【短編】はじまりは赤煉瓦の上で(From 合同誌「赤煉瓦」)

 煤けた空気が浜風に載せられて漂ってくる。絵具からそのまま絞り出したような空色と、色が欠落したかのような純白の雲が風景の都市性を薄めている。船の汽笛がぼおおと響いて間延びした日常の延命を今日も告げ、鴎の声は自由闊達で薄汚れた空気を謳歌しているかのように聞こえる。

 僕はそうして繰り返される文明化した日常に感謝を告げながら、眼下に転がる人間の死体を見つめた。正方形の板に固められた黒曜石ではなく、大量に焼成された煉瓦が道に敷き詰められているような、帝都とは一線を画した片田舎のこの都市で起きている、ちょっとした事件だ。

 先日までの二件と同じく、遺体は無残に四肢を取り外されて五体に分けられていた。それはまるで、生きていた頃の彼を人間と見做していないのだろうかという程に極めて機械的に、あるいは解剖学的に精緻な分解で、まるでこれから食事を始めるかの如く整然と並んでいた。

 転画機を取り出して、転画紙で事件現場を撮影する。数年前に取り入れられた転画機は、当然の様に帝都の鑑識部隊が使用していた物のお下がりだが、何故だかこれが僕の手に馴染む。持ち主の癖が似ているのかもしれない。

「おい」

 班長に指で指示をされる。遺体をもっと記録しろ、とのことだ。

 遺体は前例通りと言えば前例通りで特筆する部分は存在しないというように僕は考えていたのだが、流石は部下から「鬼」と呼ばれる程の班長である、目敏く分解された残りの身体に目を付けた。

「心臓が切り取られている」

「今度は心臓ですか」

「前回は肺、その前は腎臓だったな」

「益々訳が判りませんね」

「無駄口を叩くな、撮れ」

「はい」

 この班で転画機を満足に使えるのは僕しか居なかったので、僕は常に撮影係をさせられている。そのお蔭で撮影の技術は常に向上しているのだが。

 この転画紙が、この事件の犯人に近づけるのなら、それも悪くないように思うけれど、何となく僕は、犯人はこの程度の事では捕まらないような気がしていた。

「検証は終了した。あとは捜査班に引き継ぐ。解散!」

 班長は僕から転画紙を強盗のように引っ手繰ると、高らかにそう宣言した。

 あとは帳簿類に報告を書き込めば、今日の勤務は終わるだろう。


 帝都学術院の機巧部を卒業して、帝国陸軍上級執政官の入隊試験を受けて合格した時分は、真っ赤な尖塔が印象的な帝都の執政区に入れるものとばかり考えていたのだが、実際は土地勘も何もない辺境の港湾都市の警備部、それも有事にしか活動しないような刑事課鑑識係に回された。機巧部の頃に取扱った複雑な機巧など何所にもない。操作を要求される機巧は自動車と転画機くらいだ。

 そんな平和な都市に起きた、連続殺人事件。

 四肢を取り外され、臓器を一つ(もしくは、一対)だけ持ち去った犯人を突き止めるのは困難だった。現場にある物だけでは到底犯人を特定できず、また魔術に頼ろうにも、僕以外魔術士の資格を持つ人間が皆無で、その僕も准三級という最低級の魔術士であるが故、捜査に使用できるような魔術は当然ながら使用する権限が無い。

 斯くして、事件は犠牲者が増えるばかりで行き詰っていた。


「帝都から捜査官が派遣されるらしい」

 三人目の遺体が発見された二日後、係長は唐突に朝礼で発表した。

「帝国陸軍本部、機巧魔術捜査課護民係のグリム・イグーロス捜査官。正三級魔術士の資格を有する帝都の機巧魔術捜査官だ」

 機巧魔術捜査官という単語に、その場全員がどよめいたが、僕はそれとは異なる驚きを以てこの事実を受け入れる事となった。

 グリム・イグーロス捜査官は僕の二級上の先輩であり、学術院を出て直ぐに機巧魔術捜査官に任命された程の優秀な男である。彼は学術院時代から目覚ましい成績を残し、在学中に准三級魔術士の資格を有しているほど魔術にも機巧にも長けていた。

