ダーティ・スウィート
虹音 ゆいが
七色の闇
プロローグ
1、光に炙り出された者
夜空に浮かぶ月と星々が仄かな明かりを振りまき、薄汚れた空気のフィルター越しにぼやけて煌めく。
地上を埋め尽くすネオンや街灯、車のライトの光が、目に痛いほどに強く瞬く。
2つの光は中空でせめぎ合い、闇夜を眩いまでに照らし出していた。
「はぁっ、っぁ……!」
そんな光に満ちた闇を蠢く、影。
煌々と明かりを灯すビルが多く立ち並ぶ目抜き通り。
引っ切り無しに駆け抜ける車のヘッドライトに急かされるように、或いはテールライトに導かれるように。影は、疾走していた。
濃い人波を掻き分け、時折何かを確かめるように振り返りながら。その粗暴な振る舞いを見咎めようとする人は大勢いたが、影はそれら胡乱げな視線全てを置き去りにしていく。
「っぁ……と、とりあえず撒けた、か?」
影は程なくして足を止め、雑居ビルの陰に隠れた。大柄の男、小男、長身の男。3人だ。
彼らが纏う黒装束の長い裾がスカートの様にひらひらと宙をなびく。が、ところどころ擦り切れ、千切れ、その造形は痛々しく歪んでいた。
「油断すんな。今頃、グズ共が俺らの事をゲロってるかもしれねぇ」
「だ、大丈夫かよ……それってアジトに戻るのもやべぇかも、って事だろ!?」
「騒ぐなバカが。互いの素性を隠したままツルんでたのは、こういう時の為だろうがよ。そう簡単に足が付いてたまるか」
諭すように、しかし苛立った口調で言ったのは大柄の男だ。そこには自分に言い聞かせるような語調も見て取れた。
言いくるめられて俯く小男。唇がわななくように震え、白く凍えた息が漏れる。
「んで、どうするよ」
長身の男が独白するように問うた。
「俺達の計画はぶち壊され、グズ共が捕まった。いくら〝
「だ、だよな……ちくしょう、やっぱ無謀だったんだよ。あんなでかい店を襲うなんて」
「あぁ? てめぇ、俺の計画に文句でもあんのかこら!」
「ひっ……!」
大柄の男が小男の首元を捩じり上げ、ぼろぼろの黒装束がますます歪な造形に変わる。長身の男が溜息交じりに割って入った。
「おいやめろ。目立つだけだ」
「ちっ……見世物じゃねぇぞ! 消えろ!」
盗み見るように3人を観察する通行人数人がそそくさと逃げていく。野次馬がいなくなるのを見計らい、彼らは互いを見やった。
「まずはヤツらの追跡を完全に撒く。先の事を考えるのはその後に」
「残念。〝先〟なんてないわ」
空から舞い降りる声と、小さな影。
「ぐっぎゃぁぁぁぁぁぁぁあああ!?」
街を覆う喧騒が、小男の悲鳴に掻き消された。
次いで宙を舞う赤。影が二振りのナイフを小男の両腕から引き抜くと同時、赤色の噴水は更に勢いを増した。迸る痛みに喘いだ小男は、ぼろぼろと溢れ出した大粒の涙を掬い上げるようにうずくまる。
ほとんど反射的に、残りの2人は距離を取った。大柄の男がちらと頭上を見やる。
「ど、どこから降って来やがった!?」
「見りゃ分かるでしょ。そこのビルの屋上」
「ば、バケモンかよ……っ!」
「たかだか十数メートルでバケモノ扱いされてもね」
事も無げに言い放ち、影は長い銀糸の髪を指で梳く。
小柄な肢体に幼げな顔立ちをした、まさしく少女だった。しかしその目元には些か険があり、心底うざったそうに男達を見やっている。
「ったく、こっちは別件で忙しいのよ。大人しく死ね」
「ちっ……!」
長身の男が懐に手を突っ込み、迅速に拳銃を取り出
「うざい」
すよりも先に、男の懐に鋭く潜り込んだ少女がナイフを一閃。またも鮮血が舞った。
「うっうおおおおあああぁぁぁ!??」
男の絶叫が轟き、野次馬達が悲鳴を上げる。
