第5話 平民フィーラ
お父様とお話をしてから一月。
あの日以来、私は血の滲むような特訓をして寮生活でも生き残れるように努力した。
朝自分で起きることに始まり、自分の身支度、最低限の家事をイルダから学び、掃除も洗濯もできるようになりました!
料理だけは手付かずだけれど、寮には食堂があって専属の料理人がいるそうなので問題ないはず。
いつでもかかってこい新生活! と息巻いて本日、ついに荷物を持ってお引越し日を迎えました。
動きやすいシンプルなワンピースを着て荷物を馬車に詰め込んだ私は、今生の別れかと言うほどに泣きじゃくるお父様に見送られて屋敷を出た。
王宮までは一時間程度の道程で、帰ってこようと思えばいつだって帰ってこられる距離だというのをお父様は忘れているのかしら。
そうして現在、私はひとり馬車で揺られている。
貴族のお屋敷が多かった閑静な地域を通り過ぎ、段々とお店や人が増え、賑わう城下町の景色が窓の外を流れていく。
ソーラント王国の城下町は整備された石畳が美しく、貴族向けから庶民向けまで幅広い商店が立ち並ぶ栄えた街で、まだ早い時間帯だというのに人の流れの絶えない賑やかなところだ。ダイアスタ領の街も栄えてはいるけれどここほどではない。
その内ゆっくり遊びに行きたいわね、なんて思いつつ城下町をしばらく行けば、白亜に輝く城壁が見えて来た。
王宮は王族の住まいや謁見の間などがある城と、騎士団の寮や訓練場、図書館、庭園など様々な建物が敷地内にあって、徒歩では一日で回りきることができないほど広大だ。そのためしばしば、騎士達は馬、貴族は馬車を使って移動をする。
私は今日はこのまま馬車で王宮内の騎士寮まで行く。明日からの移動は騎士らしく馬で――と言いたいところだけれど、生憎と私は馬に乗れないので徒歩になってしまう。
寮暮らしのための特訓で手一杯で乗馬の練習はできなかったのよね。まぁ、全員が全員乗馬ができる状態で入団するわけではないですし、どうにかなるでしょう。
「許可証か紹介状はお持ちですか? どちらへのご用向きでしょう?」
門前に馬車をつければ、門兵が馬車に駆け寄ってきて聞いてくる。私の乗っている馬車にはしっかりとダイアスタ家の紋章が刻まれているせいか、貴族用の低姿勢で丁寧な対応をしてくる門兵に、私はお父様から渡された騎士団への紹介状と騎士団長さんから送られてきていた許可証を提示した。
「この度、王宮騎士団の一員となることになりましたので、騎士寮へ荷物の運び込みと諸々の手続きに参りました」
「お嬢様が騎士ですか!?」
素で驚き目を見開く門兵は、紹介状と許可証を受け取ると、信じられないものでも見るようにそれらと私を交互に何度も見てくる。
……やっぱり、貴族の娘が騎士というのは信じられないのかしら。まだ平民ならば給金の高い騎士職に就いても納得できる範疇なのかもしれないけれど、貴族の娘はそもそも家庭を気付いて家紋を守ることが仕事なため、就職すること自体が前代未聞なこと。
私はアルベール殿下に嫁ぐ計画のために騎士職を思いついたけれど、そんなことを一々説明していてはうっかりアルベール殿下のお耳に入ってしまうかもしれない。そうなれば献身的アピールなんてあったものではないわ。計画が丸潰れになってしまう。
「何か手を打たなければいけませんわね……」
驚きを引きずったまま、どこか茫然とした門兵に門を開けてもらい王宮の敷地内へ進みながら、どうしたものかと思案する。
「ダイアスタ家は武勲で名を挙げた家というわけではありませんし、お母様のご実家も違いますから家の方針という手は使えませんし……家出して騎士に、なんて言ったらお父様が勘違いして面倒になりそうですわ。娘が働かなくてはいけないほど困窮した家紋、というわけでもありませんし」
貴族の、ダイアスタ家の娘が騎士になる正当な理由が何も思いつかない。
家を出る前に気づいてお父様に相談ができていれば良かったのだけれど、もう既に後悔しても後には引けない所まで来てしまっている。
「となるとやはり、一番安直な手でいくしかありませんわね」
貴族であることを隠してしまいましょう。
騎士の仕事が始まってしまえば、貴族も平民も関係なくなる。家名の大きさなど些事でしかない。ならば最初から平民として家名を名乗らず過ごすことも可能なはず。
殿下を騙すような形にはなってしまうけれど、あれだけ社交界で顔を合わせているんですもの。私がフィリーレラだと一目見れば気づいてくださるわよね。
そうこう考えていると馬車が止まり、御者が扉を開けてくれた。
「お嬢様、騎士寮につきました」
「えぇ、ありがとう」
馬車を降りると、貴族のサマーハウスくらいの建物が目に入った。騎士寮となっている建物は赤茶のレンガ造りで、年期が入っているようで少し壁が老朽化しているように見える。夜中には見たくないような趣のあるお屋敷、といった感じだ。
「お嬢ちゃんがラスターのとこの娘さんか?」
馬車から荷物を降ろしていると、騎士団の制服を着崩した、オールバックの男性がずかずかと騎士寮から出てきてそう聞いてきた。
「はい。フィリーレラ・シル・ダイアスタと申します。貴方は……」
「俺は騎士団長のベルトランだ。お嬢ちゃんの親父とは古い付き合いでな、これからはお嬢ちゃんの上司になるわけだ」
「あぁ、貴方が団長さんでしたか」
事前にお父様の旧友で同い年、とは聞いていたけれど、お父様よりはだいぶ年上に見えてしまうのはお父様の見た目が若すぎるせいですわね。
「改めまして、これからお世話になります」
第一印象は大事、と綺麗なカーテシーをしようとワンピースの裾を掴んで、はたと先ほど考えたことを思い出した。
「そうですわ。ベルトラン様、折り入ってお願いがあるのですけれど」
「来て早々“お願い”ねぇ。見た目だけじゃなくてその図々しい感じも父親そっくりなんだな」
「申し訳ありません……でも、女性に父親に似ている、はあまり言わないほうがよろしいかと思いますわよ」
お父様は線が細くて美形ではあるし、髪の色もお父様よりなのは認めるけれど、やっぱり他者に言われるならお母様似だと言われたい。お父様似と言われると、男っぽいと言われているようでどことなく嫌。
少しばかりムッとした雰囲気を出せば、ベルトラン様は苦笑を浮かべた。
「そりゃあ悪かったな。悪かったついでにその“お願い”とやらも聞ける範囲のものなら聞いてやるよ。元々、お嬢ちゃんの頼みはなるべく聞くようにってラスターに脅されてんだ」
「ありがとうございます、ベルトラン様。実は私、平民として騎士になろうと思いますの。フィリーレラ、だと少し仰々しいですし……フィーラ。平民のフィーラとして扱ってくださいませんか?」
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