 成績優秀というだけでなく、彼は学内でも相当な有名人で、その噂の流れぬ日はなかったと言ってもいい。

「グリム捜査官は、キース君の先輩らしいな?」

 係長は僕を睨みつけた。

「はい」

「では、捜査官の世話を頼んだ」

 どうやら、係長は中央から面倒な圧力が懸かった、とでも考えているらしく、淡々と僕にその任を押し付けた。しかし、僕と言えばグリム先輩を左程良く知っている訳でもなく、かと言って、同じ学士に師事していた事もあり全く知らないという訳でもなかったので、果たして自分にそれが務まるのだろうかと、甚だ疑問に思うしかない。


 捜査官の世話と言うのは、どうやら出迎えから食事、宿の全てに至るまでだと気付いた時には、グリム捜査官を迎える当日の朝になってからだった。

 長距離列車は気怠そうに煙を上げながら、クロー駅の停車場にその身を潜り込ませた。甲高い汽笛と共に、旧式の蒸気機関車は重量感ある減速で徐々に停止へと状態を遷移させていった。

 僕は彼が乗っているという三号車の停止予定位置までゆっくりと歩を進める。

 やがて、列車は猛烈な白煙を吐いて停止した。

 目の前に現れた紅色の扉が、引きずられるように開かれた。

 扉の先に、剛健な長身と、両腕をすぐにそれと判る位に黒々しく光る義手で補った男が現れた。彼の姿をそれと知らずに見たならば、生理的な恐怖を憶えるだろう。

「久々だな、キース・パンタレア」

「お元気でしたか、グリム先輩」

「俺は変わらない。どうだ、この通り」

 グリムは両腕を開き、軍服の裾を捲って見せた。両脚も、両腕と同じく黒々とした義足で補われている。

 幼少の頃に大規模な事故で四肢を失ってからというもの、機巧の四肢を用いているのが、彼を学術院中の有名人にした理由であった。

「少し改良を施したようですね」

 彼は四肢の改良と調整を自身で行っている。僕が最後に見た記憶で言えば、四肢全てに魔石機関を用いていなかった筈なのだが、グリム先輩の義足には、かなり高級な魔石機関が埋め込まれていることが見て取れた。

「ああ。捜査官には必要な改良だ」

 それ程高度な出力が機巧の義足に必要とも思えないが、只の飾りとは考え難い。無駄な機構を組み込むような男ではない。然し訊く訳にもいかないので、僕は口を噤んで、彼の鞄を持って当面の宿となる場所へ案内しようと、駅を出るように促した。


「君も魔術士になったんだな」

「貴方の後を追ったら、こんな事に」

「性格から見て、大方戦には向いていないと思うのだが」

「それでも、帝国の為に直接お手伝いが出来るのは、軍部しかないと思ったのです」

「だからこんな田舎に飛ばされるんだよ」

 先輩は呆れてそう言った。

 確かに、魔術士にしては好戦的でない、とは係長や試験官から良く言われている。

 人間に対して魔術を行使する権限を持つのが、魔術士という資格であるからだろう。

 けれど、僕が魔術士になったのは、機巧学の力は軍部でこそ発揮されるだろうと思い、上級執政官になる為の要件として魔術士の資格が必要だったからに他ならない。尤も、准三級であれば学科試験に合格すれば取得が可能である。左程難しい試験でもない。

「然し、魔術士の資格があるのなら丁度いい」

「何故ですか」

 話の意図が分からないまま、僕は先輩を見上げた。無表情で強面の彼からは、いかなる感情も読み取れない。

「俺はこの事件の捜査に来た訳じゃない」

「えっ」

「今回、俺がここに派遣されたのは、捜査官としてではない」

「ということは」

「執行官として、元凶を絶つためにここに来た」

 機巧魔術捜査官は俗称で〝罰つくり〟と呼ばれる。

 それは、彼らが捜査官としての権限だけではなく、執行官としての権限をも併合しているからだ。機巧魔術規正法から外れた行為を行っている人間・機巧に対して刑罰を執行することが出来るのは、捜査官の中では彼らのみである。

