第24話 おかえりなさい(その7)
「……どうしてそう思うんだい?」
それを見たルシュカもいっそう楽しそうに笑みを浮かべながら続きを促す。伊澄は息を吸って、あたかも自分の妄想が真実であるかのように話し始めた。
「簡単な話です。彼女を取り戻したいのは僕だけじゃないってことですよ。
ユカリには不思議な力がある。だからシルヴェリア王国も以前に彼女に協力を求め、そしてルシュカさんたちも彼女の救出を依頼された。
シルヴェリアという国が動いたんです。なら救助側もそれに相当する依頼主であるはずだ。国に対抗しうるのは何処か。答えは一つ。そう考えると、今回もそう遠くない将来に同じ様な依頼が来るはずですよ――国からね」
「……前が何処から依頼されたかってのは伏せさせてもらうけど、今回もそうとも限らないよ? 前回の時にだいぶ搾り取らせてもらったからね。何度も助けに行くのは割に合わない。そう判断するかもね」
「それはないでしょうね。彼女の力は――国の未来を左右しうるものです。上手く使えば億なんて目じゃないくらいに利益が得られるし逆に彼女が失われた場合の遺失利益を考えればどうでしょう? ちょっと救出のために数億出すくらい安いものだと思いませんか?
どうせ遠からず依頼がくる。なら彼女が無事である可能性が高いうちに助け出しておいて、利益を確定させておいた方がバルダーとしても交渉しやすいんじゃないですか? 救出が遅れると、国――失礼、依頼主のご希望に沿った形では依頼を達成できないかもしれませんよ?」
平静を装ってルシュカと相対していた伊澄だが、その背は冷や汗でびっしょりだった。
もし国が前回も依頼したならば、何よりあのエレクシアが欲したのならば相当にゲームチェンジングな能力の可能性がある。
だが彼はユカリの力が何なのか正確には知らない。だから伊澄は賭けた。億なんて金額がはした金に思えるくらいに重要なのだという可能性に賭けて、ルシュカにジョーカーを切ったのだった。
もっとも、それは
「ふぅん……なるほどねぇ。伊澄くんが考えたにしちゃぁ面白い話だ」
「最後のは一言余計です」
「いーやいや、褒めてるんだよぉ? 伊澄くんはこういう話は苦手だと思ってたからね」
「僕のことはいい。それで、どうなんです?」
ルシュカは灰色の自身の髪先を手で弄り始めた。だがそれもすぐに終わり、「悪くない話だね」と再び頬杖をついた。
「確かに君の言うことに一理ある。契約後に経費がかさんでしまって赤字になっても追加費用を要求するには、胃にかかるストレスは馬鹿にならないものだものねぇ」
「どの口でストレスだなんて口にしてるんですか?」
「こう見えてもストレスと日々全力で格闘してるんだよぉ?
しかし、やっぱり君はカマかけは下手くそだねぇ。どうせ伊澄くんは、どうして依頼主――ああ、もういいや――国が彼女を保護しようとするのか知らないんでしょぉ?」
「……」
「その顔は図星だね。もぉうちょっと腹芸が上手かったらサマになったのにね」
ルシュカに看破され、伊澄は苦虫を噛み潰した。だが、続けて彼女が口にした言葉にその表情が緩んだ。
「まあでも、うん、もう一度言うけど悪くない話だ。君の言うとおり、うまくすれば報酬以上のものを得られるかもしれないからねぇ」
「なら……!」
「でもまだ足りないかな? 先行投資するには少ぉし額も大きいからねぇ」
笑顔で伊澄の瞳を覗き込んでくる。その顔には「他に何を示せるか?」と書いてあった。
「なら……」
悩むまでもない。答えはすぐに出た。
金もない自分。だから差し出せるものなんて一つしかない。
「……彼女を助けてくれたら――もう一度バルダーに入隊します。会社も辞めます。ノイエ・ヴェルト隊はいつだって人手不足のはずです。せいぜい僕をこき使ってください」
「お、そりゃあいいねぇ。それも悪くなぁい提案だ。君が辞めて以降、マリアにも散々嫌味を言われてたからさぁ」
食いついてきたルシュカを見て伊澄は胸を撫で下ろした。
自分から言いだしておきながらも、正直思うところはある。危険な場所に身を晒し続けることになるし、もはや一般人にも戻れなくなる。
だが同時に最新のノイエ・ヴェルトにも触れられる。世の中の世代遅れノイエ・ヴェルトではもう伊澄の欲を満たすことはできなかったし、会社での立場も将来どうなることか解らない。良い提案をくれた鈴宮には申し訳ないが、そう思う。
やはり、自分はここからは離れられないのだと。
そこに安堵を覚えたことに驚きながら表情を緩める。息を吐き出して溢れた汗を伊澄は拭う。だが、ジッと彼を見つめているルシュカに気づいて顔を上げた。
「あの、何か?」
「伊澄くんさぁ……ユカリのこと、好きなのかい?」
「……?」
言っている意味が唐突故に伊澄は理解できず、「は?」と首を傾げた。
「……な、ななななななななんんあああああっ!!」
だがその意味をすぐに理解し、顔を真赤にして部屋の隅まで一気に下がった。
「ち、ちちち違いますよっ!」
「そうなのかい?」
「そうですよっ! そりゃ、まあ、いい娘だとは思いますけど……でもそんな恋愛的な感情はないですっ」
「ふぅ~ん、そう」
ドワーフ三人組の時には聞き流しきったものの、まさかルシュカからそんな質問がくるとは思わず動揺してしまったが、伊澄の返事は彼にとって間違いなく真実だ。
彼女の事は嫌いではないし、好きか嫌いで分けるならもちろん好きに分類される。だが恋人関係など想像したこともない。
やや間ができて落ち着きを取り戻し、ルシュカからのさらなる追求に備えて身構える。しかし彼女からはからかいの言葉は飛んでこず、頬杖をついたまま不思議そうな顔をして伊澄を観察していた。
「いやね、わからないんだよねぇ」
「何がですか」
「どうして伊澄くんがそこまで彼女のために骨を折れるのかってことが、だよ」
「そんなの……当たり前じゃないですか。だって女の子が誘拐されてるんですよ?」
「それが当たり前じゃないから言ってるんだよ?
