強制結婚制度
きてん
第1話「梓」
令和元年、死刑を望む自殺願望の男性4人による小学校襲撃事件は日本中を震撼させた。被害は死者3名、重軽傷者多数。犯人は主犯を含む3名が死亡(警官による射殺2名、窓からの逃亡による転落死1名)。主犯がSNS上で仲間を募った『自殺するくらいなら、みんなで死刑になろうぜ!』という言葉は繰り返し報道された。また犯人と思われる男による少女のレイプ動画がネット上に投稿され、拡散された。
その9日後、7人の男性による中学校襲撃事件が発生した。模倣犯と見られ、多くの少女が強姦され、教師を含む20名以上が殺害される戦後最大級の事件となった。
学校の警備の強化が叫ばれる中、中学校襲撃事件の5日後にはスーパーマーケットで男性5人による襲撃事件が発生、死者は幼児を含む15人、重軽傷者は50人以上と殺傷目的の犯行だった。この事件の主犯は30代のエリートサラリーマンで既婚、インターネットを利用せずに実行犯を集めるというこれまでの常識を覆すものだった。更にこの男性はSNS上に人の集め方、効果的な襲撃方法といった犯罪を助長する情報を公開し、「疎外する者たちに鉄槌を!」というメッセージを遺した。
この3つの事件の実行犯はすべて男性だったが、年齢は20代から60代で、職業も無職や不正規雇用だけでなく公務員や自営業者もいて多様だった。また5人は既婚者であり、高学歴者も少なくなかった。
これらの事件の影響を受けた襲撃事件がその後多発した。箍が外れたように治安が悪化し、警備の強化が図られたが、警備員や警官による事件も起き、人々の相互不信は限界まで高まった。
犯罪予備軍とも言える人々を監視・隔離することを求める人々の声は大きかったが、これまでの事件の実行犯のデータを元にすると日本人男性の約8割が予備軍に含まれるとされた。実際に温和で温厚な人物が些細なことで犯罪予備軍扱いされて孤立し、実際に犯行に及んだ例もあった。小数ではあるが女性による死傷事件もあり、時の政府は大きな政策転換を行った。
高負担高福祉の大きな政府、社会保障・セーフティネットの充実などと並び、切り札として出した政策が『強制結婚制度』だった。多くの女性や海外から猛烈な非難を浴びながらも、拙速と批判を受けながらも国会で法案は成立し、最短の速度で施行された。日本国内の25歳から70歳までの婚姻していない男女を強制的に結婚させるという制度だった(施行から2年後に女性のみ20歳以上(大学進学者は2年の猶予)に修正)。
――そして、施行から5年が経った。
「梓は駆け込みしないの?」
ゴールデンウィーク明けの平日。ゼミが終わると友人の友恵がわたしに聞いた。駆け込みとは「駆け込み結婚」のことで、大学卒業までに通常の結婚をして『強制結婚』を避ける目的で行われている。
「うちのお姉ちゃんは駆け込みして苦労してるのよ」
2歳年上の姉は大学卒業時に同級生と駆け込み結婚をした。結婚を焦る女子とそれにつけ込む男子という図式はよく聞く話だ。姉もパートナーが「結婚してあげた」意識で上から目線で見られ、ケンカを繰り返し、いまは離婚協議が進んでいるという。
「友恵はどうなの?」
「返事待ち」
友恵は不安そうな表情だ。駆け込みは男性優位になるので、それを利用してハーレムのように女の子を手玉に取る男子生徒もいる。わたしも良い相手がいればと思っていたが、大学の現状を見ると、駆け込みの方こそ尻込みしてしまう。
大学卒業に向けて、ただでさえ就活があって大変なのに、女子だけ婚活も加わる。過渡期だから仕方ないと言われるが、当事者としては文句のひとつも言いたくなる。わたしは就活一本に絞ってなんとかなりそうという状況だ。
幸い希望の会社への就職が決まり、他の女子学生の婚活を横目で見ながらわたしは無事卒業した。すると早速、役所から説明会の案内が届いた。『強制結婚』は文字通り、強制であって逃げることはできない。逃げれば『寮』や刑務所が待っている。
もちろん回避策がまったくないわけではない。子どもがいる場合は3歳までは『強制結婚』が免除される。同性婚も可能になったが、女性の場合かなり厳格に調べられる。噂では性交渉を女性審査官が確認しているとまで言われている。
説明会は役所ではなく駅前の貸し会議室のようなところで行われた。『強制結婚』は1年単位で行われ、春先に非婚の女性がこうして集められる。若い人が多いが、中には年配の人もちらほら見受けられる。
制度についてはテレビやネットで嫌になるほど説明されている。それを繰り返しているだけだが、初めてなので真剣に聞く。何かあったときに知らなかったでは済まないから。
