ある青年の夜

調布駅から歩いて約十三分、近くに目立って新しいビルのない寂れた団地の、さらに端。そこにポツンと佇む、ボロくて小さなアパートの203号室のしがない住人。それが、僕だ。

大学生なんて、金がないのが普通だ。実家からの仕送りも少ない。近くのコンビニで深夜バイトをしても、その金は直ぐに、携帯代と漫画に消える。

兎も角、その日の、夜11時8分。宿題を何とか終えた僕は伸びをした瞬間、突然お腹が空いた、気がした。我ながら無骨で愛想のない飴色のちゃぶ台に、足をひっかけそうになりながら重い腰を上げ、何となく、小さな冷蔵庫の前にしゃがむ。思った通り。冷蔵庫にあるのは、昨夜スーパーの閉店間際値引きで買った50円のモヤシと、醤油などの調味料、そして賞味期限ギリギリの卵くらいだ。

まあ、元より料理などする気はさらさらなかったがな。よいせっ、と小さく掛け声をかけて立ち上がり、その勢いで流しの上の扉に手をかける。そして、一番手前のカップヌードルを取り出す。周りの薄いビニルをカサカサと剥がしていくと、本来の、カップのさらっとした表面に触れる。これを感じると、食べ飽きたはずのカップラーメンの味が、少し楽しみになるから、不思議だ。因みに、この時食べたのはプレーンだが、僕は、シーフードが好きだ。ああ、そうだ、ビニルからカップの蓋を抑えるフセンを取らないと。このフセンは少し取りにくい。2回カリカリして、3回目でやっと取れた。

フセンの置き場所を逡巡しシンクの端にくっつけた。丸まらないとは分かっていても、何となくビニルを丸め、ゴミ箱に投げ込む。うまく入りきらなかったが、まあ、いいさ。さあ、いよいよだ。カップヌードルの蓋を、慎重にぺりぺりと音を立てて剥がし、その中身を覗き込む。そう言えば、何処かでカップヌードルの下部分は空洞だと聞いたことがあるな、なんて考えた。あ、そうだ。ゴージャス・バージョンにしよう。んー、宿題を終えたご褒美として。再び赤いレンジを頭に乗っけた小冷蔵庫の扉を開け、卵を1つ取り出す。少し、気分が乗ってきて、軽くなった足取りで、シンクの端に卵を打ち付け、慎重に、蓋の隙間から、カップヌードルの中に卵を落す。そして、卵の殻を三角コーナーに投げ入れる。白身が台に垂れてしまったので、近くにあった付近で適当に拭く。この動作だけは何度やってもうまくいかない。うし、ではでは、お湯を入れよう。電気ポットの下に、カップを置き、上のボタンを押す。お湯が、勢いよくポットの中に入り、たちまち湯気を上げ出す。お湯が落ちていく所というのはいつまで見てても飽きない気がする。ゴポゴポという音を聞いて満足し、内側の線ぴったりでお湯を止める。この、ぴったりで、というところがミソだ。カップの熱くないところを掴んで持ち上げ、ちゃぶ台に運んだ。もう一度キッチンに戻り、流しの横の、水切りに横たわる箸と、さっきのフセンを持ってちゃぶ台前に胡座をかく。フセンを使って蓋を閉め、時計を確認する。

11時11分。あ、ゾロ目だ!待っている間に、宿題の見直しをしよう。そう、自分を鼓舞して先程終えたばかりの宿題を流し読みしていく。そして、8回目にベットの横の時計に目をやった時、後15秒で3分が経過する、というところまで来た。

もういいや、と宿題を傍に押しやり、残りの8秒を時計とにらめっこして待つ。…3…2…1。11時14分。やっとだ。ワクワクが止まらない気持ちを抑え、ぺりぺりと残りの蓋を剥がすと、湯気と一緒にたまらない匂いが鼻孔を撫でるように登って来た。食べる前から空気を満たす幸福感とともに箸を手に取り、イタダキマス、もそこそこにとろける卵に箸を突き刺し、その下の麺を引っ張り上げる。やっと会えたね、カップラーメンちゃん。そんな、変態ちっくな挨拶をしながら極上の夜食ラーメンをすすった。11時15分。

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