第19話 模擬戦(その6)
こんな大きな生き物がいるのか。ここアルヴヘイムがニヴィールと似た世界だと伊澄はずっと思っていたが、今はもう撤回したくて仕方なかった。
全高十メートル弱のノイエ・ヴェルトが見上げる巨躯。すぐ目の前で風に揺れる体毛は太く、まるで一本一本が伊澄の指先ほどの太さがありそうな気がしてくる。
四つん這いの脚にはそれぞれ鋭い爪が生えている。どす黒くて見るからに頑丈そうな爪だ。もし生身であんなものに触れたら、きっと爪先で突っつかれただけでミンチになってしまう。ノイエ・ヴェルトであっても果たして無事でいられるかどうか。
眼の前の生物――と言って良いか伊澄に自信はないが――の正体はおおよそ分かった。モンスターの前面しか見てないが、これは――モグラだ。たぶんそれがニヴィールの生物に近いと伊澄は思った。
もっとも、ニヴィールにこんなキングサイズのモグラなど居るはずもないが。
「いられても困るけどっ……!」
モグラもどきが大きく前足を振り上げたのを見て、伊澄は機体を後ろに跳躍させた。やや遅れて巨大な鉤爪が伊澄機が居た場所を強かに叩き潰し、伊澄が作り上げたクレーターの隣に小さなクレータを新たに作り上げた。
「随分とおかんむりなようでぇっ!」
敵モグラは両前足を繰り返し振り上げ、ノイエ・ヴェルトを叩き潰そうとしてくる。その度に木々は根本から抉り取られ、森林が平原へと変わっていく。
「僕が知るモグラって、もうちょっと愛嬌があるもんだと思ったんですけどねぇっ!」
このモグラもどきも愛嬌がないわけではない。大きな頭に乗っかるつぶらな瞳。さぞ会社でフロアスタッフしているおばちゃんたちに「ぶさかわいい」とかいう謎の評価をもらいそうだと伊澄は思う。人間など一飲みしてしまうくらいにでかくなければ。
「モグラにモグラ叩きされてる経験なんて、きっと僕が最初だろうねぇ!」
伊澄は動物好きだ。爬虫類から哺乳類まで幅広く愛せると自負している。故に叩かれてもピコピコと可愛らしい音が出るだけであれば伊澄とてモグラに叩かれるのも吝かではない。だが悲しいかな、このモグラに叩かれた場合に出てくるのはピコピコ音などではなく血と脳髄だろう。横に殴られればゴルフ宜しく頭が飛んでホールインワンだろうか。となれば、一ポイントたりともやるわけにはいかなかった。
「っ、やっぱりこうして見るとバカでかい……」
モグラの届かないくらい高くまで一度跳ぶと、その全容がハッキリする。高さはノイエ・ヴェルトとそう変わらないくらいだが、それはあくまで四つん這いでの高さだけである。頭から尻尾までの長さを考えると、その容積はノイエ・ヴェルトの十倍近くあるかもしれない。
生物であるとするなら体重の半分以上は水分が占めているだろう。それを考慮しても重量はノイエ・ヴェルトの数倍はありそうだ。いくらこのノイエ・ヴェルト『スフィーリア』が高性能だといっても力比べは無謀すぎる。
「ならっ!」
伊澄は機体をモンスターの背後に回り込ませてソードを叩きつけた。刃はモグラの背に食い込み、しかし思い切り叩き込んだにもかかわらず刃は表皮を傷つけただけで止まり、鈍い感触が返ってくる。
「っ……! 硬かったいなぁっ!」
「■■■、■■■■――」
「のわっ!?」
人間と同じ赤い血が噴き出し、低い唸り声――もしくは悲鳴かもしれない――を上げ、鋭い爪が伊澄機を襲う。爪先が伊澄機の頭部のすぐ脇を通り抜け、妖精と五感を共有している伊澄には本当に自身の耳元を攻撃が通過しているようで、まるで生きた心地がしない。
「けど……なんとかやれる……!」
その体躯の巨大さに比べればこのモグラは敏捷と言える。しかし伊澄機を捉える程の素早さはなく、常に死角を取ることは難しくない。