説明が終わると、IDを提示して封筒を受け取る。この中に結婚相手の情報があるわけだ。家に帰り、封筒から5枚の履歴書のような紙を取り出す。この情報は個人データでネット等にアップすると犯罪となるが、家族に対しては公開が認められている。わたしは離婚が迫っている姉と一緒に見ることにした。
「梓は結婚する気ないんだよね?」
ここで言う「結婚」は通常の結婚のことだ。『強制結婚』から通常の結婚を望む者もいるが、わたしはまだ社会人一年目だし、結婚を急ぎたいという気持ちはない。
わたしが頷くと、「これとこれはパスかな」と姉は2枚を脇にどける。40歳のエリートサラリーマンと36歳の実業家だった。玉の輿狙いなら当たりだけど、ネットの情報ではこういう人たちは人気がない。結婚を餌に毎年相手を変えて楽しんでいるだの、女性の都合などお構いなしでメイド扱いされるだの、散々だ。もちろんそういう人ばかりではないのだろうけど、これだけの人なら『強制結婚』ではなく通常の結婚ができるだろうと思ってしまう。
残りは3枚。25歳で中小企業に勤める男性、30歳無職、28歳の公務員。姉はその中の一枚を取り、「無難なのはこれだよね」とわたしに差し出した。
さえないおじさん。30歳無職のものだった。書かれている情報を確認する。最も大事なのは過去の『強制結婚』のところだった。彼は過去2回の『強制結婚』で共に更新をしている。『強制結婚』は1年単位だが、両者が合意した場合1回だけ更新ができる。それを2回やったということは『強制結婚』した女性側がそれを望んだということだ。
この手の男性は『強制結婚』してもほとんど関わりなく過ごすことができるとネットで高評価を受けている。(一番評価が低いのは上から目線で説教してくるおじさんだ)
25歳の男性は今回が初めての『強制結婚』なのでこの情報がない。28歳の方は一度も更新していなかった。避けた方が無難だろう。
わたしはすぐに『強制結婚』の希望の相手が決まったと役所に伝える。『強制結婚』は4月中に相手が決まらなければ、選ぶ余地なく国の決めた相手との同居生活になってしまう。
すぐに「お見合い」の時間と場所が指定された。「お見合い」とは『強制結婚』の相手との面接で、これで両者が合意すれば一年間の契約で『強制結婚』をすることになる。男性側からすればこの「お見合い」だけが選ぶ機会になる。基本的に男性は10回まで相手を拒否できる。女性の場合「お見合い」で思っていたのと違う等で拒否した場合、残り4人の中から次の相手を決めることになる。不成立が続いた場合、「6人目」と呼ばれるラストチャンスの機会もあるが、そこまで追い込まれるのは辛いところだ。
面接に現れたのは写真で見た通りのさえないおじさん。おどおどした感じで、予想通りとも言えた。一応、精一杯身ぎれいにはしているようだが、少し臭い。この人と一年過ごすのかと思うと気が滅入るが、わたしに干渉してくるタイプには見えないので、少しは我慢しないとと自分に言い聞かせる。
「初めまして」と挨拶すると、ボソボソと小声で何か言うだけ。こういう人とは学生時代にほとんど接点がなかった。接し方が分からないが、ネット情報では最初にガツンと言って主導権を握れと書かれてあった。わたしは年下と侮られないように、胸を張って強気で希望を語った。
「わたしは結婚する気はありません」
「はい」と彼は頷きながら小声で返事をする。
「SEX許可証にも署名しません」
「はい」と今度も表情を変えず頷くのみ。
SEX許可証は両者の署名で役所に提出し発行してもらうものだ。これなしのSEXは違法であり、基本的に男性側が処罰される。SEXのみならず、暴言などにも厳しい処罰が行われる。女性に触れただけでもアウトとされ、程度によって罰則が定められている。被害の証明は必要だが、かなり女性有利に定められていて、『強制結婚』の男性は飲酒を控えるというのが最近の主流だ。
これらの処罰で男性に恐れられているのが『寮』の存在だ。ここに入ると事実上犯罪予備軍として扱われ、様々な制約を受けた生活を余儀なくされる。最近では男性機能の除去など医学的処置も検討されていて、『強制結婚』での女性を守る大きな盾となっている。
「あと、ちょっと臭うので、もっとお風呂に入ったり、洗濯してもらえますか」
あまりに従順なので、つい言ってしまった。言い過ぎたかなと思ったが、特に変わった様子もなく「はい」と頷いている。働けというのはさすがに初対面では言い過ぎかな。いまは無職や低所得の人には生活補助が出るし、『強制結婚』では住居費などにも手当が付く。わたしは彼との『強制結婚』を了承し、彼も特に希望を述べることなく了承した。
