わはは

 最近、考えていること。


 例えば、文章を読んでいて、思わぬ一文にふいに笑ってしまったとしたら、もうその時にはファンになってたりしませんか?

 逆に、気に食わない人の文章をつきあいで読まざるを得ない状況で(今とか)、絶対に笑わないでおいてやろうという姿勢で挑んだりしませんか?

 つまり、何が言いたいかと言うと、つーことはですよ、ということはですよ。笑わせれば勝利なんじゃないかということです。


「笑い=ファン獲得」説です。


 笑いとは「緊張の緩和」、とか言いますけどちょっと難しくてわからないです。

 パートナーに求めるポイントとして「笑いのツボが合う人」とか言いますけど、何なんでしょう。ツボ。


 せっかく、ファンができる過程が(説ではありますが)わかったのに、肝心のやり方、すなわち、笑いの取り方がわからず、途方に暮れてしまうんですが、ただ、一つ、思いつく道筋、考え方のプロセス、アイデアがあって、それは、何かと申しますと、率直に、ずばり、言います。これです。

 笑いにはレベルがあるなぁ、ということです。


 テレビで古いコント番組が懐かしく放送されていることがあります。つい見てしまうんですが、大抵、面白くないんですよね。

 あるいは、昭和に流行った持ちギャグを令和のおじさんが披露して、爆笑どころか拍手を頂いてしまうなんてシーンもあります。


 これというのは、実は、受け取る側の笑いのレベルが更新されている証拠ではないでしょうか。


 赤ちゃんがよく笑ったり、小学生が単純な下ネタで笑うのもそのためで、笑いの耐性がまだまだ弱いためだと考えられます。


 そこまでわかれば、私たちがとれる手立てはおのずと絞られてきて、ずばり、それが、何かと申しますと、皆さんの頭の中にも、そう、浮かんでいる、そうそう。それです。もうすぐ言います。これです。


「より強力な笑いに触れ、より強固な耐性を作りあげて、さらに自らも発信していく」ことです。


 残念ながら皆さんもご存じの通り、世の中には、笑いで「先を行くもの」と「後れを取るもの」が存在しています。

 私たちは、はたして自分が全体のどのあたりに位置しているのか、正確には知りようがありません。

 たとえ一部で「あなたウケる」と言われていようとも、その先を行くものが広い世界にはきっといます。

 であれば、先を行くものと出会ったときに、その強力なセンスに触れ、自分のレベルを上げない手はないのではないでしょうか。


 笑いでひしめく世界に、改めて小説を書こうとしているんだなと思うとプレッシャーしかありません。

 世界のどこかに存在しているユニークレベルの極めて高い、笑いのトップランナーは、並大抵のボケではビクともしないのでしょう。(それはそれでつまんなそう!)

 いつか、そういう人たちを文章でクスッとさせて、味方に付けられれば楽しいだろうなと思います。

 もし、笑ったのが、文学賞の選考委員だったとしたら……

 と思うと、わくわくしてきませんか?


 小説を書きながら、この頃、念頭に置いている「笑い」について考えていることでした。

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