三
「秘密結社ヘリオスって、知ってるか。
「どうしたんです。いきなり」
「いいから。答えろ」
「聞いたことはありますよ。世界を裏から支配する闇の巨大組織だとか。でも、そんなのよくある陰謀説でしょ。まさか先輩、あんな根も葉もないデマを信じてるんですかあ? きゃはは。うける」
ベッドの上で一糸纏わぬ姿となった煌梨が、村正を嘲るように笑った。
対して村正は、真剣な面持ちで煌梨の眼を見た。ただならぬ気配を感じたのか、煌梨の顔から次第に笑みが消えていく。
「俺はヘリオスのエージェントだ」
厳密にいうと少し違うのだが、ややこしいので村正はそう名乗った。煌梨の顔から次第に血の気が引いていくのがわかった。
「まじで言ってるんですか」
「ああそうだよ。極秘事項だが、お前だから明かしたんだ」
「それってどういう意味――」
「実はお前に、おいしい
村正の口角が、釣りあがった。
「なあ煌梨。俺は昔からお前のことを買ってたんだよ。利に聡くて、度胸もある。こんなところで三流国家の議員の情婦なんざやって終わる器じゃねえ。もっと大きな野望を持て。俺とお前が組めば、世界を裏から動かすこともできるんだ」
村正の次の言葉が読めたのか、煌梨は血相を変えて言った。
「何。まさか、やばいことに巻きこむつもりじゃないだろうね。私を利用して、
「殺せとは言わねえ。ちょっとヤツの酒にこいつを仕込んでくれりゃ、それでいい」
村正はポケットの中から硝子の小瓶に封入された薬のカプセルを取り出した。煌梨の顔が強張った。
先日山小屋で白金機関の刺客に襲撃され、返り討ちにした際、村正は〈ある物〉を、戦利品として頂戴した。白金機関のエージェントには他の諜報組織にありがちな機密保持のための降伏禁止令、すなわち「敵に捕まり拷問された際にすみやかに自害し、組織の情報を死守する」といった義務はない。それを視野狭窄に陥った白金ヒヅルの信者は〈偉大なる太陽〉の優しさと勘違いしており、エージェントたちの忠誠心や結束力を高めていると盲信しているようだが、実際は〈希望者〉にのみ奥歯に自殺用の毒を仕込ませている。拷問に耐えるのは、生半可なことじゃない。どんなに屈強な精神を持っていても、
機関のエージェントが自殺用の毒としてよく選ぶのは、ポロニウムという放射性物質だ。十ナノグラム以下の極少量で人を死に至らしめ、かつ半減期が短く検出困難という恐るべき性質を持ち、主にごく一部の組織で暗殺に使われている。もともと旧ソ連の核閉鎖都市で開発された軍用化学兵器だったが、白金機関が研究者を破格の待遇で日本へ亡命させ、〈兵器開発局〉の秘密地下研究所で製造させている。このことを知っているのは、村正含めごく一部の暗部の人間だけであった。
そう、村正は返り討ちにした刺客が奥歯に仕込んでいたポロニウムを、こっそり持ち帰っていたのだ。
「たったそれだけのことで、お前は億単位の莫大な報酬を受け取って、秘密結社ヘリオスのメンバーにもなれる。ヘリオスはすげえぞ。日本どころか世界中に支部を持つ、最強の闇組織だ。メンバーには世界に名だたる権力者がごろごろいる。お前もその仲間入りだ。こんなところで脂ぎった親父の情婦をする生活なんざやめて、俺といっしょに来い」
煌梨の欲望を最大限刺激するように、村正は熱意をこめて口説いた。
だが煌梨の答えは、村正の期待に反するものであった。
「あんたはいかれてる」煌梨は嫌悪感を露わにし、差し出された村正の手をぺしとはたいた。
「びびってんのか。大丈夫だ。絶対にばれないようにうまく〈処理〉してやるから、安心しろ」
「帰って。もう二度と、ここに来ないで」
煌梨はそそくさとベッドから飛び出し、村正に服を投げつけた。
「じゃあ、死ね」
ばす。
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