同居生活が始まる。しかし、特に会話らしい会話もなく、わたしは自分のことで精一杯だった。初めての社会人生活、慣れるまでは緊張の連続だ。家では、食事は別だし、掃除や洗濯も別。お風呂は時間をきっちり分けて顔を合わさないようにしている。共用部分の掃除やゴミ出しはいつの間にか彼がやってくれていた。余計なことを言われることもないので、むしろ実家より暮らしやすいと思うほどだった。
仕事に慣れてくると、周りの人たちとの関係を築くことが課題になる。会社では男性陣によく口説かれる。『強制結婚』には浮気がない。むしろ普通の結婚を目指すことは推奨されることだ。SEX許可証を受けていながら外で他に女を作るのはどうかとわたしは思ってしまうが、最近は別物と捉える見方が増えている。
まあSEX許可証の有無に関わりなく、『強制結婚』している者には毎月国営風俗施設のクーポンが送られてくる時代だからそんなものなのかもしれない。
社会人一年目は慌ただしく過ぎていった。気が付けばもうすぐ春。『強制結婚』の更新の申請期限が近付いていた。「更新でいいですか?」と久しぶりに彼と話す。彼は「はい」と頷く。ふたりでサインして終わり。後は提出するだけだ。わたしは何気なく「どうして働かないのですか?」と尋ねた。
彼は気を悪くするでもなく、口籠もっている。「言わない方が良かったかな」と思っていると、「働いた方がいいですか?」とボソボソと言った。「そりゃ、まあ」と言うと、「考えてみます」と答えた。
嬉々として『強制結婚』の説明会に行った姉が夜連絡してきた。「どうだった?」と聞くと「大当たり!」と喜びの声を上げる。なんでも、イケメンと金持ちがいてどちらにするか迷っているそうだ。
「お見合いでうまくいっても、結婚までいけるかどうかは分からないじゃない」
「分かってるわよ。でも、チャンスはチャンスだから」
そういうものかと思っていると、姉は「1回失敗して分かったの。会って、話して、一緒に暮らして、それでダメならまた1からやり直せばいい。少なくとも、『強制結婚』ならそれができるって」と続けた。わたしはネットで見つけた『強制結婚』での男性の落とし方の情報を姉に伝え、健闘を祈ると言って電話を切った。あとは姉の努力次第だろう。
社会人二年目は余裕を持ってスタートしたのに、しつこく言い寄ってくる先輩の男性社員がいてその対応に追われた。ちょっと見てくれが良いことを鼻にかけて、断っても断っても誘ってくる。
「梓ちゃん、大変ねー」
時々先輩の女性社員が慰めてくれるからなんとか耐えられた。
「矢島って他の男性社員にSEX許可証持ってるって自慢してたのにね」
「結構可愛い人らしいよ、その強制の相手。それで結婚を餌にして更新させたって噂」
「強制だと浮気し放題だもんね」
「最悪ー。梓ちゃん、あんなのに負けちゃダメよ」
セクハラで訴えると言っても、彼は仕事ができるので周りは見ない振りだ。わたしはイライラを募らせていった。家に帰っても気分は収まらない。同居人から「就職決まりました」と報告を受けても無視して立ち去った。彼に話したところで仕方がないことだ。
とうとうキレてしまった。何度も腕をつかまれ、その度に振り払うのを繰り返し、最後に腰を触られ、わたしは思い切り先輩の頬を張り倒した。「あっ」と思ったけどもう遅い。威勢の良いバシンという音はわたしの気持ちを少しすっきりさせたけど、先輩は逆上し、わたしを殴り、蹴った。暴力を振るわれた時に男の力の強さと怖さを肌で感じた。すぐに周りが止めてくれて大きなケガには至らなかったが、わたしの頬は大きく腫れ上がっていた。相手の頬は少し赤くなった程度だったのに。
わたしは謹慎処分となった。相手は免職。わたしが先に手を出したとはいえ、いまは女性への暴力は社会的に厳しい目で見られている。警察に届けた方がいいと言われたが、これ以上関わりたくなかった。セクハラを放置した会社が悪いという声も時間が経てば消えてしまうだろう。
わたしは一度家に帰ったが、男性と一緒にいるということに耐えられず実家に戻ることにした。同居人はケガをしたわたしを見て驚いていたが何も言わなかった。
『強制結婚』では一ヶ月の半分以上の同居が義務づけられている。始めは数日で家に戻るつもりだったのに、ずるずると実家に居着いてしまった。良くないと分かっているのに戻れない。
女性も『強制結婚』の罰則としての『寮』が存在する。主に男性の『寮』の雑務をすると言われている。具体的な情報は公開されていないが、犯罪予備軍の男性たち相手に何をさせられるのか。わたしが叩いた先輩のような男たちがいる場所に行くというのは耐えられない。ようやくわたしは重い腰を上げて家に帰った。
