1. あたしが一番の読者なんだから
カーテンの隙間から白っぽいオレンジ色の光が漏れて来ている。光は隙間にかかるレースの模様を部屋の壁に映している。あたしの好きな
傍に眠る男の頬に軽く触れてみる。細くて短い今の私の手では頬の一部しか覆えない。愛おしい気持ちと、そろそろ我慢も限界になりつつある空腹に耐えられず夜具越しに抱きついた。そろそろ彼のREM睡眠が覚醒に移ろうかというころ。このころが一番美味しいんだよ。あたしは、意識を集中して彼の夢に忍び込む。触れた肌から彼の精を取り込む、代わりに本能の奥底の欲望をゆるゆると刺激する。覚醒前の神経活動のせいだけでなく躰が猛り、彼の顔を快感の波が通り過ぎていく。その波と共に
しばらくして落ち着いたのか、彼は目を見開いた。そして夜具を跳ね除け起き上がった。
「止めろって言っただろ。
中学生じゃあるまいし、勘弁してくれよ。後が面倒なんだから」
「だあって、お腹空いたんだもの。最近ちっとも構ってくれないし」
いつものことなんだけど、彼はあたしの文句を無視する。よっぽど、無理やり誘惑してみようかと思ったけど。ここは、我慢。このあいだみたいに入院されても困る。逝かれたら、もっと面倒だわ。
彼は、ゆるゆるのワンピースパジャマを着て側に寝そべるあたしから微妙に視線を外した。いま、あたしは人間にしたら十二歳くらいの肢体をしている。
「おい、やめてくれよ。
僕はそんな趣味ないって言ってるだろ」
「うふふ、そんなこと言ってもわかってるけどね」
考えていることは判らなくても、心の奥底の欲望の源はあたしには手に取るように分かるのよ。だてに、
「これでいい?」
「まあ」
体を起こすと、下着を着けていない豊かな胸が波打つように揺れる。羽織っていたワンピースパジャマはそのままなので下半身が丸出しになってしまった。これは、想定外。
彼は、急いで視線を逸らした。もうぅ、襲ってくれてもいいのに。
「しょうがないじゃない。お腹空いちゃったんだから。
美味しくいただきました」
あたしは、少し拗ねっぽく唇を尖らせて文句など述べてみる。そのまま横を向いたままの彼の目を覗き込んでやった。この顔と表情、仕草もすべて彼の好みってことは分かってる。
「あー面倒臭いんだよ、後始末が!」
彼は、慌てて立ち上がりシャワーを浴びに行ってしまった。かわいい。まあ、いいわ、あんまり急に摂食して、倒れられたら面倒だから。
さて、朝ご飯を用意してあげよう。こう見えて、料理の腕はそれなりなのよ。そのまま、エプロンを着けて簡単な朝食を手早く準備する。後ろ姿でちょっと挑発ね。
♪宿主の健康はあたしのごはん♪ うわ、鼻歌なんか出ちゃった。
シャワーを浴びた彼が、着替えてダイニングに入って来た。裾出しのカッターシャツに緩めのチノパンを履いている。この後、仕事するらしい。ふーん。
彼が、朝ごはんを食べている正面に座り、頬杖をついて眺めている。
彼と出会って半年。前の宿主が逝っちゃって、困ってたのよね。あのひと、だいぶ歳行ってからなあ。あっという間に
その時に声をかけてくれた。命の色もあたしと相性もばっちりだし、それに若くて私好みだった。
「なに、にやにやしてんだよ。気持ち悪い。
サキュのその顔は怖いよ、なんか企んでるだろ」
「そんな事ないよ。出会った頃のこと思い出していたの」
「俺は、後悔しているよ。
あの時声を掛けなけりゃ良かったってね」
「そうかしら、今の成功も、生活もなかったわよ。それでも?」
「う、ううん。それは」
何度やりとりしたかしら。口ではああ言っても、もうこの生活は手放せないことお見通しよ。まったく、この人ときたら、出会った時はダサい服に狭いアパート、アルバイトで生活をつなぐギリギリの暮らしをしていた。あたしは
「じゃあ。俺は仕事するから」
そう言って隣の書斎に籠ってしまった。邪魔しないのが約束だから、あたしは後片付けをする。この時間も嫌いじゃない。五十年前に流行った歌を口ずさんじゃう♪
この生活も名声もあたしのおかげ、わかっているから私を追い出せない。あたしも、なるべく長く彼との生活を送れるように注意して摂食してる。これは、あたしの長い生涯で身についた技なの。昔は、気が向くまま摂食して、あっという間に宿主の命が尽きてしまうことがしょっ中だった。
昔は、良かったわ。なんて名だったかな、五十年ほど前、画家にとり憑いていた時、才能がさほどで無かった。けど、それなりに売れるようになって。あたしを手放さないためしょっちゅう求めてきて、あっという間に逝ってしまった男がいたな。それでも、腎虚とか適当なことでうやむやにされていたから。今は、医学が発達したせいで目立つことしにくくなった。全く住みにくい。
でも、この生活に満足しているからいいの。
ソファに寝転がり、あたしは十二歳の姿に戻る。これくらいの大きさが生命エネルギーを使わなくて長く活動できるから。彼が嫌がらない時はこの格好をしている。これも長く一緒にいるためなんだけどなあ。信じてくれてないけど。
あたしは、側に積んである本を手に取り読み始めた。彼の書いた小説。彼には言ってないけど、本当はファンなのね。芸術家や実業家にもたくさんとり憑いた。彼らの作品は、あたしの長い
それもあるから、すぐに逝かれたらつまんない、だから我慢してる。ここまでして努力してるのよ。きっと彼はわかってない。信じてくれない。だってあたしは悪魔だから。
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