殴られた痛みによる怒りのせいか、モグラがブンブンと短い腕を振り回し、伊澄はそれを最新の注意を払いながら避け、場所を変えながら何度かソードを叩きつける。しかしどこも肉質は硬く、単なる斬撃では到底致命傷を与えられそうになかった。
「……もしかしてこの剣も何か仕掛けがあったりする?」
この世界でのノイエ・ヴェルト乗りは基本的に魔法を使えるという話だ。だからこの剣もそれに応じて特殊な仕掛けが施してあるのかもしれない。もっとも、だからといって今の伊澄には使えそうもない。
「
何とかする手段はある。刃が立たない程硬いのであれば、刃が通る程に柔らかいところを突けばいい。
そして得てしてそういったところは、突かれれば致命傷となる場所だ。
「真正面から向き合うのは正直怖いけど――……ん?」
近くを飛び回る伊澄機を鬱陶しそうに追い払っていたモグラもどきだったが、不意にその行動が変わった。
愛嬌のある見かけに似合わない低い唸り声を上げて伊澄を威嚇していたが、伊澄機が少し距離を置くとその視線を伊澄機から外し、地面へと向ける。そして短い前足を巧みに使って猛烈な勢いで地面を掘り始めた。
「逃げるつもりかよっ!」
地中深くまで潜られてしまえば後を追うのは難しくなる。伊澄は即座に駆けて斬りつける。多少なりともダメージはあるはずだが、モグラは動ぜずに穴掘りを止めない。
ならば、と伊澄は正面に向かいその顔面目掛けてソードを振り下ろそうとした。するとさすがに邪魔なのか即座に穴掘りを止めて伊澄機を追い払おうとする。しかし伊澄が距離をおけばすぐにまた穴掘りを再開し、瞬く間に顔が入るくらいには地面を掘り進めてしまった。
「っ、まだ来られませんか!?」
『まもなく出撃準備完了! そちらに到着までおよそ一分です! それまで持ちこたえてくださいっ!』
堪らず伊澄は仲間の到着を求めて叫ぶが、管制オペレータから返ってきたのは事実上間に合わないという宣告だ。
このモグラがこのまま何処か遠くへ逃げてくれるのなら構わない。しかし地中から王城を攻撃されでもしたらどうなるか分からない。
ならば、まだ潜りきっていない今の内に叩くしかない。
「『倒しても構わん』って冗談のつもりだったのにさっ!」
まさか本当に倒さないといけないハメになるなんて。伊澄は自身の不運に頭をガリガリとかきむしり、機体を再び上空へ踊らせた。
魔法銃の最後の一発を装弾し、銃口をモンスターへと向ける。
「いいさ、こうなったらヤケだ。やってみせるさ……!」
照準器が音を奏で、今度はオートロックオンによって即座に照準が定まった。モンスターは不穏な空気を察したか、穴を掘ることを止めて伊澄機を見上げた。
「その毛むくじゃらのマヌケ面をすっきりさせてやるってのっ!」
モグラもどきは両前足を一度掲げ、地面に叩きつけた。それと同時に伊澄は引き金を引いた。
再度迸る閃光。一方でモグラが叩きつけた土砂が舞い上がり両者の間に壁を作りあげた。伊澄が放った魔法弾はそれらを全て飲み込んでいく。
夕陽の中に一層まばゆい光の筋が作り上げられていく。白い筋は瞬く間に赤く染まり、着弾地点から巨大な爆炎を作り上げた。
煙と土埃が舞い上がる。辺り一面が白一色に染まる。やがてその中から顔の半分が焼け焦げたモンスターが荒い息を吐き出しながら現れた。
直撃を受け、ダメージは重篤。しかしまだ倒すには至っていない。なけなしの弾丸であっても、一撃では敵を倒すには不十分だった。
だがそんなこと、予測済みだ。
「■■■■――っ」
モンスターが雄叫びを上げる。苦痛におののき、怒り、痛みに暴れ回る。痛撃を与えた愚か者を切り刻もうと闇雲にその爪を振り回した。
