第40話 思いは各々、戦いは続く(その3)




 遠く離れた上空で繰り広げられる伊澄とオルヴィウスの戦い。森の木の葉の隙間から見え隠れするそれをユカリは険しい表情で見つめていた。


「中々の腕だな、あのノイエ・ヴェルト」

「ああ。オルヴィウス隊長と互角に戦える奴がいるなんて……」

「とはいえ、隊長が負ける姿なんて想像できないけどな」


 ユカリを取り囲むオルヴィウスの部下たちも感心した様子で戦いの行方を見守っていた。だが誰一人としてオルヴィウスの勝利を疑ってはいない。それは彼らの緩んだ口元からも明らかだった。

 彼らを見るユカリの顔つきは苦々しい。それは伊澄が劣勢と見ているからではなく、自身の置かれた状況から来るものだ。

 彼女の手は後ろで縛られ、背中には魔法銃の硬い感触。逃げることを許さず、こうしてただ伊澄が戦う姿を見ているしかできない。それが悔しい。

 しかしそれ以上に、自分が良いように利用されてしまっている。その状況が腹立たしかった。

 オルヴィウスの目的は、伊澄をおびき寄せ戦うこと。それに気づかずにまんまとオルヴィウスの誘いに乗って捕まってしまった。

 もちろん英美里を助ける、という意味で学校のあの状況から逃げ出す選択肢など無かった。だが彼の目的に気づけていればもうちょっとやりようがあっただろう。なのに、かつてエレクシアにさらわれた経験が仇となったか、オルヴィウスの目的が自分自身にあると勘違いした。加えて未来が見えるというアドバンテージを過信したのもいただけない。


(……伊澄さん、スマン)


 その結果、伊澄は来たくなどなかっただろうアルヴヘイムに再び脚を踏み入れることになり、危険に瀕してしまっている。

 伊澄の実力は以前に王国から脱出する時に十分理解しているが、だからといってユカリが毎度ケンカに勝つように彼が戦いに勝つとは限らない。まして相手は強敵であるのは明白。見上げる彼女の胸に、痛恨の思いが満ちた。


(とはいえ、反省は後だ)


 夢見る少女のように、困った時、苦しい時、誰かが颯爽と駆けつけて助けてくれるのを信じたい気持ちもユカリにはある。だから、伊澄が自分を助けるためにやってきてくれたと聞いた時はとても嬉しかった。暖かいものがこみ上げ、か弱い乙女のように彼に任せてただ座して待っていたい。そんな気持ちも過った。

 しかし現実はそう甘くはないし、白馬の王子が悪党を必ず打ち倒すとはならない。絶対的な正義が勝つのではなく、信じたいものを信じさせるだけの力がある者が正義なのだ。正しさが報われることがないのは、昔の自分がよく知っている。


(何より――)


 自分がそんな可愛い女でないことはユカリ自身重々承知している。待つだけよりも自ら行動する。そうでなければ明星・ユカリ自分ではない。

 ユカリは小さく呼吸を整えて緊張を解し、視線だけを動かしてさり気なく付近の様子を探る。自身を取り巻く敵兵士は三人だけ。それと、少し離れたところにも他に数人いて周囲の警戒に当たっているようだ。


「――動くな」

「……ちっ」


 試しに少しだけ身を捩ってみたが、どうやら三人は伊澄たちの戦闘を観戦しながらも注意はしっかりとユカリに払っているらしく、即座に銃口を強く押し付けられた。

 油断を突くのは難しそうだ。それにこの人数であれば、たとえ三人から逃げられたとしてもすぐに捕まってしまうだろう。


(どうすっかな……)


 賢い頭があれば何か妙手でも思いつくのかもしれないが、自分の頭では無理。魔法が使えれば、とも思うが、手は後ろで縛られているからそれもできない。残った武器は、「ヴォイなんちゃら」とかいう、未来を見る能力だけ。だがそう都合よく――


(……?)


 一人で頭をひねっていたユカリだったが、その正面にぼんやりとした白い影のようなものが映った。何かの魔法か? と彼女は兵士たちの様子を伺うが影に注意を払うような仕草はない。

 視線を戻せば、その影のようなものはゆっくりと彼女の方に近づいてくる。それと同時に輪郭が徐々にハッキリとしていく。


「――っ! ぉ……」

「騒ぐんじゃない。大人しくじっとしてろ」


 ユカリは思わず叫びそうになり、慌てて口をつぐんだ。兵士に怒られはしたが、異変には気づかれていないらしい。その事に胸を撫で下ろしつつユカリは正面を睨んだ。

 そこにいたのは見覚えのある少女だった。金色のウェーブがかかった髪に、白いブラウスと濃紺のジャンパースカートを着ている。

 あの不思議な世界にいた少女だ。

 ここではない、夢の中のような世界にいた彼女。現実とは思えない場所にしかいなかった。だが今はうすぼやけているものの、ユカリの目の前にいる。


(どういうことだ……?)