「待ってください、この事件は……」

「キース、この事件は既に帝都で解決している」

「というのは」

 犯人がこちらに逃げてきたという事だろうか。いや、仮にもグリム先輩を擁する機巧魔術捜査官がそんな失態を犯すわけがない。

 しかし、だとしたら――

「この都市で人を殺しているのは人間じゃない、機巧だよ」

 グリム・イグーロスは僕を見下ろして、諭すようにそう言った。


 係長と先輩に言われ、僕は先輩と同じ宿で深夜まで待機する羽目になった。

 数時間前の事だ。

 先輩は帝都での事件を係長と僕との前で語った。


 帝都でも同様に四肢を分解され臓器を取り出された遺体が多数発見されるという事件があった。その犯人は、自らの作った大量の機巧を用いて、人間の臓器を集めていた。機巧魔術捜査官達は、犯人を追い詰めたものの、その巧妙な罠に嵌り、大量の殺戮機巧に囲まれてしまい、それを制圧するのに手間取り彼を逃してしまったという顛末である。

 グリム先輩がその末席にいる程の機巧魔術捜査官達ですら手を出せなかったのだから、余程の犯罪者だろうと僕は考えたのだが、係長は少し異なる感想を抱いたようで、

「帝都の尻拭いに、我々の労力が費やされる事になったのですか」

 等という実に失礼な言葉を先輩に吹っ掛けた。

「申し訳ありません。ですので、排除にご協力戴きたいのです」

「成程、言い分は判った。しかし、どうする積もりだ? 相手がのこのこと出てくる筈がないだろう」

「そういう訳でもありません。実は、機巧が殺戮を行うにはある程度の条件があります」

 そう言って先輩は、僕を囮に使う作戦を申し出た。


「何故僕が囮なのでしょうか」

「君が魔術士だからだ。――魔術は使えるだろうな」

「勿論」

「訓練していないと使えないぞ」

「当然していますよ。最低限の訓練のみですが」

 自らの身体に内在する魔力を取り出して制御するのが魔術である。当然、魔術士という資格が帝国によって定められている以上、それを用いるのは相応の訓練が必要である。

「訓練さえしていれば十分だろう。大体は俺が片付ける」

 グリム先輩は身の丈程の長さの、細い槍を右手に持った。くるくると回している処から察するに、どうやら投槍のようである。

「自分の身を守ってくれれば、それでいい」

 グリム先輩は、正に投槍な口調でそう言った。

 その口調で思い知った。機巧魔術捜査官の執行官としての役目が、とてつもなく重いものであるという事。

 考えてみれば、かの犯罪を行ったものが人間であれ機巧であれ、常軌を逸した俊敏性と執着があるかのような精密性がなければ、あれ程見事に四肢を分解し、身体から目的の臓器のみを綺麗に取り出せない。

 その存在と対峙するという事。

 それは正に命を懸ける、という事であった。機巧魔術捜査官は、僕自身が思っていたものよりもずっと、血腥く躍動感あふれる役職なのだろう。

「さて、行くぞ」

 投槍を手にした先輩は、やはり無骨で恐ろしい存在に思えた。

 僕は魔石をぎり、と握り締めた。


 月明かりは煌々と、恨めしいほどに輝いている。

 殺戮機巧はより強い魔力を持つ存在に惹かれるそうだ。確かに、転画紙を具に観察すると、殺害された遺体の傍には魔力を制御するための魔石が転がっていた。何かの機巧の動力源なのか、身に着けていたものにあしらわれていたのか、原因はそれぞれであるが、すべての印画紙にそれは鮮明に残されていた。

 即ち、魔術士で魔石を自由に取り扱うことの出来る僕が、囮には適任であったと言える。

 果たして、先輩の仮説は正しかった。数分歩いただけで、不穏な空気を明らかに感じた。

 頭上から何かが急降下する気配がしたので、反射的に腰を落とした。ひゅん、という鋭い風切り音が至近でする。たっ、と先輩のものであろう軽い足音。僕は右手に魔力を集中させ、強化した拳を目の前に出現した敵に突出した。