家は何も変わっていなかった。一年半暮らした場所なのでそれなりに愛着もある。久しぶりに顔を合わせた同居人は少し痩せたように感じた。
「長い間連絡せずに不在にして済みませんでした」
「いえ……」
それで話が終わってしまう。さすがに何か話題はないかと考えた。
「そういえばお仕事始めたと言ってましたね。どうですか?」
「……辞めようと思っています」
仕事ができるように見えないし、そんなもんかなと思う。そろそろ話を切り上げて自分の将来についてちゃんと考えないとと思っていると、彼が小声で呟いた。
「『寮』に行こうかと考えています」
「え?」
わたしは驚いた。だって、この世に『寮』に行きたいという男がいるなんて思えなかった。まだ自殺したいと言った方が分かる。
「どうしてですか?」とわたしは訊かずにいられなかった。
「あなたの前に『強制結婚』した方はお医者さんでした。家にいるのは十日ほどでした」
彼は淡々と話す。『強制結婚』では一ヶ月の半分以上の同居が義務づけられているが、一部の職業はその義務が緩和されている。医師もそのひとつだ。
「その方は医師という仕事に自分の人生を賭けたいと仰り、通常の結婚をしてその後もいまの関係を続けたいと希望されました。本気であることを示すためにSEX許可証を申請し、一度だけ行為に及びました」
わたしはただ呆然と彼の話を聞いている。
「しかし、私は結婚をお断りしました。その方と一緒にいられない時間の長さに耐えられなくなったのです」
淡々と話し続ける彼の声の中に、わたしは秘められた想いを感じてしまう。
「その方は私を見ていませんでした。あくまでもこの制度の下で自分の望みを叶える道具として私を見ていました。私は孤独を感じました。疎外感を覚えました。私の想いを伝えたところで、それが叶えられることはないと分かっていました。私は死を望むようになりました」
彼の顔に初めて苦痛の表情が浮かんだ。
「私は死を望みました。でも、死ぬ勇気はありませんでした。その時、囁く声が聞こえたのです。死刑を望めと」
わたしは両手を口に当てた。
「私は何度も謝り、頭を下げ、その方との結婚を断りました。次の『強制結婚』の相手があなたでした。時間の経過とともに、少しずつ私の心に平穏が訪れるようになりました」
彼の顔から苦痛の表情が消える。しかし、すぐに先ほどよりも強く顔を歪める。
「ですが、あなたが不在になると、再びあの声が聞こえるようになったのです。私は『寮』に行くべきなのです」
「ごめんなさい」
わたしは反射的に謝った。わたしはこの1年半何をしていたのだろう。わたしもまた彼を便利な道具としか見ていなかった。人間として見ていなかった。自分のためだけに利用していた。
『強制結婚』が生まれる原因となった死刑願望者による凶悪事件はわたしの生活に大きな影を落とした。身近に事件こそ起きなかったが、学校に来なくなった友だちがいた。学校行事が行えなくなったこともある。通っていた習い事も辞めさせられた。外で遊ぶことはできず、屋内でも誰かが入って来ただけでビクビクした記憶がある。いつ、どこで襲われるか分からない恐怖。それを最も強く感じた世代だと言える。
犯人が悪いのは分かっている。当然だ。極刑も当たり前。それでも、彼らを追い詰めれば追い詰めるほど新たな事件が起き、良くなることはないのだと学んだはずだった。分断した社会を乗り越えるために『強制結婚』制度が誕生した。人は誰もが心の闇を抱く。でも人々が支え合うことでそれを表に出すことなく生きていけるという趣旨でこの制度が誕生したのだ。
あの恐怖、怯え、悲しみを知るわたしが、目の前の人間を人間として見ることなく疎外していた。追い詰めていた。
思えば、この人はわたしの言ったことはちゃんとやってくれた。掃除やゴミ出しなどもやってくれたのにわたしは感謝の言葉も言っていない。
「あと半年、あなたとちゃんと向き合いたいと思います。恋愛は無理かもしれませんが、あなたの友だちとしてあなたの孤独を埋めることはできませんか」
自己満足なだけかもしれない。偽善かもしれない。でも、いまのわたしの正直な気持ちだった。
「お願いですから、『寮』に行くだなんて言わないでください」
彼は無表情で「わたりました」と頷いた。わたしはそれを見て少しホッとする。でも、これが始まりなんだ。わたしの『強制結婚』はいま始まったんだ。
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