 戸惑うユカリに向かって少女は近づいてくる。兵士たちには見えないのか、彼女に向かって警戒する素振りはない。やがて少女はユカリの眼の前に立ち、無感情な笑顔でジッと見上げた。

 そしてユカリの頬に手を伸ばし――消えた。


「……っ!?」


 ドクン、と心臓が脈打つ。脳に膨大な血液が流れ込み、瞬間的に強烈な痛みが走った。

 ユカリの体が震え、視界の中の木々が、まるで昔の3Dメガネを掛けた時みたいに幾つもの色彩に分離した。

 走る閃光。ユカリの世界が白く染められたかと思えば、また元に戻る。変わらない世界。しかしユカリの体は、まるで金縛りにあったように動かない。

 何が起こった、と緊張が走る。その時、遠く何かがきらめいたような気がした。

 降りしきる雨に濡れる木々の奥の奥の更にその奥。幾つもの障害物の遥か向こうへとユカリの視点が飛んでいく。まるでドローンのように飛んだその先にあったものを、ユカリは見つけた。

 次の瞬間、そこから何かが凄まじい速度で撃ち出された。枝葉の隙間を縫ってそれらはユカリがいる場所へ届く。正確にそれはユカリの周囲にいた三人を撃ち抜いた。

 するとユカリの体が突然動き出す。彼女の意思を無視して走り出し、そこに新たな兵士たちが立ちふさがった。

 加えて彼らとはまた違った意匠の鎧を着込んだ兵士たちが姿を現し、走るユカリの隣で魔法の激しい応酬が始まった。

 風の刃が木々を切り刻み、炎の弾丸が炸裂する。地面からは土でできた鋭く尖った槍が迫り出していく。

 そして――気づけば、彼女の腹をそれが貫いていた。次いで襲いかかった風の刃が彼女の首元を斬り裂き、足元で破裂した炎が全身を包み込む。血の塊が口からおびただしく吐き出され、やがて彼女の意識は炎に焼き尽くされていって――


「……がっ、はっ――!」


 赤く焼けた意識が戻ってきた時、気づけばユカリはその場に膝を突いていた。顔色は真っ青で、額には雨とは違う熱を持った汗がびっしりと浮かんでいる。


「はぁ、はぁ、はぁっ……!」


 呼吸は荒く、それでも何とか体に意識を向けた。

 腹から土の塊が飛び出しているわけでもなく、首から血が流れているわけでもない。苦しくはあるが痛みはどこにも無かった。視界は最初と変わらず、傍には傷一つ無い兵士たちが三人立って、突然倒れたユカリを苛立たしげな眼で見下ろしていた。


(そういう、ことかよ……)


 あの少女が見せたのはユカリがたどる未来。きっと、誰かがユカリを助けるために動いているのだろう。遠くからの狙撃はその端初。それに乗じて下手に逃げ出そうとすれば、魔法で撃ち抜かれ、炎に焼かれて死ぬ。そう言っているのだ。

 なんて結末だ。ユカリは気分の悪さに顔をしかめ、しかし小さく口端を吊り上げる。

 動けば死ぬ。しかし動かなかった場合にどうなるかは彼女は示さなかった。ユカリともフォーゼット側とも違う第三者が強襲し、戦いの果てが如何なる結果になるか。自分は助かるのか、それとも同じような未来をたどるのか。ユカリには分からない。

 しかし、そんな当たるかどうかも分からない運任せの宝くじなど、買う気などない。


「何をしてる。さっさと立て」

「……ちっ」


 強引に立たせられたユカリだったが、大儀そうに息を吐き出すとそのまま二、三歩下がり木の幹に体を預けた。


「勝手に動くな。痛い目を見たくないだろう?」

「そう思うんならタオルの一つでも渡す気遣いでも覚えろよ。いつまでも雨に打たせやがって。女の体は繊細なんだよ。気遣いできねぇ男はモテねぇぞ?」

「ちっ、減らず口を……」


 青い顔のまま、気だるそうに左脚の裏を木に押し付けて休めながら吐き捨てる。彼女の物言いに兵士は顔をしかめながらも、さすがに雨に打たせ続けるのは酷だと思ったか、舌打ちをしたきり何も言わなかった。

 その様子を確認するとユカリはもう一度息を吸って呼吸を整え、遠くを見遣る。見つめる先は、あのきらめいた光の先。そこをジッと見続けた。


「おっ!」


 その時、兵士たちの方から歓声が上がった。ユカリもつられてそちらを見上げれば、伊澄の機体が大きく傾き、落下を始めていた。すぐに伊澄機は体勢を立て直し、オルヴィウスとまたぶつかり合いを始めるが、伊澄機の動きはユカリの眼から見ても悪く、明らかに劣勢になっていた。


「こりゃ決まったな」


 自らの上司の勝ちを確信し、顔を見合って笑う。そこに油断を感じ取ったユカリは即座に視線を元に戻し、口の動きだけで「今だ!」と伝えた。

 その瞬間、一発の弾丸が兵士を貫いた。

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