 然し命中の自信があって繰り出した拳も空を切り、数歩程後ろに敵のひょろ長い影が見えた。

 如何にも軽そうな身体だ。苗木のように細い肢体は、正にその先に付属している小さな短刀を用いて人間の動脈を精密に切断する為に最適化されたものであろうことは想像がついた。

 その殺戮の下手人が一、二、三体。前に二体、後ろに一体で取り囲んでいる。

「魔力が大き過ぎたようだな」

「流石に厳しいのでは」

「ふっ、これで全てと思えば大した事はない」

 先輩は両脚をがっしりと踏みしめて不敵な笑みを返す。足元で魔石機関が、淡く緑色の光を放った。

 義足の魔石機関の意味が、漸く判った。

 影がさっとこちらの懐に入り込む。それと同時に、先輩が高く跳び上がった。

 それは正に、飛翔という言葉以外に当て嵌まるものがない位の、重力から解き放たれたような、鳥のような跳躍だった。その跳躍で敵を追い越しざまに槍を投げ放ち、敵の首に過たず命中、僕に襲い掛かろうとしていた殺戮機巧はその場で瓦解し、動きを止めた。

 速い。訓練していなかったら、きっと目にも留まらぬ早業に映ったに違いない。

 それを皮切りに、残りの二体が一斉に、動きの鈍い僕へと挟み撃ちを仕掛けてきた。二体を限界まで引き寄せて、短刀が振り翳される瞬間に側転でかわし、敵と距離を取ったところに魔力で火球を具現化させ、投げつける。それは機巧の片方に命中した。月明かりの影になっていて、どれ程の損傷になったのかは解らないが、先程迄と挙動が殆ど変らないことを考えれば、大して損傷になっていないらしかった。

 悔しいが、僕と先輩との力量の差、そして機巧魔術捜査官と一介の地方兵士の差はこんなものである。だからこそ僕は何としても生きなくてはならないのだ。先輩の名前を汚さない為にも。

 先輩は極めて軽快に殺戮機巧の残骸から槍を回収すると、襲い掛かってきたもう一体の短刀を左腕で受ける。両腕が鋼の板と精密なる機巧に覆われた彼にしか出来ない所業であろう。空いた右腕から細い槍が伸びて、機巧の首元に命中する。滑らかな外板が鋭くひしゃげ、緑色の魔力が吹き出した。僕はそこに空かさず火球を投げ込んだ。火球は魔力と反応し、爆発を起こした。機巧の頭部は吹き飛ばされ、歯車がごろごろとこちらにまで転がってきた。

「随分荒っぽい奴だな」

 先輩は僕に呆れたような眼差しを向けると、再び夜空に身を投げ出した。

 間を置かずに甲高い金属音がして、最後の機巧の腹部に槍が突き刺さるのが見えた。口にあたる部分から真っ黒な潤滑油が流れている様子はとてもそれが機巧であるとは思えない位に人間らしい。やがてゆっくりと膝を折ると、地に突っ伏した。赤煉瓦が黒々とした液体に染まり、緑色の光が洩れ、そうして薄れていった。


「――来るぞ」


 最初は言っている意味が解らなかった。

 猛烈な地響きがしたかと思うと、真っ黒に塗られた塊が、曲がり角を曲がり僕らの前に現れた。

 円錐状の巨大な掘削器のようなものが、先頭に取り付けられており、正に先程の殺戮機巧とは全く異なる造形である。蓋し、この場所に現れたという事、掘削機が上方へと持ち上がり、全体の高さが上へと伸びるにつれて、装甲の後方に隠されていた機巧の内容は、こいつこそが我々の探し求めていた親玉なのだと確信せざるを得ない程に血液のような錆臭がこびり付いていた。