だがそれらは全て空を切り、モンスターを覆い隠していた土埃を払い除けていく。
そこに吹く一陣の風。木々を揺らしたそれは土埃のカーテンを押し開けた。
夕陽が差し込み、光が反射する。奥から現れたのは―― 白銀のノイエ・ヴェルトだった。
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!」
伊澄はソードを強く握りしめて機体を急降下させた。ペダルを目一杯に踏み込み、全身に掛かるGによってシートに押し付けられながらもただモンスターの一点のみを睨みつけた。
狙うはその眼。たとえ全身が硬かろうともそこは鍛えようもない。
「これで、おわりだぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
両手のレバーを全力で前へ押し出す。後のことはどうでもいい。全てをこの一撃に賭ける――
気迫の乗った
重力と推進剤で得た運動量が全力で注がれ、根本まで差し込まれていく。ずぶりとした生々しい感触がノイエ・ヴェルト越しに伝わったような気がした。
「■■■……」
「ど、わぁぁぁっっ!?」
激突の衝撃に、大きく口が開かれグラリとモンスターの巨体が後ろに傾ぐ。同時にノイエ・ヴェルトもまた大きく弧を描いて後方へと振り回され伊澄は悲鳴を上げた。そしてその勢いのままソードから手がすっぽ抜け、宙に放り出されていった。
「し、姿勢制御……ってバーニア残量なしっ!?」
なけなしのバーニアも使い切ったため、空中での姿勢制御もままならない。手足を無様にばたつかせてなんとか頭上からの落下は避けたものの、機体は強かに地面に打ち付けられ、木々をなぎ倒しながら滑っていく。やがて木と土砂に埋もれながらノイエ・ヴェルトは止まった。
「いたたた……ってこうしてる場合じゃないっ!」
激しく揺られてガンガンと痛む頭を振り、のしかかっている木々を押しのけながら機体を立ち上がらせる。そこかしこから明らかにおかしい異常な駆動音がし、モニターには大量の警告が表示されるも構っていられない。
正面モニターに映るモンスターの姿。伊澄は拡大して確かめる。
果たして、モンスターは大の字に倒れていた。茶色の体毛とは裏腹に白くなっている腹を赤い空に晒し、ソードが突き刺さった眼からは赤い体液。モグラが動く様子はない。
つまり。
「……か、勝ったぁ……」
巨大な置物と化したモンスター。それを確認すると伊澄は一気に脱力し、口から情けない声が漏れた。同時に、まるで見計らったようにノイエ・ヴェルトのバッテリーも切れてガクリと膝を突く。
F-LINKによる妖精との繋がりも途絶え、全周囲モニターは正面モニターを残して全て消えた。伊澄を包んでいた高揚感も戦いが終結したと分かると途端に消えさり、代わって生身の体を濃い疲労感が満たしていく。
「今更だけど……」伊澄はため息と共にモンスターを見上げた。「こんな化物相手にしてたなんて、僕は馬鹿じゃなかろうか?」
普段は
「これも……ノイエ・ヴェルトの力なのかな?」
憧れたノイエ・ヴェルト。もうとっくに諦めていたはずなのに、こうして違う世界で乗ることができている。
そして――誰かを、救うことができた。やり遂げることができた。誰かの期待に応えることができた。期待以上のことができた。
「やれば……できんじゃんか、僕」
シートに体を預け、伊澄は拳を握りしめた。固く、固く握りしめたそれをジッと見つめ、それを笑顔とともにコクピットの中で一人、高々と掲げたのだった。
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