拳銃を握り締めたままの拳が体から切り離され、宙を舞っていたのだ。
そして、少女は容赦しない。
「ふふ、痛い? 良かったわね、死んでない証拠よ」
笑いかけ、小さな体を振り回すようにして旋回、豪快な回し蹴りを放つ。ブーツのヒールが鳩尾に突き刺さり、男は吹き飛んでビルの壁に激突した。
ごとりと地を転がる拳。地面を濡らす血の軌跡。野次馬の悲鳴が加速度的に伝播していく。
うっさいわね、と舌打ち交じりに呟いた少女は、最後の1人に視線を投げた。
「……あら?」
けれど、大柄な男の姿は忽然と消えていた。
微かに足音が聞こえる。暗い路地裏の奥の方からだ。そちらを見やるも男の姿は見えず、ただただ真っ黒な闇だけが広がっていた。
「ちっ……逃げ足だけの分際で」
舌打ちしつつナイフにこびりついた血を払った少女は、懐から取り出したケータイを手早く操作して耳に当てた。
「……わたしよ、1人逃した。……うっさい、殺すわよ。黒装束で図体のデカい男、武器は不明。……場所? そっちで探せバカ。……だからうっさい。逃がしたら3回殺す」
言いたい事を叩き付け、すぐさま通話を切る。と、少女は気付いた。
男達とのやり取りを遠巻きに見やっていた野次馬達の視線が、先程と変わっている事に。
畏怖、恐怖の感情とは違う。それは純粋な興味、好奇心。
首を傾げた少女だったが、野次馬達の喧騒の中に入り混じっている『映画』だとか『撮影』などのワードを耳聡く拾い上げる。
「……あははっ、なるほど? 確かに〝本物〟だとは思わないわよねぇ、普通は」
嘲るように言い、未だうずくまる小男の背中に右足を乗せた。情けない悲鳴を意にも介さず抉るようにブーツで足蹴にし、二振りのナイフを両手でくるくると回す。
少女は、笑った。心底愉しそうに、口角を上げて。
「けど残念、これはただの現実。楽しい楽しい非日常へようこそ、平和ボケ共」
ネオンの光を受けたナイフの刃を、すっと滑らせる。
刹那、小男の首元がぱっくりと裂け、腕の傷とは比べ物にならない量の血が噴き出た。
「ぎゃああああああああああああああああ!!?」
断末魔の如き小男の雄叫びに、
その場から、より正しく言えば少女から、我先にと逃げ惑う野次馬達。あっという間に、辺りが閑散となった。
「ホント、平和ボケばっか」
心の底からつまらなそうに吐き捨て、小男を躊躇無く蹴り飛ばす少女。
血の海に沈んだ小男の顔面は蒼白で、今にも息絶えそうだ。少女はナイフを懐に仕舞い、その華奢な手に何やら光を纏わせた。
ネオンの光とは全く違う、柔らかで、けれどどこか排他的な光。
少女が腕を振ると、放たれた光が小男の体に纏わりつく。と同時、小男の引きつった表情が僅かばかり和らいだ。
「別に1人くらい死んでもいいけど、それはそれで後が面倒なのよね」
誰に言うでもなく呟いた少女は、ナイフの代わりに懐から取り出していた包み紙を手慣れた仕草で開けた。
包み紙の上で、薄桃色の飴玉が光を反射して輝いている。それを口の中に放り込み、一瞬だけ恍惚に似た表情を見せる。
「言っとくけど」
その言葉は、明確な鋭さを以て対象に突き刺さる。
死の間際で喘ぐ小男に。そして、どうにかして少女の目を盗んでこの場から逃げ出そうと画策している長身の男に。
「わたし、キレやすいから。気を付けてね、クズ共」
無感情に、優しさを感じさせるような冷酷さで。
男達はもはや微動だにしない。悟ったのだ。この場を切り抜ける術ではなく、生き残る術を。
からころからころ。飴玉が転がる音が、喧騒の消えた街並みに微かに響き続ける。
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