 奥に緑色の光を秘める魔石機関を隠し持ちながら、それを巧妙に鋼の歯車(恐らくそうだろう、まさかこれだけの機巧を動作させるのに鉄や銅ではあるまい)で覆い隠している。

 まさに、これは。

「俺たちは、こいつ等の事を『兵機』と呼んでいる」

「『兵機』……」

「『戦機』の上位に位置する、強力な魔石機関を装備した、対人、あるいは対機用の機巧、という意味だ」

 「兵機」は、数対の車輪を一対の側帯で覆った戦用車輪機関を下部に搭載し、前面には掘削器の他に薄い鉄板が装甲として付属している。全てが黒く塗られており、月の無い夜は闇に溶ける仕様となっているのだろう。鉄板は所々に極小の扉が装備されており、恐らくそこに機関銃を仕込んでいるのだろう。兵装のみを見れば、わが軍でも使用している「戦機」とほぼ同じで、違いと言えば鉄板を薄くし走行能力を向上させている位だろうか。

 そう、ほぼ同じ兵装なのだ、異なるのは――

「一体、これは――」

「危ない!」

 刹那、緑色の閃光が目を覆う。強大な力にがっしりと掴まれ、急上昇する感覚を得た。

 視点が俯瞰に切り替わり、製錬された魔力の柱が、煉瓦の道を粉砕している。

 重力は、前方に感じた。

「呆っとするな」

 背後から先輩の声がして、漸く思考を取り戻す。

 空中に身を投げ、自在に泳ぐ先輩に抱き留められている。危うく魔力の餌食になる処を、救われたのだった。

 あの掘削器は、地中を進むためのものではなく、そもそも掘削器ではなかった。

 あれは、まさか――

「魔力、砲」

「ああ」

「一体、誰が――」

「気にするな。今はこいつから逃げる事だけを考えろ」

 先輩に抱えられて、巨大な魔力砲とその反動で粉砕され舗装前に戻った地面にゆっくりと降り立つ。先輩は厳しい表情で槍を構えた。

「申し訳ないが、余裕はない。とにかく逃げる事に集中してくれ。後は任せろ」

 そう言われたが、この強大な兵機を前にして逃げられるとも思えなかった。推進する速度は自動車の二分の三倍程度。ざっと考えただけで通常の戦機の三倍の速度で動く計算になる。だが、装甲は戦機よりは薄い。多分、逃げるより戦った方が生きられるだろう。

 僕は息を吸い込んだ。

 緑色の光が両拳に集中していく。

「おい、聞いているのか」

 声だけで先輩が驚いているのが判ったが、今更引ける筈もない。

「はい。最も生存可能性の高い策に打って出ただけです」

 そう言うと、先輩は構えていた槍を下に向けて、

「はっ……」

 と爆笑した。肩と腹が震えている。

「そういうところ、学生時代から好きだぜ」

 先輩の言葉がすべて聞き取れないうちに、微かな異音を感じ反射的に伏せた。

 僕の頭上を小さな緑色の弾が通り過ぎていった。読みは当たっていた。前面の装甲に、機関銃を隠していたのだ。ただ、撃ち出されるのは鉛玉でなく魔球だったのは予想外だが。

「がっ」

 慌てて先輩を見る。肩の繋ぎ目から紅い血液が流れているのが見えた。

「お前の所為でまともに喰らっちまっただろうが」

 先輩は嘗て私が実験に失敗してしまった時分のような皮肉な笑みを向けると、足元の魔石機関に手をかけ、装甲を抉じ開けた。肩から滴る血液が、機関の内部に侵入し、紅い滴が緑色の光に掻き消されていく。機関の光がより強くなるように思えた瞬間、地響きとともに先輩が消えた。

 跳んだ瞬間を捉えられなかった。

 前方で金属の衝突音が聞こえる。視線を向けると、先輩が鉄板に槍を突き立てて、装甲を歪曲させているところだった。

 僕は右手の魔力を具現化させて火球を作り出し、先輩に当たらないように兵機に向けて放った。火球は真っ直ぐ素早く兵機に飛び、小さな爆発を引き起こした。が、特段損傷を与えたようには見えなかった。

