


『5階で人獣が女性社員を襲い軽傷! 今現在、女性を避難させつつ人獣と対峙しています。指示を!』


 無線から続々と情報が入ってくる。エレノアはケータイを仕舞い、短く思案する。


(予防接種は始まってそこまで時間が経ってない。しかも今日は男だけのはず。すでに投与されている社員は多く見積もって100人弱……それでも少し厳しいか)


 社内のあちこちで人獣化が始まった事で、にわかにパニックが起き始めている。我先にと社外に逃げ出そうとする者たちを横目に、エレノアは新人捜査官に言った。


「〝烏〟に応援を要請。スコルピオ社付近の封鎖と一般人の避難誘導、可能なら人獣の対処も。時間は限られてる、急げ」

「は、はい!」

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