考えてみてご覧よ? ユカリとは恋人でもなければ家族でもない。そりゃあ多少の
「それは……」
「さっきだって五百万くらいなら自分で払おうとしたでしょう? 君が今提示した条件だって、言い換えれば君の人生を私に売り渡そうとしてるわけだよ。だぁから家族でも恋人でもない君がどうしてそこまでできるのか、それが不思議で不思議でたまらなくてねぇ」
そう言われて伊澄もはた、と冷静になった。
自分がここまで彼女を助けようとする理由。改めて考えてみても、伊澄自身もよく分からなかった。ユカリでなかったらきっと、ここまで必死になることはないだろう。ソフィアなら同じようにするかもしれないが、仮に自分の家族がユカリの様な立場に陥ったとしても本気でなんとかしようという気にはならない。そんな気がする。
それくらい伊澄は他の人間への関心が薄かった。ただ周りが望む「人間らしさ」「家族像」の歯車として演じているだけ。本音では、明日世界が滅びます、と言われてもそれはそれで構わないと思っている人間だ。
なのに、何故――?
(……頼りにしてるぜ)
シルヴェリア王国の森でクライヴと対峙した時、ユカリが言ってくれた言葉が伊澄の中で蘇る。
たった、たった一言。生きるか死ぬか、捕まるか逃げ出せるかという瀬戸際で伊澄に与えてくれた。そんな状況だからこそ彼女は本気で伊澄に頼ってくれた。
文字にしてしまえば、だいそれた言葉ではない。しかし伊澄という
そこに共感も理解も要らない。
だから、伊澄はルシュカの問いに言い放った。
「そんなの決まってますよ。
――
「……――」
「……」
「……く」
「……?」
「くく、くくくく、あーっはっはっはっ!!」
部屋に響く笑い声。答えを聞いたルシュカは最初こそ言葉を失っていたが、次第に顔が歪み、今は腹と顔を押さえて心底堪えきれないといった様子で笑い声を上げ続けた。
突然笑いだした彼女に伊澄は無言で発作が収まるのをただ待つ。やがてルシュカは尚も笑いながらも滲んだ涙を指先で拭い、大きく酸素を取り込んでいった。
「……ひ、ひっひひ、ひー……あー、笑った笑った」
「そんな笑うような答えでした……?」
「ああ、いや、ごめ、く、くく、別に伊澄くんの答えを笑ったわけじゃぁなくってね。あまりにもバカな事を聞いた自分の間抜けさがくだらなくて笑えたのさ。
うん、全くもってそりゃそうだ。君がやりたいからする。それ以上の理由なんて意味がないし必要ないね」
「……よく分かりませんけど、納得いただけたんなら良かったです。それで――」
「ああ、うん。君の依頼の件だね。君が戻ってきてくれるってのは良い提案だけどさぁ――まだ足りないなぁ」
「っ、……そう、ですか」
ルシュカの返答に伊澄はがっくりとうなだれた。だが、後少しだ。後、少し、何か差し出せるものがあれば。
何とか案をひねり出そうと唇を噛みしめる伊澄に、しかしルシュカは椅子から立ち上がって彼の横を通り過ぎていく。
そしてそのすれ違いざま――
「だけど――伊澄くんが私の個人的な趣味に付き合ってくれるっていうなら、君の依頼も承ろうじゃぁあないか」
「え?」
「どうだい? それならすぐにでもアルヴヘイムに向かう準備を進めるけども」
振り向いた伊澄の瞳に映るのは、いたずらっぽく、まるで悪巧みをする子供のように、もしくは純粋な子供をそそのかす蛇のように、メガネの奥で眼を笑わせているいつもどおりのルシュカがいた。
彼女の気まぐれか。何にせよ、このタイミングを逃す意味はない。
「やります……! だから――お願いします!!」
「おーけーおーけー。交渉せぇいりつだね。なら早速手伝ってもらうからついておいで。
なぁに、心配しなくたってそんな難しいことじゃあないから。君にとっては、ね」
伊澄に向かってウインクしながら部屋を出ていく。
一体何をさせられるのか。「個人的な趣味」の中身を聞かずにうなずいてしまったことに若干の不安を覚えながら、それでも伊澄はルシュカの後を追いかけたのだった。
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