 訓練で出す程度の魔力では、人を殺すための機巧に勝てる筈がないのだ。

 先輩は既に視界から消え、何処かに跳んでしまっていた。姿を探すより、この兵機に相対した方が良さそうだ。

 兵機から低く唸るような声が聞こえた。魔石機関内部にある動力変換器が振動する音だろう。「彼」は魔力の配分を変動させようとしている。

 僕は両の拳に集中させていた魔力を全身に分散させた。全身に衣のように魔力を纏う。

 兵機は、けたたましい音を立てながら、変形を始めた。駆動機関が横に広がり、全高が下がった。魔力砲の先が上方にゆっくりと向けられる。

 僕はそこで初めて、視線を空中に向けた。先輩は空中で静かに兵機へ槍を向けていた。

 駆動音が高くなる。僕は広がった駆動機関に駆け寄り、右の拳に出来る限りの魔力を集中させた。集中した魔力は忽ち雷へと変化し、放った縦拳はいとも簡単に装甲を突き破り、駆動部の歯車を砕いた。兵機は帯電し、魔力砲は動きを止めた。

「馬鹿!」

 頭上から先輩の怒号が響く。強烈な一撃を批判されるのは、いくら先輩と雖も少し癪に障るな、等と呑気な思考が脳裏を過ぎった瞬間だった。

 身体の深奥から砕かれるような強烈な衝撃を感じた。全身を巨大な槌で殴られたような感覚で、身体は崩れ落ち立ち上がることはおろか指の先を動かすことすら出来ない。

 忘れていた。先程の光景では、魔力砲の前後で、舗装されていた煉瓦が完全に粉砕されていた。そして今、魔力砲は上に向けられており、僕はその真下に潜り込んだ形となる。駆動音が変化したということは、魔石機関が魔力を動力へと変換し始めたという事である。

 即ち、魔力砲には既に魔力が充満されており、僕の一撃で暴発、拡散したのだ。

 この強烈な衝撃は魔力砲の反動に依るものであり、かつ、僕自身が魔力で身体を守っていなかったことに依るものでもあったのだ。街の雰囲気を変質させるほどの威力を持つ魔力砲の反動を一身に浴びたのだから、その損傷は既に致命傷であろう。

 だが、ここで死ぬ訳にはいかなかった。僕には成すべき仕事が、まだまだ沢山ある。

 残っていた魔力を集中させて、少しずつ身体の修復を行う。まずは、出来る限り速やかに移動できるように足からだ。何故か内臓は損傷が少ないのが幸運であった。

 と、視界が急速に開けた。

 僕の身体は持ち上げられ、先輩の飛翔によって兵機から離れることが出来た。

 兵機は魔力砲が完全に使用不可能になっていたが、駆動機関と前部以外の装甲は健在で、装甲の一部が砕かれた前部からは、眩い緑の閃光を放つ巨大な魔力機関が――

「あ、あれは――」

 僕の声に、先輩は、

「そう、兵機の正体だ」

 と、頷いた。

 魔力機関の内部は液体で満たされており、魔石と、肺、腎臓、そして心臓が浮かんでいた。

「生体機関を用いて爆発的な魔力を生み出し、桁外れの駆動と高火力の魔力砲の両立を実現させた」

 それが――「兵機」であると、先輩はそう言った。

「殺戮機巧たちは、こいつの子機でしかない。人を食うことで、兵機はより強大になる」

 心臓の持ち主はかなりの魔力の持ち主のようだな、と先輩は苦笑いした。

 僕は先輩の背中から降りた。こうしている間にも身体は次々と修復されていく。修復力の高さだけは、誇ることの出来る部分だ。

「立てるか」

「もう、大丈夫です。もう少しで、また戦えるようになる筈です」

「無理はするな。俺たちは十分あいつを追い詰め――」

 そう言いながら先輩は蹲り吐血した。

「くそっ!」

 兵機は無情にも、最大速度で僕らとの距離を詰める。轢き殺す積もりだろうか。

 僕は、修復に使用していた魔力を再び右の拳に集中させた。極限まで引き寄せて、先程と同様の要領で魔力機関を殴れば、確実に動きを止めることが出来る筈だ。側帯が小石を砕いていくのを見つめ、倒れこんだ先輩を跨いで、僕はその瞬間を待った。

 だが。

 厳めしい兵機は、僕らに襲い掛かるほんの少し手前でその魔力機関を爆散させ、呆気なく停止してしまった。内部に封じられていた臓器も全てぐしゃぐしゃに潰れ、炭化して消えた。

 何が起きたのか判らなかった。一瞬だけ、緑色の細い線が見えたような気がしたが、まさかあの程度の魔力で機関が何かしらの故障を起こすとは思えないし、ましてや僕の周囲には先輩以外に人影など居ない。救援などある筈もなかった。

「……エイミー、か」

 同じように身体の修復を始めたのだろう、先輩が、ゆっくりと起きあがって呟いた。

「エイミー?」

「同僚だ。狙撃手だよ」

 先輩はそう言いながら、僕の背中の方向に手を振る。

 振り向くと、遥か向こうに、豆粒のような人影が見える。遠すぎて何をしているのかはわからなかったが、先輩には見えているらしい。彼女に微笑みを向けていたのだから。



* * *



 やはり身体の損傷が甚大であった為に、暫くの間病床に放り込まれた僕に面会を申し込んだ三人の名を聞いて、思わず聞き返さざるを得なかった。

「元気か?」

 一人は、グリム・イグーロス捜査官。同様にかなりの損傷を被っていたはずだが、先輩は入院することなく、解決した翌日に帝都へと戻ったのだ。

 まあ、先輩がお見舞いに来るのは、その治癒力の高さを除けば納得する事は出来る。

「一応初めまして、だよね?」

 その隣にいる、今にも消えてしまいそうな清廉さを身に纏う、長く整った黒髪が印象的な美女は、一体誰だろうか。

 あと、その後ろにいる、暗い紫色の髪を短く切った、額の左側から左目の上にかけて大きな傷のある壮年の女も気になる。浅黄色の帝国軍士官服に輝く銀色の徽章が准一級魔術士の証なのは知っているのだが。

「私、エイミー・ファーレンと言います。この前はすごい戦いだったね」

 少女のような涼しい声で、エイミーは僕に微笑みかけた。

「貴女が、あの――」

 「兵機」を、あの距離から撃ち殺す実力の持ち主。

 目の前の華奢な美女がそうであるとはとても思えなかった。寧ろ、後ろの女性の方が、その風格を纏っているだろう。

「そう。グリム一人じゃ心配だって、課長がそう言うから。――ねえ、課長?」

 エイミーは後ろに控えている課長に視線を移した。

「グリムさえ派遣すればよいだろうと思っていたのだが……キース・パンタレア君と言ったか、このような事態になってしまい、誠に申し訳ない。機巧魔術捜査課長として、君に危険な行為をさせてしまった事をお詫びします」

 そう言ってエリス・デアボルグ機巧魔術捜査課長は深々と頭を下げた。

「課長、そんな事で頭を下げないでください。貴女らしくない」

 先輩の言っている意味が少し解らない。

「言われてみれば、その通りだ。私がこれから、キース君にお願いする事を考えれば、この事で頭を下げている場合ではないな」

 エリス課長は、さっと頭を上げ、左手を開いてエイミーに視線を向ける。

 エイミーが何所からともなく書状を持ってきて、課長に手渡した。

「キース君、君の戦いぶりはグリムとエイミーから聞かせて貰った。魔術士として、君は我々の下で働く方がよいと、私はそう判断する」

 課長は、極めて低い知的な声でそういうと、僕に書状を手渡した。

「これに君の署名を貰いたい」

 書状は、異動辞令だった。


――下記の者を帝国陸軍本部機巧魔術捜査課護民係へ異動とする。


    キース・パンタレア 副査


        前職 帝国陸軍フルンヴ師団クロー警備部刑事課鑑識係


 既に陸軍総帥の署名が入っており、あとは承認の署名をするだけだった。

「僕が、機巧魔術捜査官に――」

「ああ、そういうことだよ」

 グリム先輩は表情を全く崩さずにそう言った。

 それは願ってもみない幸福であった。僕は機巧魔術捜査官に成る為に試験を受けたのだ。

 当然、直ぐに署名をして、課長に返した。

「これで、成立だ。異動は二日後となる。それまでに身体を休め、帝都に向かうように」

 課長は満足そうな笑みを浮かべ、去って行った。


 数日後、その笑みの意味を知ることになるのだが、それはまたいつか、別の機会に話したい。

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